バイトをしていた時の苦しみ 前編
おはようございます。アルゴンでございます!
朝日がとても気持ち良い朝でした。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
最近朝早く起きることが多くて・・。いつも投稿時間がバラバラという・・
投稿時間位統一しとけよ!と少し思う自分がいます。
まあ、そんなことは置いといて、本題に少し入ります。
皆さんバイトしたことありますか?
私1回あって、自己紹介でもあった通り、私高2まで普通の学校に行っていて、高3で通信に行ったものです。高卒です。(自己臭症が原因)
高2まで通っていた高校はバイト禁止だったので、バイトしていませんでしたが、高3に行っていた頃はバイトOKだったので、バイト一回でもしてみようかなと思いました。
ちなみに予告辺りらへんから見る方がおススメです。バイト面接失敗した所から始まるのですが、そこで何かが起きるという訳でもないので・・。
それに予告から少し苦しいなと感じる所があるからです。
バイト面接失敗したとき
私は近くのかっぱ寿司で働きたいと思っていたんです。
理由は
お寿司が好きだから、賄いあるから食べたい
という単直な理由でした。
両親の返答はこちら
父 いいじゃない?
賛成だった。バイトは経験にもつながるし、やってみようよと結構父親は乗り気でした。
母 駄目よ、自己臭症が悪化するだけよ!!
母親は反対でした。
自己臭症は治っていない。でもその頃は収まっていた。通信の学校では、当時、開校だったので、人数も少なかったし、そして来る人も数人という極めていい状態だったんですよ。
環境って大事だなと思いました。
例えば、皆さん、南極にいる野生のコウテイペンギンがアフリカやフィリピン辺りの赤道近くに住め!と言われ、住んだら、野垂れ死にますよね・・。
ちょっと例えが大袈裟だったかもしれないですが、環境が合わないと人って壊れるんです。我慢していると・・。そこから逃げないと駄目なんですよね・・。
例え、どれだけいい仕事でも環境が合わなかったら、駄目になるんだなって学びました。バイトでの苦しみを得て。それが次の記事で明らかになります。
母親は私が自己臭症で苦しんでいるのを一番近くで見てきた。
通信勧めてきたのも母親だったんです。
元々中2の頃おならで悩まされていた時に通信行ってみたら?と母親から言われましたしね。そんくらい病んでいたんですよ。
でもこの時、私は志望校があったから断っていました。
その会話もいづれかお話ししようと思います。
多分母親からの立場からすれば、これ以上苦しんでいる姿を見たくなかったんだろうな・・と個人的な解釈です。
間違っていたらごめんなさい。
高2の段階で高3でもう、これ以上体が持たないと思い、色々葛藤(友達の事がデカイ、いい友達がいたし、何より部活少しの期間楽しみたかったという思いが強かった)もありましたが、自分の体の面や心の調子を考えて辞めたんです。
そして、通信に行き、安心して行ける事が出来ました。
やはり配慮されるって違う!それに人数が少なかったのもデカい!
あ、勿論その高校でも配慮してもらったけど、人数多いのやっぱり駄目だし・・。そこがデカイですね。私にとって。高校自体は本当悪くはないです。本当に。配慮もしてくれて、心配も色々かけさせてくれて・・。
時には励ましや1年の時の担任の先生にはたくさんの言葉をかけさせていただいて、本当に有難かったのですが、自分の体の面を考えて途中で辞めました。
通信の時は、午後は一人の時が多かったし (午前中で帰る人が多い)
それと+先生一人だったので、私にとっては居心地が良かったです。
だからこそだったかもしれない。楽しく学校(通信)に普通に通っているのを見て、母親は安心していた。
でも、このバイトのきっかけでまた自己臭症でまた彼女を苦しめたら?と多分思っていたんだと思います。今の私の考えで。
当時私は、そんなこと微塵も感じていなかったし、自己臭症治まっているから何とかなる!という気持ちの方が大きく、母親の気持ちや思いを受け止めていなかった。
そんな母の反対を押し切り、面接を受けた。
そして自分の希望する時間帯や曜日を受けて、後は年末とか、お盆は働けるのか?といったことを聞かれました。
中々届かない電話
電話が1週間経っても来なかった。調べてみると、やはり、直の人はいないけれど、2,3日くらいか、早い人だと1日で採用される。
多いのは数日らしいです。
それで電話してみたら、朝の方で働いてみないか?と言われました。
朝の方が人数少なかったらしい・・電話の会話そこまで覚えていないですが、朝の方が少なかっただと思います。
その頃、朝起きるの弱いし、苦手だし、そこまでなら、する気ないと思い、
私 流石にそれは少しちょっと都合もありますし、申し訳ないですが・・
そう答えました。
そしたら、
残念ながらですが、不採用とさせていただきます。
別に不採用でも良かった。だって、もう1週間経って、バイトする気が無くなってきた頃だったから。
ちょうどその場にいた、母親に伝えました。
母 そう、良かった・・。いいよ、無理しなくて
母親は私の不採用にホッとしていました。
経験にはなっていないですけど、今思えば、やっていなくて正解だったと思っています。
その正解だと思った事実は予告で少しだけ明らかになります。
予告
先に言っておきます。皆さん年末辺りに年賀状書く人いますよね?
