夢の中にいた4年間
4年間夢の中にいた。
高校からずっと夢見ていた憧れの職業を4年間も続けてこれた。
自分の努力だけでここまで続けることは難しく、周りの方のご縁としか言いようがない奇跡のような時間だった。
■きっかけ
きっかけは本当に些細なことだった。
私は中学3年生からアメリカンフットボール部に入部した。
中高一貫校でそのままエスカレーター式で高校へ。
そのまま部活動も続けて行きながら、のちに職業になるトレーニングに励む毎日。
トレーニングをしていたのは単純に「強くなりたかった」から。
毎年チームは一回戦負け。練習試合でも負けることが当たり前。
そんな状況が嫌だったし、先輩に負けるのも嫌だった。
そんな状況を変えたくて
「身体をデカくしよう」「パワーをつけよう」
そんな単純な思いから筋トレの本とプロテイン、白米とおかずがたくさん入った弁当と共にトレーニングをし続けた。
毎朝学校で教室に先生が来るだろう時間までトレーニングルームに篭り、
毎晩練習の後、警備員が校門を閉鎖するまで練習終わりの疲れた身体に鞭打って自分の身体を追い込んだ。
辛いことばかりの日々だったが、結果この努力が身を結び
先輩にも勝ち始め、大会でも2回戦出場
自分でつくったハードシングスを乗り越えて掴み取ったことが多かった。
そんな中、ある練習の時に
得意のトレーニングを率先して後輩に教えていたところを見ていた先輩に言われた言葉が自分の将来を決める一言となった。
「酒井、お前トレーナーみてーだな」
今でも覚えている。
この瞬間に「あ。それいいな」と思い始めた。
気づいたら本屋で「スポーツの仕事図鑑」という本を買い、
貪るように読んでいた。
最初は何をやるのかなんてわからなかった。
ただ
「自分がやってきた努力をもっと効率効果的に誰でもできるようになれば、みんな喜んでくれるはず」
そんな思いだけはあった。
自分だけの成功はつまらない。みんなハッピーになれればそれだけで幸せ。
その言葉を原動力に大学に進学したが、トレーナーになるか迷った結果、サラリーマンとして働いた。
そして全てを失った。
■何者でもない自分に毎日少しでも1を足していく
会社員を辞めたあと、しばらくはバイトをしながらNLPの資格講座の受講、独学でS&Cコーチの勉強、読書をしていた。
底にいる自分は何もない人間だと自覚していたし、プライドもなかった。
バイト先は往復3時間かけていき、月収は税金のかからないギリギリまで。
極貧の生活だったが、仕事をできているだけでもありがたかった。
資格講座に独学での勉強、日々の内省
何者でもない自分に毎日少しでもいいから1を足していく日々。
1年目以上にきつい環境だったし、もがき苦しんでいることには変わらない。
ただ、自分には叶えたい夢と代え難い意志があった。
その気持ちとビジョンだけが自分を日々活かしてくれた。
そんな日々を変える出来事が訪れた。
知り合いから「どう?」とお話をいただいた。
「いやいや。まだまだ私はひよっこです笑。他の方がいればその方にまわした方がいいですよ」
その強豪校はあまりにも有名で場違いだと思い、断った。
ただ、別の知り合いからも同じようなお話をいただいた。
「インターン探しているみたいなんだけど勉強も兼ねてどう?」
その時私は思った。
「どうして私なんかに?」
能力もないのにどうしてお話をくれたのかを2人に聞いた。
口揃えてこう言った。
「真面目にやっているし、酒井くんだったら安心して紹介できる」
何者でもないし、ただ必死にやってきた自分なのにそのように言ってくれるのはありがたかったのを覚えている。
これも何かの縁だろうとインターンの話をいただいて無事に面接もその場で合格。資格講座、独学での勉強、バイトにインターンが加わった。
■見てくれている人
インターンでの生活もまたハードシングスだった。
週1だったが始発の電車に乗り、夜の10時に帰る。
通勤代は出るものの無給でのインターンでお金は発生しない。
それでも行けば必ず学びがあり、勉強しているだけでは身に付かない現場の重要性を肌で感じ取ることができた。
何よりも自分が夢だったトレーナーを無給でも体験できたのは良かった。
「やっぱり楽しいな」
より勉強や日々の吸収に拍車がかかった。
わからないことは即調べたり、聞く。
週に一度しかないこの機会を逃すまいと貪欲に学んだ。
できることが増えたら新しい仕事をもらえないかを打診する。
いつものルーティンワークがあれば先回りで準備する。
日々のインターン業務は仕事はお金をもらうことが全てではなく
今後のための経験や成長の機会もくれるものということを教えてくれた。
そんな中事件が起きた。
突然のことで在籍していたチームは混乱した。
かなり重要な仕事を任されていたのでチーム運営にも響いた。
私も驚きと共に急に先が真っ暗になった。
もともとはその人の下で働くという理由でチームに在籍していた。
いる理由がなくなってしまったのだ。
ただ、自分にとってインターン期間でやるべきことが明確になり、次のインターン先も探していこうと考えていた時、当時のHCから一本の電話が来た。
電話の内容は今回このような状況になったことの事情説明と今後の方針説明だった。チームは今後のプラン変更をしつつ、新しいS&Cコーチを探していた。その話が終わった後、今後の自分についての話が出てきた。
「アキラが良ければうちのチームのS&Cコーチをやらないか?」
驚いた。どうして私なんだ?理由を聞いた。
「今まで直下で働いていたことと無給でもチームのために貢献していた。そのことは選手もスタッフも全員見ているし、知っている。アキラなら安心して任せられる」
その言葉を聞いて涙が出てきた。
