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「それは静かに降りそそぐ」

「あら珍しいわね。先客がいるなんて」

高校にある満開な桜の木の下で、僕はカンディンスキーの画集を眺めていた。
綺麗な女の子に声をかけられたのは、そんな時だった。
彼女は僕と同じ学校の制服を着ていた。
「こんにちは」と言いながら、当然のように彼女は、僕の隣りに座る。

「貴方、何年生?」

「、、、えーと、2年生です」

「じゃあ私、先輩ね」

「あ、はい。そうなのですね」

「カンディンスキーが好きなの?」

「え?あぁ、はい。好きです」

「そう。私も好きなの。その人、共感覚を持っていたのよね」

「共感覚?」

「知らないの?文字、音、数字に色がついて見えるのよ。丸いものを見ると甘みを感じるなんて人もいるわ。通常の感覚と共鳴して、別の感覚も無意識に引き起こされるの」

彼女は、ひらひらと舞い降りてきた花びらをそっと握り締めた。桜の音を聴こうとしているように見えた。

「羨ましいわよね。私も共感覚が欲しかったわ。そうしたら、もう少しこの世界にときめきを感じて生きて行けたと思うの」

「はぁ、そうですか」

「、、、貴方の今の言葉、きっと煤色ね。冷たくて風が吹いたら飛ばされちゃうくらい軽い言葉と色だったわ。共感覚を持っていなくても、今のはすぐ分かるわよ」

「あの、僕たち初対面ですよね?」

「私の記憶に間違いがなければそうだけど。初対面だと、共感覚について話しをしちゃいけないのかしら?」

「いえ、そうではなくて、」

「知り合いだろうが、初めましてだろうが関係ないじゃない。私は貴方と話しがしたいと思って話しかけた、ただそれだけよ。
カンディンスキーの画集を持ち歩いている人なんて珍しいから、貴方に興味を持ったの。
貴方が私と話しをしたくないと言うのなら、ここから去るわ」

そう言いながら、僕の意見など全く聞かずに彼女は話し続ける。

「私ね、昨夜おかしな夢を見たの」

「そうですか。僕も今、変な夢を見ている気分です」

「あら素敵ね。それじゃあそのうち、私たちの目の前を、時計を持ったウサギさんが急いで駆けて行くかもしれないわね」

「、、、どんな夢を見たのですか?」

「気がついたら私、舞台の中央に立っていたの。私は何かのお芝居に参加しているのだと、直感的にわかったわ。
舞台には椅子と机がたくさん並んでいて教室みたいだった。
それでね、その机の一つに王様が座っているのよ」

