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日記:20241103「完成にたいする抵抗」
ひとつの物事に長いあいだとりくむことがある。執筆中の総合小説にしても10年くらいかけている。即興的に制作するのもすきだ。ぱぱっと。出来はどうあれ頭にあるものを形にするとすっきりする。
頭のなかにあるものをすべてそとにだしたい。あらゆる方法をためしたい。延々と試行錯誤していたい。大量の失敗作をつくりたい。しかしそういうやりかたは効率がわるい。
効率もなにも、自分はおそらく完成をもとめていないんだろう。完成して硬直するくらいならたえまなく変化する未完成でありたい、成熟をどこまでも先延ばしにして未熟なままでいたい、おそらくそういうことなんだろう。要するに幼稚なところがあるわけだ。
自分は気分屋なのでAをするとBをしたくなり、BをするとCをしたくなる。できるかぎり矛盾していたい。これにしたって幼稚といえば幼稚なんけど、ふりかえってみるとおなじことばかりしているようにもみえる。まあそんなもんだろう。
なんにせよこうした自分の幼稚な性分はそのまま自分の作品の様式としてあらわれている。要するに、完成にたいする抵抗、成熟の拒絶あるいは延期、矛盾の包摂。
自分の人格や思想や様式はかなりかさなりあうところがある。生きかたがそのまま芸になるというか。
ドストエフスキーにしてもピカソにしても最後の最後まで完成されてない。いつまでも試行錯誤しながら格闘している。ふたりとも失敗作だらけだ。ダ・ヴィンチにしてもその作品のほとんどは習作ばかりで完成している作品は数えるほどしかない。あんなかんじがいい。