何者でもない人間なのにこんな機会をいただけたこと。
また、純粋に貢献したいと思って行動していたことが届いていたとは微塵も思っていなかった。
「ありがとうございます。ぜひやらせてください!」
夢が始まった瞬間だった。
■いくらであろうとお金をもらった時点でプロ
その後は選手にコーチと共に事情を説明し、無事にS&Cコーチに就任することになった。また家も遠いことから選手と一緒に寮生活も始まった。最初は緊張していたものの、早く戦力にならなければと必死に日々頑張った。
NLPの資格も無事取得し、次はS&Cコーチの民間資格取得に向けての勉強も同時並行でしていた。当時は朝6時から練習を開始。昼から夜にかけてトレーニング指導。夜は深夜まで勉強。ハードシングスな状況は変わらないものの、自分に責任というプレッシャーが乗った。
ラグビーはS&Cの質が試合の質に直結する競技。ましてや強豪校となるとプレッシャーは高かった。選手や伝統校の歴史を背負っているという責任を果たそうと必死だった。
「お金をいただいている以上、責任を果たさないといけない」
無給で仕事をしている時とは違う感覚だった。
ボランティアでは出せない価値を提供しなければならない。
同じようにプロコーチとして業界で働き続けている人たちと一緒に仕事をする中で
そんな姿勢に身を引き締められた。
ただの勝ち負けではなく、質の高い価値ある勝利のためにどうするのかというマインドを学ぶ機会を得ることができた。
そんな環境で仕事をした結果
より高度な価値を提供するにはどうすればいいか?
本当にこの方法で実施していいのか?
環境が人を育てるのは本当で責任を果たそうとする姿勢はいつしか
夢だった職業を誇りある職業にもしてくれた。
結果、直近まで実績のないインターンだったS&Cコーチの貢献は
リーグ戦では同率で2位。昨年と同じ結果になった。
そしてその成果が認められて、他チームからより年収の高いオファーをいただき移籍することになった。
■結果にコミットするプロであり教育者
2年目。
移籍したチームでもやることは変わらなかった。
「リーグ優勝」
昨年度結果を出したこと、チームの選手のポテンシャルからいけないことはないと思っていた。年間のスケジュールも作り、監督の了承も得た。あとは選手に落とし込むだけだった。
しかし、ここで問題が発生した。
選手が動かないのだ。
やれば必ず成果が出るプログラムを作ったし、納得できる理由やスケジュールも伝えた。あとは動くだけの中、動かない選手を見て思ったことがあった。
驚いた。今まで大学も前年も伝統校に身を置いていたため、当たり前だったことが崩された瞬間だった。最初はどうするかわからなかった。ただ、それでも契約している以上結果にコミットすることには変わりない。ただ、そこに+αな仕事をしようとこのチームでのテーマを決めた。
伝統がないなら作るまでだなと腹を括った。
最初に行ったことは徹底的な対話。
最初は答えられない選手もちらほらいた。
ただ、続けていくうちに選手自身の自己開示が始まったり、どうして動かないのか、今どんな気持ちでいるのかが見えてきた。その中で今のチームのミッションや自分の存在意義を紐づけられない選手もいた。
そんな選手とは徹底的に会話をして、自分がどうしたいのか、どう行動すればいいのかを一緒に考えた。辛いトレーニングも一緒にやって、一緒に辛いこともやった。選手の目の色も変わってきた。
「もっと早く出会いたかったです」
そう言ってくれる選手もいてくれた。
トレーニングを通して土台を作り、ラグビーのスキルも向上、試合でも結果が出るようになってきた。
気づいたら、トレーニングルームで自主練をする選手も増えてきた。
結果として昨年5位だったチームは入れ替え戦出場をギリギリで逃してしまうものの、同率3位で飛躍的に成長した。
NLPコーチングの資格を取得していてよかったなと思った。
■成長する機会を自らとりにいく
そんな状況でも並行して自己研鑽は怠らなかった。
本所属のチームでは文化形成を主眼と置きつつ、本業のS&Cコーチとしてまだまだできることはあると健全に自己否定できる成長機会を探していた。
その時にたまたまたまたま監督の知り合いでラグビートップリーグ(現リーグワン)所属のヘッドトレーナーの方が練習に見学に来てくださった。
こんな機会はないと今疑問に思っていることややりたいと思っていること、参考になりそうな資料がないか貪欲に質問し続けた。時間が限られているなかでできう限りのことを聞いてさらに精度高くできると思った最後に一言言われた。
「うちの練習見に来る?」
すぐにふたつ返事で返した。
こうしてトップリーグでの勉強生活が始まった。
トップリーグでの勉強は楽しかった。
整った環境の中で指導できている状況や海外のS&Cコーチによる英語の指導。最新のトレーニング知識を駆使した高度なトレーニングメニュー。メモが止まらず、自分の情報がアップデートされ価値提供の質が底上げされていく感覚だった。
その中でも観察力と行動力は衰えず、気づいたら先回りして仕事をお手伝いするようになった。無給インターン時代に身についたことからかお客さま気分でいることはなく、今の環境でできることが何かを自分で考えて行動する癖が身についていた。
そんな状況が3〜4ヶ月ほど続いたある日。
練習見学に連れてきてくださったヘッドトレーナーが大学の練習見学にきた。いつもありがとうございますと感謝を伝えつつ、練習後にスタッフ陣と雑談をすることになった。最近のお話やチームが良くなってきていること、お互いのチーム状況の共有をしている中、急に言われた。
「実は人手が足りなくて、酒井をアシスタントS&Cコーチとして借りていいですか?」
???
