【自分】その6【母にアセクシュアルをカミングアウトした】
母は直感がよく当たるというか、怖いくらい勘が冴えている人だったから、
「父と暮らし始めたの?働き始めたの?」
と連絡が来たときも、また直感かな?と思ったが、父から連絡が来て、どういう経緯だったのか聞かれたので、知ったらしかった。
それからは、たまにだけど、父、母、私の3人でごはんに行ったり、母と会ったり、交流する機会が増えた。
母は、父と私が喧嘩をして、収拾がつかなくなることを心配してくれていた。
飲み屋さんで働くことについては
「あなたは細かいところにすぐ気付くし、人当たりがいいから向いていると思う」
と言って応援してくれた。
私が働きはじめたことをきっかけに、また明るくなったと父は思っていたが、母は私の変化がそれだけではないと気付いたみたいだった。
「なにか新しい事はじめたの?」
どう返事をしようか迷ったけど、嘘はつかないことにした。
「〇〇っていうLGBTの団体の集まりに遊びに行ったり、交流会のお手伝いしに行っているよ。デザインの勉強してた事がいかせるし、自分と似てる境遇の人がいるから居心地がいいよ」
私がアセクシュアルということはその時は怖くて言えなかったけど、本当のことだけ言った。
その時は特にしつこく聞かれることも無く、よかったじゃない!と言われて会話は終わった。
母と会う時に、勉強になるよと言ってLGBT関連の書籍を渡してみたりしていた。少し理解の進んだ母から
「あなたはXジェンダーなの?あとからでもそうなるの?」
と聞かれた。その時の私は、性自認についてはまだ悩み中だった。
「私はXジェンダーではないと思うけど、共感する部分はあるよ。女の子らしい服とか嫌いだし。あとね、自分がXジェンダーだと思えば、それでいいみたいだよ。性別は自分で決めていいものらしいよ」
こんな感じで、その時持っていた知識を頑張って披露した。母も私も本が好きだったから、知らない分野を書籍で学んで話をする事は楽しいと思えた。母も熱心だった気がする。
母は交流会にも興味を持って、車で片道2時間以上かかるのに、何度か参加してくれた。
講演や研修にも参加してくれた。
「つらい経験をしている人が本当に多いのね」
「愛があればいいってわけでもないのね…」
など、色々考えている様子だった。
私は、今なら母にカミングアウトできるかも?と思って、自分がはじめて喋る側で参加する小さな研修に母を呼んだ。
基礎知識で、L、G、B、T、Q、と順番に説明をして、運営メンバーが自分はこれです。と言って、その流れで
「母にははじめていうけど、私はアセクシュアルです」
とみんながいる前でカミングアウトをした。
すごくドキドキした。母は一瞬びっくりした顔をしていた。
「母もXジェンダーです」
でも、笑顔でそう答えてくれた。
その場ではええー?そうなの!?とか、どよめきと笑いが起こった。
あの時Xジェンダーについて聞かれたのはこういうことだったのか!と納得した。
カミングアウトはうまくいった気がした。
今はね、アセクシュアルだけで1冊書籍があるような時代なんだけど、その時は[LGBT基礎知識]みたいな書籍の中に1行くらい説明があればいい方で、[他にもこんなセクシュアリティがあります]っていう一覧の中に書かれているか、記載もない書籍が多かった。
ネットを探せばアセクシュアルの方が書いたブログとか漫画はあったけど、そこにも、まだまだ認知度や理解度が低いと書かれていた。
カミングアウトしてからも、母とは以前と変わらず会っていたんだけど、母からアセクシュアルについて聞かれることがとても増えた。
母の知識の源は書籍とか新聞だから、仕方がないのかなと思って最初のうちは、聞かれたことに丁寧に答えていた。
たぶんだけどね、母は私がアセクシュアルが故に経験してきた辛いことまで考えが及ばなかったんだと思う。
アセクシュアル=恋愛をしない人=誰ともお付き合いしたことが無い人=子ども
みたいな式が出来てしまっていたみたい。
「愛されることが素晴らしいとは思わないの?」
「自分の事ことを愛してくれる人がいたら、変わるかもしれないでしょう?」
「愛や恋を知らないと子供のまま」
こんなニュアンスの言葉を会う度に言われる。
私は、アセクシュアルだけど、男の人とお付き合いしたことも何度かあるし、学生時代に女の子に襲われかけたこともある。
愛されたことが無い訳でもないし、誰ともお付き合いしたことが無い訳でも無かった。
「私はそうは思わない」
「私はそうじゃない」
くらいのことしか母には言えなかった。
どうしてこういう時には、母の直感は働かないんだろうなぁと思っていた。
ゆっくりじっくり、時間をかけて話していけたらいいなと思っていたんだけど、それよりも早く、母にカミングアウトした事が後悔へ変わっていった。
母の思考や発言には、ポリアモリーだからそういう考えになるのでは?と思うところがたくさんあったから、ポリアモリーについてのネットの記事を印刷して渡した。
母は渡したその場で読んでくれた。チラッと読んだだけで袋にしまったけど、思うところがある様子で
「ポリアモリーっていうのがあるのね…」
と、つぶやいていた。
会った時の別れ際に渡したからか、その後は母とポリアモリーの話になることは無かった。
その直後くらいに、私が父と激しめのケンカをしたから、話題にならなかったのかもしれない。
激しめのケンカの理由も含めて、母は、私が父とうまくやっていけない理由のひとつが、カミングアウトをしていないことだと考えたのか、父にもLGBTの団体で活動していることを言うのと、カミングアウトをすることをすすめてきた。
でも、私にはそれが良い選択だと思えなかった。選択肢にもならないと思っていた。
「ちゃんと話せば分かってもらえる」
と言われた。
母に話していないことがたくさんあるのに…。
母も分かってない所がたくさんあるのに…。
母から言われても、説得力がないなぁ…。
私は心に抱えたモヤモヤが、黒く大きくなっていくの感じた。
母と会う事が苦痛になっていたが、こんなことで祖母みたいに縁を切ってしまうのは良くない、逃げないでちゃんと向き合えと自分に強く言い聞かせていた。
結局ね、その1年後くらいには、父との関係がダメになっちゃったのをきっかけに、母とも離れてしまう事になった。
その話はまた今度。