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日記:20250125「人生は無料のサービスに奪われる」
昨日宣言したとおり、今日から早朝4時に起きて小説をやる予定だったのだが早速寝坊した。7時に起きてそれから10時まで推敲をすすめた。明日こそ4時に起きるために今日は早寝したい。しかし夜21時から《思想・哲学・文学・芸術の会》のイベントがある……。どうしたものか。
夜更かしがあまりすきじゃない。出来るだけ夜20~21時くらいには布団にはいっていたい。というわけで今日は布団でよこになりながらイベントに参加することにした。スマホで。途中で寝たとしてもしかたないだろう。
最近無料のゲームをやってしまう。忙しいといいながらも毎日1~2時間はゲームに浪費していたとおもう。そうかんがえるとやはり時間はある。「時間がなくて〇〇できない」なんていうのは自分で自分を騙すための嘘なのだ。というか「忙しい」だとか「時間がない」という感覚のはんぶんくらいは錯覚だとおもう。自分で自分の行動を記録してみると、集中して作業している時間はそんなにないことがわかる。というかそもそも人間は1日に6~8時間くらいしか集中できない。10時間、12時間、作業していたつもりでも、実際には6~8時間集中すれば終わるような作業をだらだらひきのばしてやっているだけだったりする。それにいまはAIなど作業を効率化する技術がやまほどある。週6日でしている仕事も本気で効率化すれば3日でできるだろう。もっというと必要ではない仕事も結構あるにちがいない。これらふまえるとやっぱり週休3日は余裕なのだ。週休4日も夢ではない。骨丸教徒諸君よ、想像してみてほしい、週休4日の生活を、週休4日の社会を、週休4日の世界を。
週休4日はすこし休みすぎかもしれない。とりあえずは週休3日が目標だろう。ここではなしをもどそう。ゲームが無料であることの危険性について。
コンピュータゲームは最初有料だった。ゲームセンターにあるゲームは1回プレイするごとに100円課金しなければならなかった。だからだらだら毎日何時間もゲームするなんてことはできなかった。たかが100円、されど100円である。当時のゲーマーたちは1回1回真剣にプレイしたにちがいない。あのころのゲームなんて現代の水準からすればおもしろくもなんともないが、それでも、当時のひとたちは充分にたのしんでいたはずだ。
それがいまではどうだろう。無料でいくらでもおもしろいゲームが入手できてしまう。これがよくない。無料のサービスほど人間の命を奪いとるものもない。まず、無料だと本気にならない。ひとは簡単に獲得できて無料で利用できるものを大切にしない。
無料のものは有料のものにくらべて質がおちる。それでいて無料だから長時間だらだらやってしまう。時間はなによりも貴重な資源だ。しかしひとは金がかからない無料のサービスにその資源をどばどば注ぎこんでしまう。「どうせ無料だから」と油断して時間を浪費してしまう。有料なら価値があるかどうかを真面目に判断するが、無料だとそうした価値判断すらしなくなる。だから無料は危険なのだ。ひとの1時間には最低でも1000円くらいは価値がある。どうせなら1時間1000円はらえるようなサービスに時間をさいたほうがいい。
……ここまでいうと大袈裟だけども。