はてなが飛んだ。
具体的に話を聞くとチーム状況が変わり指導する人を増やしたいとのことだった。S&Cコーチは誰かとなった際にスタッフ一同が真っ先に出入りしている自分を推薦したとのことだった。
そのするうちに話がとんとん拍子に決まり、S&Cコーチ歴2年目にして大学のヘッドS&CコーチとトップリーグのアシスタントS&Cコーチになった。
その後は大学とチームの施設を往復する毎日を過ごし、日々忙しいながらも充実した日々を過ごすことができた。
■集大成
3年目
今度は大学のアメリカンフットボール部のS&Cコーチに就任した。
選んだ理由は「アメフトのS&Cコーチに携わりたかったから」
今まではラグビーチーム一筋で頑張ってきたがラグビーチームでやりたいことは全てやってきたので、一度全てを0にして違う競技に軸足をおきたかった。またチームも当時勢いのあるチームで今まで経験していた知識だけでなく、文化形成、コーチングスキルも使っての支援ができると考えた。
契約直後は難しい日々の毎日だった。
アメフトといえどどこかしらでラグビーにつなげようとしている自分がいた。アンラーニングしきれていないこともあり、結果はついてこなかった。
この状況はまずいと感じていたが逃げたくはなかった。
自分が決めたことでやりきれていないこともある。今逃げても後悔するだけなのでやれることは全てやり切ろうと腹を括れる機会にもなった。
徹底的にコーチや選手と会話した。
アメフトという競技を0から知ることも、ラグビーに囚われずどうしてラグビーではああだったのか?という棚卸もした。
自分で健全に自己否定をし続け、うまくいくように修正をかけ続け、少しずつ成果は出てくるようになった。
その後は無事にチーム内で初の偉業を成し遂げることができた。
■夢から覚めて
次の4年目では引き続きチームを見ることになるだけでなく、大学の他チームも見るようになった。女子バレー、チアリーディング、トレーニングセンターでの野球部やラグビー部の指導。気づいたら新しい機会をいただけたことに感謝しかないし、さらに働くようになった。
ただ、人の身体は1つだけ。
気づいたらしんどくなっている自分にも気づいた。
やりたいと思っていた仕事をここまで全力でやりきれていたこと、やりたいと思っていたことも全てできた。
もうこれ以上モチベーションが絞り出せない。
自分の身体に鞭を打ち続けて悶え切れない。
次のビジョンも捻り出せない。
それでも「人のためだ」と自分を置いてきぼりにし続けて働いた。
気づいたら日々めまいや呼吸がしづらい状況になっていき、結果仕事を続けられない状態になった。
話し合った結果、
チームから離れることになった。
ただ気持ちはなぜか清々しかった。
後悔が何もない。やりきったと言い切れるまで考えきったし、行動した。
夢から醒めよう。
次はこの体験をみんなに味わってもらう番だ。
気持ちは既に前を向いていた。
▫️夢の続きを
こうして夢だったS&Cコーチに幕を下ろした。
終わりは決して綺麗ではないかもしれないけれど、この夢にはきっとまだ続きがあると思っている。
けど同じ夢を見たいとは思っていない。
今度は違う人が夢を見る番だから。
改めてこの4年間には感謝しかない。
次の新しいきっかけをつくってくれただけでなく、何事にもビジョンに向かって考え抜く、やり切る力をくれた。
また一つの成功体験に縛られずとも新しい成功体験をつくれる可能性も教えてくれた。
また、最高な仕事をするために必要なスタンスやマインドをつくる機会にも恵まれた。
また、自分をここまで導いてくれた各チームの首脳陣、コーチ陣、トレーナー陣や自分の指導を真正面から受け止めてくれた選手、学生スタッフ、そして何よりやりたいことがあると言った時に「後悔ないくらいやってみなさい」と背中を押してくれた両親。
1人では成し遂げられない人生を支えてくれたことに感謝しています。
ありがとう。
次の夢でも人の幸せに貢献し続けます。