日記:20241016「せまい巣箱でひまわりの種をほうばり満足しているハムスター」
「そのうち自分のかいた小説がベストセラーになり億万長者になるかもしれない」
一日休んだらきぶんがよくなった。きぶんがよくなりすぎておかしなことまでかんがえた。それが最初の文章。小説をかいているひとならいちどはそんなことをかんがえるものだ。全く売れそうにない小説をかいている自分でもそういう妄想はときどきする。
もしなんらかのかたちで成功して億万長者になったとしたらどうだろう。すべてがかわるようなきもするが、意外と、なにもかわらないようなきもする。自分はいまとかわらず押入れのようなところにひとりでこもるだろうし、こもりたくなるだろう。ちなみにいまも押入れのなかでこれをかいている。お金があろうとなかろうと成功しようとどうしようと自分は自分でしかない。そういったものでかわるのはまわりだけであって。
たとえばハムスターに大金をあたえたり社会的成功なるものをあたえたとしても、ハムスターがおちつくところはあんまりかわらないだろうし、結局、せまい巣箱のなかでひまわりの種をほうばるだけだろう。自分はよくもわるくもこのハムスターみたいなもので、簡単にいえば小物っぽいところがあるのだとおもう。
というかたいはんはそんなもんじゃなかろうか。欲深いようでそうでもないというか。こじんまりとした生活でも案外満足してしまうというか。失敗/成功、敗者/勝者、弱者/強者みたいなかんがえかたはわかりやすいけど、歳をとればとるほどそんなものはかんがえかた次第でしかないようにおもえる。
成功したい、勝ちたい、強くなりたい……こういうかんがえかたもきらいではないし、ときにそういう物語で自分をもりあげてみることもある。しかしそもそも自分の創作の動機はそういうところにない。だからそういう物語は嘘になる。
それにくわえ自分のなかには「せまい巣箱でひまわりの種をほうばり満足しているハムスター」がいる。じゃぁなにをもとめてこのハムスターは小説なんてかいてるんだろう。そんなことまでかんがえたらどこまでも長くなるからやめよう。
……こんなふうに中断される。かんがえごとは中断されるだけで結論があるわけじゃない。結論なんてだしたところでそういう結論もかわる。結論は旅の途中でとまる仮宿みたいなもので夜があけたらどうせまた旅をすることになる。
よみかえしてみたけどよくわからないな。寝るまえにだらだらかいてるからこんなものになるのだろう。もしかするとこっちのほうが小説よりも本当のことをかいてるかもしれないな。ぼんやりしているからこそ。ここまでよんでくれたひと(いるとしたら)ありがとう。おやすみ。
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