沖縄の基地辺野古移設の対案
沖縄の嘉手納基地の移設は、辺野古沖を埋め立てる案で国会の議決も得ているが、最近では、地盤が軟弱だからと法外な追加予算が計上されるという報道を耳にした。無論、沖縄側の反対意見はそれ以前の「辺野古移設」に遡って、根強い反対闘争が繰り広げられている。その活動部隊の大半は本土からの過激な左翼の面々である事もとっくに報じられている。つまり、本当に沖縄本土の住民が基地移転を反対しているとも言えず、どうも政治闘争の道具にされているとも見える。
この沖縄基地移転に関しては、確か、20年以上も前から地元企業や自治体への補助金が国費で支払われている。受け取るものだけは受け取っておいて、いざ、具体的な工事となると、又蒸し返してあらゆる手段を講じて反対闘争を仕掛けて来る。こんな事では何時になっても基地問題の解決にもならないし、まして、沖縄が独自の発展をする事も中々、現実化の風潮が見られない。単に、北海道と沖縄だけに特別な予算をバラ撒き続ける程、日本の財政も余裕が無くなって来ている筈。
其処で、建築家として全く別な発想で海洋基地建設の提案をしたい。
そのモチーフは、1975年の沖縄海洋博のパビリオンとして、建築家菊竹清訓氏が設計した、「アクアポリス」である。この建造物は海洋に浮かばせた高さ30M縦横100Mにも及ぶ鉄骨造の建物である。海底の岩盤から鎖で建物を繋ぎ止めて移動を押さえている。軍事基地の機能から見ても、ある程度の揺れは許容されるし、空軍用の滑走路は発着と帰着が出来れば良いので、海洋に浮遊させる建造物で充分で、何も、貴重な珊瑚礁の海を態々、埋め立てるなどの発想自体が陳腐、まして、「地盤が軟弱だから追加予算が必要」等と言うのは、またぞろ、オリンピックの施設を悉く追加予算を出させたゼネコンの悪智慧に過ぎない。海を埋め立てる必要性など最初から在りはしない。建物の荷重は杭に持たせるのだから、埋め立てる土は、単に間を埋める為だけの物、それならば杭を柱に使うとか、浮き構造にして杭を省略するとか、海洋に建設するならば、それなりの工夫が必要だろう。単に軟弱だからと予算が跳ね上がっているが、支持地盤が深くなったとしても、杭長が延びるだけなのに、そんなに高額が工事費が発生するなどは、事前の地質調査も好い加減だったという事になる。兎に角、国家予算だからと言って無駄な莫大な予算がいとも簡単に承認されるのには納得がいかない。
本当は、現時点の計画建設費だって格段に低減できる可能性だって幾らでもあるのではないか?
海洋に浮き構造で建設すれば、貴重な沖縄の海洋資源を全く損傷せずに、基地と自然を融和できるではないか。
嘉手納基地を移転させたら、基地の後には海洋大学や観光に特化した大学や国際大学を誘致して、日本本土にはない国際交流と観光を兼ねた沖縄の「町おこし」を完成させ、他の県と別格の補助金頼みの経済運営を改める事。
アクアポリスは当時は世界から注目された、夢のある建築でした。私も家族でパビリオンを見学させて貰いました。揺れなどは全くなく100メートル四方の建造物なので、兎に角広いですし、海底水族館も沖縄の魚類や珊瑚などを堪能しました。
今はスッカリ斜陽となった日本の造船業が、当時は世界最高の技術を持った三菱重工業。他、川崎・石川島播磨・日立(造船)・住友・他、日本の錚々たる会社が創り上げた夢の海上都市でした。
<海上実験都市アクアポリス>
「あれこそが海上都市なのだ」ウチナンチュ-は言った。
驚いたような表情で彼女に視線を向けたナイチャ-に、沖縄県民は再び言った。「いいか悪いかは知らない。だけど良く覚えておいて。あれこそが海洋博のシンボルなのだ。絶対に忘れないで」/沖縄昭和史 外伝第一巻「海の上に聳える白金の城」
九州 沖縄 沖縄海洋博 技術 造船 沖縄県 アクアポリス土木
リンク Wikipedia 沖縄国際海洋博覧会 沖縄国際海洋博覧会(おきなわこくさいかいようはくらんかい)は、沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期、1975年(昭和50年)7月20日 - 1976年(昭和51年)1月18日をもって行われた国際博覧会(特別博)。略称は「沖縄海洋博」「海洋博」など。 「海-その望ましい未来」を統一テーマとし、日本を含む36か国と三つの国際機関が参加した。会場規模は、100万m2(うち陸域75万m2、海域25万m2)であった。期間中は県内の至る所に「めんそーれ沖縄」と書かれた歓迎の
>沖縄県の本土復帰記念事業として沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日 - 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会
>展示施設の中でも最大の目玉とされたのが、未来型海洋都市のモデルとなる人工島「アクアポリス」であった
リンク Wikipedia アクアポリス アクアポリス (Aquapolis) は、沖縄国際海洋博覧会(海洋博、1975年7月19日 - 1976年1月18日)で日本政府が出展した「半潜水型浮遊式海洋構造物」である。 世界初の海上実験都市として、また未来の海上都市をイメージして建造された構造物で、海洋博のシンボルとしてメイン会場ともなった。 プロデューサーは手塚治虫。設計は菊竹清訓建築設計事務所、日本海洋開発産業協会。半潜水型浮遊式という構造をなすことから「世界でも例を見ない」施設として当時注目されていた。 100 m四方の海上都市で、当時、国に
>世界初の海上実験都市として、また未来の海上都市をイメージして建造された構造物
アクアポリスをご存知無い方へ。 かつて沖縄海洋博覧会の為に130億円近くをかけ建造された「海上都市」 http://bit.ly/9RE2aF http://bit.ly/9Eok2S 100m四方、高さ32m
アクアポリス:総括造船所…三菱重工業。他、川崎・石川島播磨・日立(造船)・住友・他、日本の錚々たる会社が創り上げた夢の海上都市・・・でした
今更)1970年大阪万博「太陽の塔」は高度経済成長のシンボルとしてあまりにも有名なのに、僅か5年後の沖縄海洋博「アクアポリス」は全くと言って言い程後の扱いは無い(話題・模型的に)更にスクラップとして曳航。精巧な模型は当時の記念品のみ?
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