洋式トイレとの出会い
どうやって使うのか、それが問題だ
それは私が小学生だった時の話。
六年生だった。(60年程前だ、愕然)
ある日教室で、グループは違うが仲良くしていた女の子(Mちゃん)が、私に頼みがあると言ってきた。彼女のグループのメンバーの1人に家に来るよう頼まれたが、行きたく無いと言う。
同じグループなんだし、行けば良いやん、と私は応じた。
小学生の頃の女の子のグループ作りと言うのは、仲良し同士というより、通学路が同じというのも大事な要素であったと思う。
「どうするん?」と、私。
「めいちゃんが一緒だったら行っても良いって、私言ったんよ。何度も言われて断りきれなくなったん。頼む。」と、手を合わせる。
「やだあ、私だって行きたく無いよ」
私達二人が彼女(Kちゃん)の家に行きたく無いのには理由があった。
K ちゃんの家はいわゆるお金持ちで、家に行ってまでも自慢話を聞きたくはなかった。悪い子では無いけれど、私達にはちょっと めんどくさい子 だったのだ。
2人で話していると、ちょうど良かったとばかりにK ちゃんが側に来た。
「めいちゃん、Mちゃんと一緒に遊びにきても良いよ」Kちゃんは親切心で言っているのだ、彼女なりに。
私の横に立っていたM ちゃんが、手を後ろにまわし私のスカートの裾を引っ張る。ポーカーフェイスで。
「うん、わかった」私はそう返事をするしか無かった。
Kちゃんは内緒話をする為に顔を私達に近付けると、小さな声でこう言った。
「皆んなには内緒よ、三人の秘密だからね」
秘密にする程の話では無いと思うが、Kちゃんには彼女なりの思いがあったのだろう。
授業が5時間目で終わる日に、帰宅せず直に私とMちゃんはKちゃんに連行され、、もとい、案内され、お宅に伺った。
Kちゃんご自慢のお家は、私が遊びに行った事のあるどの家よりも立派だった。
外も中も。
出迎えてくれたKちゃんのお母さんは、私達を応接間に通してオヤツを出してくださった。
「立派な客間だね」そう言ったら、Kちゃんは、「応接間」とダメを出した。
しばらくお喋りをしていたが、Kちゃんが一番言いたかったであろうセリフを放った。
「トイレに行かなくていいん?」と。
「行く」と私とMちゃんは声を揃える。
「うちね、洋式トイレになったんよ、知らないよね?使える?教えてあげよか?」
それか、と思った。
Kちゃんの得意げな顔が、今も浮かぶ。
その頃、洋式トイレどころか、和式の水洗トイレがやっと各家庭に普及し始めた頃だ。
当時、アメリカのホームドラマ等でトイレの場面が度々テレビに映し出された。逃げ込んだり、考えをまとめる為にも都合の良い小部屋だったようだ。
残念ながら使用中の場面はあるはずも無い。
私がMちゃんより先にトイレのドアを開けた。
肝心の本来の使い方、なんとなくは分かるが、本物の洋式トイレを見るのは初めてだ。何よりも、汚したら困る。まさか、上に乗る?上をまたぐ?いや、まさか。
素直にKちゃんに聞けば良かったが、それも悔しい。
しばらくの間、私はトイレの中で立ちつくした。私の思っている方法でいいのか?
「ちゃんと流してよね」Kちゃんのご注意が飛んできた。様子伺いか。
私は意を決して、私の思う方法で済ませた。最後の確認をして、水を流した。
私は自分が汗をかいている事に初めて気がついた。大きく息を吐き、なんでもない風な顔を作ったのだった。
そして、Mちゃんとバトンタッチ。近くにKちゃんがいるので、Mちゃんに何も言えない。
そしてMちゃんも、すまし顔でトイレから出てきた。
Kちゃんは私達のそんな反応がお気に召さないようだったが、そんな彼女に早々に別れを告げ、私達は立派なお宅を後にした。
帰り道、Mちゃんは
「あのトイレ、嫌だわ。便器に直接座るみたいで」って言った。「私も」と、私。
やれやれな体験だった。
しかし、めいとMちゃんは、知らないのだ。
便座カバーなるものが、将来存在する事。
各家庭に広く使われるようになる事。
洋式トイレに、いくつもの付加価値が増えていく事。
私達が50年、60年先に、どれだけ感謝する事になるかを。
🧻
私が次に洋式トイレに出会ったのは、従姉妹の結婚式で訪れたホテルだった。私は二十歳だったかな。各家庭に洋式トイレが広がったのは、それから何年か過ぎてからだったと思う。
考えてみるとKちゃんのお宅の洋式トイレは、かなり早くに設置されたんだなあ。
お父さんは、どんなお仕事をされていたのか、今更ながら気になります。
🧻🧻🧻🧻🧻🧻