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手紙の心配
十年来の友人に手紙を書いた。
中学を卒業してからそんなに経つか、と思った。
手紙には、あなたのような久しい友人を私がどれほど大切に、そして恋しく想っていたか、長々一枚使って書いてしまった。コンテクストを知らない、彼と私以外が読めばラブレターのように捉えられてしまうかもしれない。
私は手紙に書いたように、九十二歳の老体になっても互いの心の隅に置いておけるような友人が、有り体に申せば、欲しい。
それは今も年に一度か二度食事に行く三名の友もそうであってほしいし、でも昔を知る友人ならば何人いてもいすぎることはないだろう。
SNSの時代だから上辺の付き合いはいくらでも構築できる。ただ、ふとした時の喜びや悲しみを、小事を連絡できる友人がいてほしい。
中学生の頃、私は極度に寂しがり屋だった。
それというのも、母は離婚のため家を出たし、父に対しては他人よりも恐れ萎縮していた。兄とも関わりが少なく、私は和室に閉じこもるのが常だったからだ。
そのため、友人から遊びの誘いがあると即座に引き受けた。あの頃はよく友人の家へ泊りに行った。Ⅰ君の家へもK君の家へも、必ず同じメンバーで訪れてゲームや何やらして過ごしたのだった。
それがどんなに安らぎだったか理解してもらえるだろうか。
実家には家族に関心の無いイラつき性の父がおり、母の家には連れ子の私を忌む無職ヤニカス・パチンカスの間男がいるのだ。
信頼できる人に囲まれた部屋で、寂しくもなく怯えず、友人家族は親切にしてくれる。紛うことなき私の天国であった。
私が手紙を書いたのは、そうした頃の友人である。その中でも一番親密だったK君である。
今現在は知らないが、糸目で茶色い気味の髪の毛をしたK君である。愛嬌のあるサッカー少年のK君である。
手紙を出して、読んでくれるだろうか。読んでくれたとして、気味悪がられないだろうか。また友達になりたい。私の方ではずっと親友で、なのにインスタからDM送るのに一週間決心つかず、ようやくやり取りできた。今ではLINEもしている。
別に今の暮らしが寂しいわけではない。妻は変わらず愛おしいし、出会った頃よりも魅力は増していく一方だ。
今の暮らしは寂しくないが、けれど過去の暮らしが時々過って寂しくなる。私の天国にいる友人たちとお話ししたくなる。
親友、忌々しくも夏は今年も暑い。焼けるように、暑い。どうか健やかにお過ごしください。