【小説】私立図書館との出会い④
40歳独身の私。不思議な私立図書館で自分の将来について少しづつ考え始めた。《一人がだんだん近くなる》その不安と闘いながら生活する日々。そんな不安に押しつぶされそうな夜、図書館店主のマダムとの不思議な会話が始まった。
マダムの洗礼と寂しさの原因と
『今日あなたが選んだカクテルは、ゴットーマザー。ゴットマザーとは。カトリックで子供の洗礼式に立ち会って名前を与える宗教上の母親みたいな人のことなの。
でもね、カクテル言葉は、なんて言うと思う?』
マダムはそういいながら私を見た。そして少しの時間をおいてこう答えた。
『他人の考えを受け入れられる優美な人。
あなたは、素直だし優しいからたくさんの考えを受け入れることができる。でも真面目だから一生懸命それを消化しようとして消化できなくてきっと苦しくなっちゃうのね。
物事っていろんな見方ができるじゃない。間違っていると思うことも全く逆から見てしまえばど正解にすることができる。被害者を加害者にだってする事ができる。その両方を全部受け入れて消化しようとしちゃうときっと苦しくなっちゃうわよね。』
そう言ってマダムはまたグラスを見た。そしてグラスの氷を指で少し回しながら窓の方に目を動かした。窓ガラスからもれる月明かりの線を見ながら独り言のように
『私はきっと今日あなたはそのカクテルを選ぶだろうなって思ってたのよ。』
といった。月の光が窓から差し込んでとても綺麗だった。マダムが私に話をしてくれた言葉の意味を考えた。少し考えて一度心にしまうことにした。なんとなく今答えを出すよりは、少し時間をかけて意味を探したいと思った。幸いなことに頭では理解できている。心で理解するのは少し後にしよう。そう思って心にしまった。私には、時間がたくさんある。
あれからあの日のマダムの言葉が洗礼のように洗い流してくれたのか不思議なことに得体の知れない心の落ち込みが突然やってくることはなくなった。
私は、今までの様に「頭で理解してその後自分に置き換えて心で理解する。」と言うことから「頭で理解しても自分の心で理解して落とし込まなくてもいいんだ」と思う様になった。わかっても受け入れられない事もある。そう思うだけで心が軽くなった。
なんだかもっと人を好きになれそうな気がしてきた。いろいろ理解しないといけないと言う思い込みから理解することを途中で諦めることも覚えた。わかる必要のなきことだってある。わかるから苦しくなることだってある。今まで1つのことにこだわって一生懸命頑張りすぎてたのかなって思い始めていた。
心にも余裕ができてきた。それでもあの
だんだん一人が近くなる。
と言う言葉は私の中のどこかでじっと静かに身を隠しながら居座っていた。
世界的伝染病と自分と向き合う時間と
毎日遅くまで仕事をして家には、寝るためだけに帰ってそんな生活が世界中を襲った伝染病で一変した。仕事が少なくなり休業が増え残業も無くなった。そして私は持て余した時間の使い方がわからなかった。私から仕事をとると何も残らないということが現実としてのしかかって来た。
定年した人がすることがなくなって突然老け込むという症状は、趣味を持って改善されるらしい。私も一緒だわ。そう思い趣味を探す。楽器の体験入学をしてみたり、ジムに通ってスタジオレッスンに出てみたり、着付けやお茶の体験入学もしてみたがどれもしっくりこない。突然仕事ばかりしていた自分が趣味を見つけると言う大きな目標掲げてもなかなか見つからないものだ。
私の好きなことってなんだろう。
自分の好きなことがわからなくなってる自分に気づいた。会社では人から求められることは、何となくわかっていたのに今自分自身が何をしたいのかわからない。
