虐待の連鎖
よく言われている言葉に
「虐待の連鎖」というのがある。
元夫は長男に虐待をしていた。
何度も何度も、暴力はやめて欲しいとお願いした。
警察が介入するほどの大事になり
子どもたちが避難して警察が帰って
私と2人になった時、夫は私にこう言った。
「俺はなんてことをしてしまったのだ」
私の認識では
「自分がしたことの重大さに気がつき反省している」
気持ちから出た言葉だと思った。
が。
違った。苦笑。
元夫は
「警察沙汰になるような自分に落ちぶれてしまった」
と思っていたのだ。
自分軸でしか物を考えられない人間だった。
元夫は、実父に虐待を受けていた。
元夫の家庭は
「暴力を振るうお父さん」
「暴力を我慢するように諭すお母さん」
で、成立していた。
「専業主婦だから、生きるためには、しかたなかったの。」
と、元夫の母親は言っていた。
クソだな。
と思う。
時代かもしれない。
弱さだとは思う。
けれども。
「生活するためだから我慢しなさい」
「お父さんが持ってくるお金のために、暴力を我慢しなさい。」
と、子どもに諭すような母親。
クソです。
その母親に育てられ
「子どもは父親に養ってもらっているのだから
父親の思う通りに動くことは当たり前。
父親の思う通りに動けなければ
父嫌に殴られるのは当然」
と深層心理に刷り込まれている人間が父親になったら
当然、暴力で子どもを言いなりにしようとする。
わかりやすい!苦笑。
でも。
子どもが幼くて、言うことを聞いている間は
そんな姿は見せないんだよね。
いいお父さんでした。
連れ子の長男とも、日々楽しく過ごし
時には厳しく、時には優しく、世間を教えてくれた。
いいお父さんでした。
が。
息子が自分の意思で生きようとし始めたとき。
「いい成績をとって高学歴で高収入に会社で定年まで働くこと。」
という
元夫の走ってきたレールから
息子が外れようとしたとき。
許せなかったのでしょうね。
元夫の小さい器には収まらない息子を
暴言と暴力で軌道修正しようとして。
警察沙汰。苦笑。
警察沙汰になったのはどうでも良かったが
息子の心を激しく傷つけたことを
私はどうしても許すことができなかった。
連鎖だ。
なんて
諦められない。
目の前の子どもは
心の中で、血の涙を流していた。
元夫は、良いお父さんだった。
愛情も深かった。
家族を愛していた。
でも。
虐待をしているという自覚がなかった。
自覚がない人間は
反省もできないし、成長もできない。
家庭をなんとか保ちたくて
数年話し合いを重ねたけれども
結局、「自分のしていることは虐待だ」
という自覚に至らなかった元夫を
私は捨てた。
でなければ、子どもたちが壊れてしまうから。
元夫を捨てて子どもを守ったことを
私は一生後悔しない。
連鎖だなんて、甘えたこと言ってないで
いますぐ目の前の虐待を止めなければならない。