女教師系AVこそが夢へのパスポート
教育こそが未来へのパスポート。
黒人公民権運動の活動に生涯を費やしたマルコムXの言葉である。
アダルトビデオ(以下AV)を拝聴し始めて間も無く一番最初に吾輩の中に衝撃を与えてくれた作品は女教師系AVだった。著作権の関係で女優の名前・作品名は伏せるがその艶やか且つ知的な雰囲気の女教師は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
現在AV定番カテゴリーの一つとして定着している女教師系AVだが、なぜ我々は女教師に性的欲求を抱くのだろうか。今日はそれを紐解いていきたいと吾輩思う。
ポイントは教師と生徒という社会的関係性である。
教師とは学業を教え導く人であり、生徒とは教えを受ける人である。社会的に確立されたこの関係の中ではお互いを恋愛対象という位置付けで見てはいけないというモラルがある。しかし知的で年上のお姉さんに興味を持つなというのは10代の思春期ど真ん中にいる若き青年団達には至極難しいことである。
吾輩の昔話に少しお付き合い頂くのである。吾輩が通学した学校にもいわゆるマドンナ的存在の女教師がいた。その女教師の担当が英語だった事で英語だけは得意になり、後に外国語大学へ進学する程に吾輩は心酔していた。可愛い同級生とは比べ物にならない何か特別な存在として位置付けていた。それは程度の違いはあれど吾輩の周りの若き青年団達も同じであったと思う。ただマドンナ英語教師は我々若き青年団を生徒としか見ておらず恋愛対象にはしていなかった。我々青年団からするとチャレンジする土俵にすら立たせてもらえない当時の状況に対してどこか鬱屈とした感情を知らず知らずのうちに抱いていたのかもしれない。
話を戻そう。女教師系AVとはそういった青年団の何処にもぶつけられない感情を浄化する『夢』なのだ。女教師系AVには大きく2つのパターンがある。1つは女教師を生徒が誘うパターン、もう1つは女教師が生徒を誘うパターンである。吾輩は後者の方に好感を抱く。前述した通り現実では女教師は青年団を恋愛対象として見ていない。それが女教師が生徒を誘う後者のAVでは青年団を恋愛対象として見る上に、お誘いまでしてくれるのである。これを『夢』と言わずなんと言おうか。
女教師系AVには必ずと言って言いほど冴えない男子高校生が登場する。この男子高校生は若き日の自分なのである。全男性の分身なのである。分身の姿を見て感情移入することで、本当は教師と生徒の関係を守るべきだというモラルを振り払う背徳感をリアルに覚えるのである。
背徳感とは『道徳や人としてあるべき道に背くことへの後ろめたさ』という意味である。我々青年団が背徳感を覚え、その状況に胸躍らせてしまうまでに頭の中で何が起きているか説明していくのである。
まず前述している通り、前提として社会には『女教師を恋愛対象として見てはいけない』というモラルがある。この時点で青年団の中には心理的リアクタンスの準備がされている。心理的リアクタンスとは、心理学者ジャック・ブレームが提唱したもので『人は自由を制限されると反発し、より自由に執着する』という行動パターンを表す心理学的な言葉である。読者諸君も入ってはいけない部屋や見てはいけない映像があると逆に見て見たくなった経験があると思うがそれと同じである。女教師とまぐわうというのはこの心理的リアクタンスの極みだと吾輩思う。心理的リアクタンスにより、モラルを破り女教師とまぐわう事を心に決めた瞬間に背徳感を覚えるのである。そしてその背徳感を女教師と共有しているということに盛り上がるのである。
話をまとめるのである。女教師系AVは前述した現実と夢との違い、そしてその世界に感情移入することで感じる背徳感を楽しむ夢のAVである。冒頭に書いたマルコムXの言葉を借りれば『女教師系AVこそが夢へのパスポート』なのである。
今宵、パスポートを持って夢の世界へ出かけてみては如何だろうか。
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