ある日自分が病院の待ち時間や銀行の待ち時間には、必ず料理本を見ていることに気づいた。部屋でネットサーフィンするときもレシピサイトを見ることがい多い。すでに一人暮らしをして随分たっていたが今まで仕事も忙しく毎日のように飲み歩くので料理にさく時間も気力もなかった。何よりいつでもできる料理をするより外食をしている自分が好きだった。もしかしたら私料理好きかもしれない。
趣味を探すのは難しいけれど自分の好きなことをする時間を少し増やそうってところから始めよう。「自分のことを好きな時間を増やしていこう。」そう思ってキッチンを見た。全く使われてない生活感のないキッチンがそこにあった。。少しづつ飲みの日を減らし簡単な道具を揃え食材の買い物をし自炊を始めた。一人暮らしの分量がわからず毎日同じものを食べる日々や似た様な味のおかずを作り味に飽きてしまうことに苦笑いしながらも料理はどんどん楽しくなっていった。旬の野菜や果物。旬の料理。顔馴染みになった八百屋。世界がまた新しく広がりはじめるのを感じた。
今まで野菜を取るためにキャベツの千切りをよく買っていた。時間があるからとキャベツを1玉買った。そのキャベツは使い切られることがなかった。なのに1玉買った白菜はすぐに使い切った。そのとき私は、自分が好きなものも分かってなかったことに気づいた。今まで好きだと思って食べていたものは、良かれと思われる効率的な食べ物で好きなものではなかったんだと思い知った。私は何も自分のことを知らない。その事実にびっくりした。
料理をする様になって何かを無性に食べたい時は、足りない栄養素があることを知った。あんこを欲する時は、タンパク質が足りない油っぽいものを欲するときはカルシウムが足りないらしい。
今までの私の知識は、お好み焼きを食べたい時の本心は、だいたいあの甘辛いソースを食べたい時だしジャイアントコーンを食べたいときは塩が欲しい時だというくらいだったのに栄養素のことまで調べるようになっていた。そして私は、気づけばもう1ヶ月一人で飲みに出ることをしてない。自炊を始めてからの日々は、とても充実してた。ただ時間が立つにつれてなのにだんだん何かが足りない気もし初めていた。
寂しさを紛らわすためのおひとりさま
あの頃の私にあって今の私にないもの。それは会社での仕事とその後にやってくる一人のみの時間だ。あの頃の私はこの2つでほぼ形成されていた。
お腹が減っているわけじゃないのに誰かと話したくて1人で飲みに出る。会社の同僚や友達と喋りたいわけじゃない。もっと接点の少ないもっと私とは違う世界の人と話をしたくてお腹が減ってないのに飲みに出る。店主や常連達との程よい距離感。
お酒を飲みたい気分でも食べたい程お腹が空いてる訳でもないのにまるで欲していた物のように飲んだり食べたりしながらたわいもない会話をする。
ちょっと酔っ払ってまだ話したいけどこれ以上食べることも飲むこともできなくなって仕方なく『お会計を!』と言う。
帰る道すがらお腹も空いてなかったのにと思いながらせめてこの時間後悔をしないようにと空元気で歌を歌ったりしながら帰る。
家に着いて服を脱いでパジャマに着替えとりあえず寝る。少しだけ食べたことと飲んだことの後悔をしながら。
翌日朝4時に目が覚める。
あーなんで食べちゃったんだ。あーなんで飲んじゃったんだ。体重は減らないしスッキリしない、体も何だかだるい。でもその分少しの時間の寂しさとちょっと縁が遠い人だから言える責任のない大丈夫だよ君は頑張ってるよと言う言葉でストレスは軽くなる。
そう思いながら気分転換にお風呂を入れる。少し厚めのお湯に贅沢にちょっと高めの入浴剤を多めに入れて湯船につかる。少し歌なんて歌ったりしてそして後悔を一緒に洗い流す。ゆっくり風呂に入った後お腹がすいたことを思いだす。渇いた喉に水と下剤を一っしょに流し込む。気休めだけどこれで昨日食べた後悔を帳消しにする。
