レズ〜水面下で懸命に泳ぐ白鳥〜

2007年新しいサービスが誕生した。レズ風俗というサービスである。今、このサービスを利用する女性が増えてきているという記事を読んだ。今回はレズ系AVについて書かせて頂く所存である。恥ずかしながらジェンダーレスの考え方をきちんと勉強した訳ではなく知識が不足する部分もあるとは思うが言葉に注意しながらレズというジャンルそしてジェンダーレスへの理解を読者諸君に持って頂けるヒントになればと思いここに記す事ご容赦願いたいのである。

まずはレズビアンの歴史から確認していくのである。古くは紀元前6世紀頃、ギリシャの詩人サッポーが女性同士の愛情を表現したところから始まる。サッポーの故郷レスボス島がレズビアンの語源になったと言われている。1270年頃に同性愛を違法とする法律がフランスで制定されて以降、一部地域での一時的な解放はあったが、1940年代頃まで同性愛者の方達は長い期間苦しめられていたのである。長い歴史の中で同性愛を理由に命を落とした方もいた。その中であっても性への解放の為に戦った方達がいる。

1931年というまだ同性愛への理解がなかった時代に女性との結婚を公にしたブルースシンガーのグランディス・ベントリー。レズビアンなどマイノリティに対する不当な扱いと戦った小説家オードリー・ロード。レズビアンの社会的な組織「ビリティスの娘たち」のニューヨーク支部を設立した活動家バーバラ・ジッティングス。アメリカで最も著名なレズビアンのカップルでありバーバラの所属した「ビリティスの娘たち」設立者、デル・マーティンとフィリス・ライオン。その他にも大勢の方々が性への自由の為に戦ってきたのである。

レズビアンの歴史を振り返るのはこのくらいにしてAV界においてなぜレズという男性が登場しない、いわば他のAVのように映像を通して疑似体験できない作品がジャンルとして成立するまで人気なのかについて考えていくのである。吾輩が思う最大の理由は『映像美』である。

今回は理由を論理的に書くことはせず吾輩の昔話より上記の理由に御納得頂ければ幸いである。吾輩の『レズ系AV』との出会いは中学生の頃である。当時の吾輩はレズという言葉の意味は存じ上げていたが実際にその関係性がどんなもので他のAVのようにエロと繋がることがあるのかと疑問を抱いていた。ある日、何気なくAVを拝聴していたところ、"学校の教室に女子高生が2人"というシチュエーションのAVに出会った。吾輩はその後の展開を、2人が服を着替えるタイミングで男子生徒が教室に入ってきてしまうハプニング系AVと予想した。しかし吾輩の予想に反し女子高生2人は恥ずかしそうに顔を近づけそのまま接吻をしたのである。そして互いに1枚ずつセーラー服という白い羽衣を脱ぎながら遂には一糸纏わぬ姿になってしまったのである。その間約10分ほどであったと記憶している。羽衣が柔肌を擦る音、接吻の際の息使いなど今考えると本当は聞こえていなかったのかもしれない音が当時の吾輩にはしっかり聞こえたのである。白い柔肌を絡ませ合い、愛し合うその映像はまさに芸術そのものであり吾輩は中学生ながらに最大級の美を感じてしまったのである。何年か経った後に、違う作品で上記の作品に出演していた女優を見た際に瞬時に"学校の教室に女子高生2人が絡み合う"映像がフラッシュバックするほど当時の衝撃は凄まじかった。エロとしての価値も勿論だが吾輩は他のAVにはないこの『映像美』こそがレズがジャンルとして成立している最大の理由と考えている。

まとめに入るのである。本当の意味でジェンダーレスが広まるのにはまだまだ時間がかかるものかもしれない。ただこの記事を読んでくださった読者諸君にはせめてジェンダーレスという考え方に少しでも興味を持って頂ければと思う。吾輩自身は男性であり、女性同士が絡ませる姿に美しさを覚えたが、AVを見る女性であれば男性同士が絡みあう姿に感動する方もいらっしゃるのではないだろうか。また男性が女性に、女性が男性というステレオタイプな考え方ではなく、男性が男性を、女性が女性をというように、同性の愛し合う姿に心動かされる方もいる事と思う。どんな形であってもやはり愛し合うという事は美しいものなのではないだろうか。

世間からの理解が十分でない中であっても、自分たちの愛を大切にしているレズの方達は美しいと吾輩は考える。言うなれば、水面下で懸命に泳ぐ白鳥なのである。白鳥が水面より大空へ自由に羽ばたく日が近い将来来ることを吾輩は切に願うのである。

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