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2024/8/23 暇と没頭

 いつからか「暇だから(やることがない・手を動かしていない)から碌なことを考えないのだ」と言う考えが私の頭の中にはあって、最近それについてまた色々と考えたり思ったりしていたりする。
 私はまだその本を読んだことが無いが、樹木希林さんが著書の中で「きょうようがある(今日、用がある)のはいいことだ」という話をされているのを聞いたことがある。まさにそれだ。

 日々あれもこれもそれもと動いている私たち。最近はタイパ(タイムパフォーマンス)なんて言葉も出てきて本当に忙しないことこの上ない。
 「あー、ゆっくりしたい」「ボーっとしたい」「休みたい」なんて言葉が口を出る。では、ぽっかりと時間が空いた時。実際はどうだろうか。きっと「暇つぶし」とは思わないまま、碌なことを考えない。悩み事や不安、色々と抱えている人ほど、きっとそれについてぐるぐる考えたりしてしまうのではなかろうか。更には「余計なもの」が目に入ったりもする。

 なので、ぽっかりと空いた時間を「”ただ”暇」「”ただ”ボーっと」過ごすのではく、「没頭」することに使いたい。と最近は思うのだ。ゲームでも読書でもドラマ鑑賞でもなんでもいい。疲れ果てているなら寝るでもいい。「なにしよう」を無くしたいのだ。
 しかし時間が出来たからと言ってやりたいことがパッと出てくるかと言うと、きっとそうでもないと思う。だからこそ「趣味(推し)があった方がいいよ」という事なのだろうが、それが思いつかない時は敢えて「やらなくてはいけないこと」に没頭してみるのも手だったりする。

 つい先日の話だが、電車の遅延で買えりが遅くなり「帰ってからゲームをする時間が取れない!(実際は少しやった。ノルマ達成はならなかったが。)」と言う日があり、その日は「ゲームに没頭できないのであれば、洗い物に没頭しようではないか」と、ここぞとばかりにシンクに溜まった洗い物を磨き上げた。いつもより丁寧に磨き上げてやった。スッキリである。

 あれもこれもと過ごしていると、ひとつのことをやりながら次の事を考えてしまいがちだが、内容はなんであれ「目の前のこと」に集中するのが結構大事なのではないかなと思ったり。
 
 実際、私は家事(特に料理)がそこまで嫌いではない。これからの季節よく豚汁を作るのだが、ザクザクと夢中で野菜を切っている時間は結構好きだ。心を無にしている感覚は瞑想に近かったりする。あと、意外とじっとしている時より手を動かしている時の方が「あ、そういえば」とか、ひらめきが多かったりもする。特に体だけを動かす単純作業は。
いい言葉とかも浮かんだりする。

 ”時間”に追われる現代だからこそ、「何かに浸る時間」が大切なのかなぁと思います。「喫茶喫飯」なかなか難しいですが心がけたいです。

では、また次回。

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