そして近所のファミレスへ向かう。お腹がすいてるけれど朝から重たいものは食べれず豚汁定食を頼みそこで外の車の流れを見ながら朝食を取る。そんな事を繰り返す私の日々は、ただ寂しさの塊だった。
あの頃からずっと自分の体を少しいじめることでどうにか寂しさを紛らわしてたのかもしれない。
あの頃の私に必要な栄養素は、きっと別のところにあったのに私はお好み焼きのソースやジャイアントコーンの塩のようにとても単純に物事を考えて紛らわせていた。本当に必要な栄養素をみないふりをして。
新たな出会いは本の中に
今日は、満月だな。仕事帰り月を見ながらそう思った。マダムの顔が頭をよぎった。今日は、図書館で自分時間を過ごそう。そう思ってあの砂利道に足を踏み入れる。蔦のはったビルの真ん中にある階段を登る。重厚な扉に手をかける。
『こんばんは』
マダムはいつもと変わらず、図書館の空気もずっと変わらず、私をしっかりと迎えてくれる。本棚の前に立つ。いつもなら手にしない料理を題材とした小説を探す。シリーズ化されているのか同じ題名の本が並んでいる物を見つける。これにしようと手に取る。そして椅子を選びそこに座りほっと一息つく。ゆっくり落ち着いて目を瞑る。私の周りに流れている時間の流れを少しゆっくりにしていく。時間の流れが落ち着いてから本を開く。
私はすぐに本の世界に引き込まれていった。その本は、主人公のところに、なんらかの理由で食べることができなくなった思い出の味を探す人たちがやってくる。そして思い出の味を再現して欲しいと主人公に言うのだ。既に店が閉店していたり・亡きお母さんの味だったりで今は、食べることができないものばかりそしてレシピもない。でもどうしても味を再現したいお客様がこぞってその店にやってくる。主人公は、その食べ物を食べた時代の話や思い出話をヒントにしながら後日その料理を再現する。そしてその料理を食べると一瞬にしてお客様たちは、その頃の気持ちに戻っていく。悔しかったり後悔したり懐かしんだり喜んだり、料理で人の気持ちが変わっていく。そして料理は、これからその人が生きていく糧になる。
そう思うと私の料理は、誰にも食べてもらってないことに気づいた。誰かに食べてもらえる料理を作りたい。私が料理で何かできるわけではないけど、ただ誰かのために料理を作りたい。そう思った。あのとき私が何か足りないと思ったものそれはこれだと。
本を読み進めると面白くあっという間に時間が過ぎていった。またグレゴリオ聖歌が流れ始める。キリがいいところまで読んで帰ろう。月の光が差し込む部屋で目を閉じてゆっくりと本の世界から現実へ戻っていく。さて家に帰ろうと席を立ってマダムの方へ向かう。月明かりが部屋に溢れて綺麗だ。それを見てあの日のことを思い出した。
『先日は、素敵なお酒をありがとうございました。
そういえば、先日マダムが飲んでいたお酒はなんだったんですか?』
自然に口を出た質問に自分とマダムの距離がほんの少しだけ近くなったような気がした。
『私が飲んだのは、ゴットファーザーよ』
そう答えてマダムは少し笑った。
私は家に帰ってゴットファーザーのカクテル言葉を調べた。
「物事を両面から見て取れるスペシャリスト。」
運命の出会い
翌日は、本の続きが気になって仕事が終わるとすぐにあの図書館へ向かった。続きから読み始める。シリーズはあと3冊、この楽しい時間は、まだまだ続く。そのうち読み進めるごとに主人公の気持ちになっていく。今日はどんな人が来るのだろう。お客様が暖簾をくぐるとワクワクが止まらなくなる。お客様の話を聞いてから私も考える。私だったらこのお客様が希望する料理にどう味付けするだろうか…
本を読み終わるのにそう日数は、かからなかった。今日が4冊目。最後の1冊。終わるのが惜しくて丁寧にゆっくり読む。最後の1ページを読み終わり、充実感の中最後のページをめくる。そこには手書きのメッセージが書かれていた。
『週に1日だけお店貸します』
続く