食は感動をもたらしてくれる。
端的に言うと、食に久しぶりに感動した、という話。
僕は今、一人でホテルに滞在している。2泊3日京都である。
定期的にホテルに泊まりたい、という欲求を満たす。新幹線に乗りたい、と言う欲求もあるけれどそれを満たす機会はあまり無い。月一くらいでこちらも満たしたい。
本を多数持って行き、宿泊地に籠る。観光地が望ましいにもかかわらず観光をせずに宿に籠り、本を読み耽る。
これは僕の最も好きなPodcast『ゆる言語学ラジオ』さんのパーソナリティである水野さんが始めたものである。同番組のもう一人にパーソナリティである堀元さんも水野さんの誘いで実施したことがある。この本を読むために籠る合宿を俗に“奴隷合宿”と呼ばれている。
この合宿にかなりの憧れを抱き、今回満を辞して行動に移した。
普段家で本を読むよりも集中力が賦活されている感覚だった。
本を読むために宿を取ったことが初めてだったので、普段はベッドなどにこだわることもあるが、今回はソファや椅子にこだわった。ホテルブッキングサイトの写真から本を読みやすそうな椅子が写っている宿を取った。結果的に足を伸ばせるソファは読みやすかった。
何より、奴隷合宿を報告すると、本家であるゆる言語学ラジオさんからリプライを頂けたことは恐悦至極って感じ。
好きな人から急にLINEが来た、に等しい喜び。
まぁこれは本題ではない。
先ほど食べてきた鉄板焼きの話がしたい。この感動が色褪せる前に言語化して留めておきたい。
ホテルの近くのお好み焼きさんに入った。カウンターで目の前には鉄板が広がっている。独り身で夕食どきのピークタイムよりも前に入店した僕は、目論見通りカウンター席に通された。
HPであらかた頼むものに目星はつけていた。
僕の頼んだものが目の前の鉄板で店員さんが調理してくれる。最初にだし巻き卵と塩焼きそばを頼んだ。鉄板焼き屋と最初にに言ったが、厳密にはお好み焼き屋さん。
目の前で僕が頼んだだし巻き卵が巻かれていく。尋常ならぬ気持ちの昂りを覚えた。
この段階で、この店を選んで良かったと確信した。大根おろしも美味い。焼かれた卵を見ているだけで頼んだハイボールは半分ほど無くなっていた。
だし巻きを作りながら、海鮮塩焼きそばの調理も徐々に始まっていた。魚介類が鉄板に放られ、火が通っていく。少しの水分をかけられ蓋がされる。たい焼きくんも逃げ出す熱さの鉄板だろう。
僕のきもちのボルテージも上がっていく。ヘラがカッカッと軽快な当たる音がする。心地よい。野菜にも火が入れられ、海鮮も混ぜ合わさる。麺も加えられ、全てが混ざり合い、俗的な言い方だが、食材たちがハーモニーを奏で、海鮮塩焼きそばが完成した。
この光景を見ている間に、味だけでなく目で楽しむ食事とはこう言うものか、と思った。なんなら今回は耳でも楽しんでいる。
調理過程を見ているだけで気づけばお酒を飲んでいた。
感情に名前をつけたら俗物になるんよ
とある詩人の方が綴った言葉。
また感動に名前をつけた途端にその価値が下がってしまう、と言う考え方もある。
それでもなお、今回はこの感動を言葉にしないと僕の中で抑えきれなくなっていた。
感動体験を言語化することで、ある種の安定感を作り出しているとも考えられる。
そのおかげで伝えることもできる。
この店では二杯でお酒を終えようと思っていたが、締めにお好み焼きを頼んでいるし、ここまで食を見ることの感動を、このお店は教えてくれたので感謝の意味で追加でお酒を頼んだ。
お好み焼きを食べ終えた頃に頼んだウーロンハイは半分ほど残っていた。
ただ幼子のように、欲しいプラモデルを見ているかのごとく、他のお客さんの注文が調理されている様を眺めていた。カウンター席に他のお客さんはおらず、まさに僕だけの特等席。
あぁ、もっと見たい。鉄板焼きフェチになるかもしれない。鉄板焼きのお店ならば、是非ともカウンターで食事をいただきたい、そう思わざるを得なかった夜のお話。
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