可笑しな気分 

四月に入り、世の中は浮足立ちお花見などしながら、今年度は何が出来ようか、などと話している。私も例に漏れず広島市内中心部へわざわざ出向き、「桜、きれいだ……」と感傷に浸った。
このところは円もお安いようで、海外から訪れる旅行客が街を賑やかにしている。私は海外に友人を持たないが、こんな機会であれば一人くらいは作れそうな気になる。そうなったところで、かなしいことに彼と私の間には翻訳AIが同居するだろう。
急に雑文を記し始めたのにも、恐らく春這い出る虫の如く、急速に湧き上がるエネルギーが関係するのだ。いや私だけではない。道路には珍走団や明らかにうたた寝しているタクシードライバーが、危険極まりない運転をしながら、まあ。彼らも春の陽気にたたき起こされてびっくり、額に汗かきながら急に活動を始めた人たちだ。このような文章に意味を持たせようとは思ってもみない。指が自立してタイピングするだけのことで、私自身は午睡に励んでいる最中である。春のうたたねは心地よい。けれど一時間も眠ってしまってはむしろ吐き気を催すので不快である。気を付けねばならない。
最近、私には友人というものが少ないな、と淋しくなることがある。二十七歳になるわけだから当然周囲も仕事に育児に御多忙だとは理解している。とはいえ、淋しいものは淋しい。先月も友人二人を食事に誘って、当日の夜キャンセルされた。年度末だ、仕方ない。けれど両方ということがあるだろうか。春、楽しそうな人々を眺めながら、私は疎ましい存在なのかもしれないと沈思する。
昔から友人は多い方ではなかったじゃないか、まるでかつての人気が衰えたような口ぶりで語ってみるけれど、結局は少数とだけ交わる私からその少数が消えかかっているだけに過ぎないのだ。焚火が消えるのと蝋燭が消えるのとでは大違い。(どちらにせよ消えれば凍えてしまうのだけれど)。
とにかく春だ。天気の安定しない憎たらしい季節の珍妙なエネルギーが、私の心に働きかけているだけだ。塞ぎの虫、去る者は日々に疎し……。
今年に入って二回、佳作として採っていただけた。このところ活動が詩に傾いている。毎月の投稿と、二つ賞にも送った。昨年度中には終わらせるつもりだった中長編小説は156枚だが、まだお話としては序盤中盤である。つくづく長編は向いていない。集中力が持たない。今年初めに応募した短編はなかなか好きだ。結果ももうすぐ発表されるはず。あまり楽しみでない。落選は辛い。
内容に乏しい書き真似は終わりにし、そろそろ夕飯の支度をしなければならない時間である。今日は鶏肉を焼いて、そういえば味噌がない。中華スープにしよう。野菜も取らなければ。近頃視力が落ちる一方なので緑黄色野菜しっかりめに。
料理のこと、私は長生きしたい。以前はそう思わなかったのだが、少なくとも妻がこの世にあるうちは私も生きていたい。文字にしてみれば可笑しい事、私も淋しい存在ではなかった。春。可笑しな気分だ。桜の散る前にまた川べりでも歩こう。


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