母の場合 人生は人喜ばせ合戦
私にバトンが回ってくるとは思いもしなかったので驚きました。
私はまだ存じ上げておりませんチェーンナーさんの企画です。
チェーンナーさん、よろしくお願いいたします。
人生は人喜ばせ合戦とは
声をかけてくださったのは マー君さん。
マー君さん
思いがけない企画に、声をかけて頂きありがとうございました。懐かしい母の事を思い出させていただきました。
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母の話をしようと思います。
母は生前、『身内を褒めるのは恥ずかしい事』とよく言っていました。
私たち子どもの事も、人前で褒めるような事は一度もありませんでした。
母は昭和六年生まれの人で、母もそのように教えられてきたのでしょう。
でも私は一度くらい、友達のお母さんのように、さりげなく褒めてもらいたかった。小学生の頃ですが。
そんな母を私が褒めたいと思います。
母は内職で和裁をしていましたが、年齢とともに視力は落ち、人様のものは縫えないとキッパリ内職をやめてしまいました。五十代だったでしょうか。
それでも働き者の母は外で働くことを希望し、調理師の免許もあったので食堂で働き始めました。庶民的なお店でトラックドライバーの方々もよく立ち寄られるし、見た目怖そうだった漁師さん達も常連さん。
「お母ちゃんの顔を見ると、母親を思い出す」と言われたり、
「親孝行しなさいよ」と返したり。
「安全運転でね!」
「飯、旨かった!大盛サンキュー!」
こんな会話ができる事が楽しかったのでしょうね。
そして、この頃が一番面白かったと言っていました。最初は身なりや言葉使いで怖かったそうですが、話してみるととても可愛い人たちだったのが分かったと喜んでいました。
だんだん体力的に無理ができなくなり、今度は病院で入院患者の看護人として働き始めました。看護師ではなく、家庭に看護してくれる人がおられない人のため、病室で看護する仕事です。でも担当した患者さんが元気に退院されれば良いのですが、亡くなられた時、辛くて二度とできないと辞めさせてもらったようです。
このような仕事があるなんて知りませんでした。完全看護ではなかった時代だったからか、今でもそのような仕事があるのかわかりませんが。
そして母が、最後に手掛けた仕事が、入院中、家族がおられない方たちの洗濯物を無償で洗濯させていただくことでした。病院で洗濯物を集め(看護婦さんが取りまとめてくださる事もあったようです)持って帰って家で洗濯するのです。まさにボランティアの草分け。とても喜ばれたそうです。
ただ近所には、口さがない人もおられ、病気が感染しそうで気持ちが悪いなどと言われたこともあったそうです。
でも、母は意に介しませんでした。
もし私であればオロオロしてその仕事を続けられなかったでしょう。
数年続けていましたが、今度は母が入院することに。
悪性リンパ腫でした。
人生の終わりを前に母が言った言葉。
『困っている方のお役に立てた事が、一番嬉しかった』でした。
母は、ご縁という道を歩かせて頂いたとよく話していました。そして、優しさというのは、人ときちんと向き合い、接する事だと母は言いたかったのでしょう。母の境地は私には遠すぎますが、心のどこかには置いておきたいと思っています。
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マー君さんからバトンを頂きましたが、自分のことは何も思いつかず、母の事を思い出し書かせていただきました。何分にも古いお話。お若い方には曾祖母さんの時代になるかと。
読んでいただけたなら嬉しいです。ありがとうございました。
さて、どなたにバトンを渡しましょうか。
一番最初に頭に浮かびましたのは、このお二方。
お一人目は wsd983320987さん です。
お二人目は ikue.m さんです。
このお二人、タイプは全く違うクリエーターさんですが、お二人にはワクワクドキドキをたくさん頂いています。お二人とも、短いお話がメインです。百聞は一見に如かず、ぜひ、お読みいただますように。
◆wsdさん ikue さん
突然バトンが目の前に現れて驚いておられると思いますが、受け取っていただければ嬉しいです
いつもと違うお顔を見せて頂きたいなと思っています。できれば受け取って頂きたいバトンです。ご無理でなければぜひ。
⚫︎バトンリレーに参加を見合わせたい時は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。(詳しくはチェーンナーさんの記事をご覧ください)ご無理のないようにお願いいたします。