「王様?」

「えぇ。どこの国の何の王様なのかは分からないのだけれど。大きな冠を頭に乗せて、赤いマントを羽織って、とても偉そうにふんぞり返っているの」

「へぇー」

「それでね、その王様が私に向かって言うのよ、
『なんて哀れな人間だろう』って。とても失礼だと思わない?哀れって何よ」

「まぁまぁ、お芝居の台詞でしょう?」

「そうだけど。ふふふっ、その王様、すごく大根役者だったわ。ずっと棒読みよ」

「、、、それで?」

「王様が『私の前に来て跪け』って言うから、芝居の演技だと思って言われた通り跪いたのよ。
そうしたら、『台詞を忘れたのか?』って尋ねられて」

「芝居の台詞を忘れちゃったのですか?」

「夢の中の話よ?台詞なんてわかる訳ないじゃない!」

「まぁ確かに」

「それで王様が、腰に付けていた"銀の剣"を抜いたのよ!夢の中なのに、スポットライトに照らされて、妙にギラギラと光っていたのを覚えているわ」

興奮しながらそこまで話した彼女は、ふと僕の顔を見て不思議そうな表情をした。

僕は、急にどうしたのだろうと思いながら、話の続きが気になったので、彼女に話しかける。

「それで?その剣で、先輩は殺されてしまったのですか?そういう夢だったのですか?」

「、、、えぇ、そんな感じよ」

「そうですか。怖い夢ですね。でも、夢占いだと、死んでしまう夢は良い事が起こる予兆って聞きますから、まぁ、いい夢だったのではないですか?」

「、、、そうね」

「急に元気がなくなりましたね。どうかしましたか?」

「いえ、、いや、うん、そうね、、、よく見たら、貴方の顔が、、その、似てるのよ」

「似てるって、誰にですか?」

「、、、夢の中の、王様に」

少しの沈黙。

その時、僕たちの前をウサギが駆けて行ったので、彼女は思わず小さな悲鳴をあげた。

そのウサギは、まるでお伽話の住人のように、二足歩行で走って行ったのだ。

「え?どうしてウサギが?待って、これって夢なのかしら。私、またおかしな夢を、」

「でも、あのウサギ、時計は持っていなかったですし、不思議の国のアリスに登場するウサギさんではなかったですね。多分、因幡の白兎さんだったと思いますよ」

「は?いなばの?意味がわからないわ」

先程まで傲慢な猫のようだった彼女が、臆病な子犬のように震え始めるので、僕は少し可笑しくなって、声に出して笑ってしまった。

「な、なによ!何がおかしいの!?」

「ふふふっ、いえ、すいません。
 ねぇ、先輩。"台詞"は教えてもらいました?」

「え?」

「王様に言われたではないですか、『台詞を忘れたのか?』って。その先輩が言うべきだった"台詞"、ちゃんと教えてもらいました?」

「え、えぇ、剣を振り落とされる前に教えられて、それで私、目が覚めたのよ」

「そうですか。覚えていらっしゃるのなら良かったです」

僕は立ち上がり、手に"銀の剣"を握った。

そして、呆然と僕を見上げる彼女に、静かに微笑みかける。

「さぁ先輩、"台詞"をどうぞ」

「ど、どうして、、」

「台詞にそんな言葉はなかったはずですよ」

「お願い、理由を教えて頂戴。私があの"台詞"を言わなくてはいけない理由を」

彼女の恐怖と戸惑いとは不釣り合いに、桜は温かい日差しを受けながら、ひらひらと美しい花びらを散らしている。

やはり愛おしい貴女には、光の中で笑っていて欲しいと、強く思った。

「"僕たち"には、どうしても守らなくてはいけないルールがある。どんなに貴女を導きたいと願っても、貴女がその"台詞"を言ってくれないと、僕は貴女を守れない」

「ねぇ、あなた、背中に羽が、、」

「貴女は、色鮮やかな世界で生きたかったと言った。
もし本当にそう願うのなら、何度だってやり直せる。灰色の世界で終わってしまう必要はないのです」

僕はもっと、貴女の描く世界がみたい。

「怯えさせてごめんなさい。その"台詞"を言ってもらいたいが為に、少々乱暴な夢を見させてしまいました。さぁ、もう時間がない。"台詞"を、早く」 
 
彼女の怯えた瞳に、小さな光が灯った。

「ねぇ、それって、もしかして、、」

「さぁ早く!」

彼女は言いかけた言葉を飲み込み、僕の前に膝をついた。そして、胸の前で手を合わせ、目を閉じる。

紡がれる、待ちに待った言葉。

「"どうか、私をお救いください"」

桜を散らしていた風が、ピタリと止んだ。

あぁ、やっと、やっと、

「貴女の願い、この僕が受け取りました」

貴女を救える。

僕は彼女に向かって、銀の剣を振り落とす。

それは、静かに、厳かに。

最後に呟いた僕の愛の告白は、彼女に届いただろうか。


****


酷いイジメを受けて、誰にも頼れず、自殺しようとするなんてよく聞く話だ。

だから私も、この世界にさよならを告げようと思った。

他者からの言葉で、他者からの行動で、私の世界の彩度がどんどん失われていくことが、我慢できなかった。

最後の我儘で、綺麗な桜の木の下で、首を吊ってしまおうと思った。

最後は、美しいものに囲まれていたいと願ったのだ。

「、、、痛い」

紐を括っていた枝が折れたようだ。
地面に落ちた衝撃で、しばらく気を失っていたのだろう。

「、、、いたい、痛いよ」

身体中がズキズキ痛むのもそうだが、何より胸が痛かった。

この世を去ろうとする前は、ほとんど出なかった涙が、今になってどんどん溢れ出てくる。

代わりに胸を満たすのは、確かに聞こえたあの言葉。もらった光。

"愛する貴女をずっと見守ります"

顔を上げ、桜を見る。

"だから生きて"
 
ひらり、ひらひらと舞う桃色の花びら。

春の温かな光りを受けて、キラキラと輝く。

桜は、驚くほど美しかった。

今までも、これからも、桜はずっと美しい。

どんな事が起きようと、私は、美しいものを美しくと思えるこの心を抱えて生きていける。そう気づいた。

その事が、とても嬉しかった。

私の希望だった。

「ありがとう」

この光があれば、きっと私は大丈夫。



桜は静かに花びらを散らす。

彼女の上にそっと。

それはまるで、祝福の光のようだった。

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