欲と純粋な好きのちがい
周りにあわせて流行りのお店へ行った。
本やブランドものも買った。
みんながいいと言うから
同じ音楽を好きにならないといけないと思った。
子供時代はそれがわたしの正解だった。
そうしているうちに気づいたら自分の気持ちが
強く惹かれたときの
心の行き場がなくなってしまった。
もっと自分の気持ちに素直に生きたかった。
でもそれが良いこととは
誰も言ってくれなかった。
わたしは結局受け身まま今まで生きてきたのだと思う。
転職をしたり、知識を得たり、
環境を変えたいと決めるときはいつも
変わりたいという気持ちがあって
それが満足したことは一度もなかった。
そしてそれは今も続いている。
自分で決めた道なのに、
いつしか流されることに対して違和感を持つことも、
諦めようとしてた。
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とまあ、このなんともネガティブな記事は
半年前の迷走してる時期に書きました。
めちゃめちゃ迷った。
会社でも否定されて、
仕事も思った通りに進まず、
まあ、それもまた半年続くんですが(笑)
今思うのは、違うぞと言いたい。
確かに押さえつけられて
否定されることがたくさんあったけど
それはわたしがそこで生きたいと願ったから。
仲間はずれになりたくないよりも
この人たちと生きたいと思ったからの行動で
自分で選んだものを今更否定するなんて
悲しすぎる。
でもそれがあったからこそ
そういうものがわたしに合わないとわかったし、
わたしの本当の要求が見えるようになった。
境地にたたされないと見えないものって
たくさんあると思う。
そしてその経験を通して大きくなる希望は
自分の進む道の方向性を明確に照らしてるから
安心して迷えよ、とも思う。
わたしの道を作るのはわたししかいなくて
流されても
わたしが生きてる限りは
自分の要求が
好きなものへの熱意がわき出てくるから
安心して体当たりしまくればいいんじゃないかな?
押さえきれないものは押さえつける必要が
そもそもないのかもしれない。