友人や親せき、私の場合、祖母や祖父に送るのですが・・。
友達の場合、ラインで済ませることが多いです。
年賀状の仕分け。
最近は私みたいに、ラインとか色々メッセージで送る人も増えて、年賀状書く人減ってきてはいるのですが・・。
そういう仕分けする郵便のアルバイトをしていました。
コミュニケーションが必要って訳でもない、ただ、単純作業。
バイトを最初にやるなら、これがいい!!バイトを始める人にとってはうってつけの仕事。
人気だし、もう応募しないと多分取られると思ってネットで応募しました。
母親は経験したことあるらしい。
母 単純作業だし、バイトこれ一回経験してみたら?
こんな心配性で一番見てきた母親がおススメしてきた。
それにバイトしてみたい!そういう思いでバイトすることになった。
だが、それが悪夢になるのは次の話でお話ししたいと思います。
絶対長くなるから・・。
え?そんで挫折すんの?と思うかもしれません。
私も当時思っていた。面接の時全部受けますと言ったしね。
それぐらい自己臭症の症状が治まっていたし、何とかなるだろうって
でも、考えが甘かった。自己臭症の恐ろしさをまた経験するなんて・・と。
自己臭症さえ、この時なかったらここまで苦しむことも多分淡々とこなしていたんだろうなって。
次の記事で自己臭症の恐ろしさが分かると思います。
想像以上に多分、え!?ってなる方が多いと思います。
就労移行支援の仲の良い友達のバイト
就労移行支援の子達の仲の良い子達はバイトをしていたらしく、
一人は飲食店、もう一人はほっともっとで働いていたそうです。
もう一人の方(ほっともっとでバイトしていた子)はパニック障害を持っています。そうなった経緯はちょっと語るとあれなので、お話ししませんが・・。それでも働けるって凄いなって思いました。
バイト挫折していたんで、私。
私からしてみれば、
普通にえ?働けるじゃないの?
と思っていた。
他の皆もバイト経験が多く、凄いなって思いました。そのことを両親に伝えます。友達のことは言っていませんが、就労移行支援で働いている子は結構バイト経験者が多かったことを話しました。
結構自分にとって疑問だなとか、おかしいなとか、悩み事は結構両親に頼ることが多いです。
私 私の場合、バイトさ、あれだったけど、他の皆続けられているから、
普通に働けるじゃないの?
返答はこちら
母 バイトと仕事は全然違う
父 うん。バイトの場合、責任持たなくていいけど、仕事の場合、
正社員として働くから、責任もって働くから、バイトと仕事は
別物だよ。バイトで働けたからといって、仕事で働けるかどうか
なんて分からない。仕事の方が圧倒的に辛いし、バイトの場合、
好きに逃げることができる。でも仕事の場合、そう簡単には出来ない
仕事でも正社員だけではなく、派遣や契約社員とかもあるけど、それでも面接だったり、そういったことがバイトとは全然違うとも言っていました。
私も全然経験したことない世界だから、分かりません。何かこういうの違うよという方いたらコメントお願いします。私世間知らずなんで・・基本。
そして話が変わるのですが、自己臭症で悩まされていた時の心の叫びを言います。言いたい!
羨ましかった!鬱にかかる前だったけど、匂い気にしなくていいって
普通に授業も行ける、バイトも多分いけていた!
別に怒られている訳でも、注意されたわけでもない!
なのに、何でこんな苦しまなきゃいけないの?と思いました。
次の記事でその郵便で働いていた私の自己臭症の恐ろしさと一応最後までバイトやり遂げましたが、辛かったことを詳しくお話ししていこうと思います。
また、長文になってしまったΣ(・□・;)すみません、本当。
ここで締めくくろうと思います。次の記事で詳しく書きます。
最後まで見てくださってありがとうございました😊
次の記事でお会いしましょう!