あれから10年

今まであまり振り返ったり、記録を残した記憶もないので10年という節目に震災の日について振り返りたいと思う。

あの日、私は大学へ部活の先輩の卒業式に行っていた。当時大学2年生、1月に成人式を終えたばかりの二十歳だった。

先輩たちへの胴上げを終え、その日はそのまま実家へ帰ったその帰路の途中だった。電車は東武日光線、北千住から栃木へと向かっていた。確か各駅停車だったと思う。

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実家に帰って地元の友人と会う予定だった。そして南栗橋駅を出た後、すぐにまた電車が停止した。少ししたら電車は動き出したが様子がおかしい。揺れてはいるが電車は進んでいない!

あれ?と、思っていたらどんどん揺れが大きくなってきた!電車がヤジロベエみたいに揺れたのと、車窓の外から見える水溝から水が噴き出ていた光景を覚えている。

揺れが落ち着いても、しばらく電車は動かなかった。車掌さんが安全確認中であることを仕切りにアナウンスしていた。車内の人はワンセグでテレビを見て、情報を集めていた。電波障害が起きていたので、メールはもう使えなかった。

そして「今日の運行は難しい。とりあえず次の栗橋まで行くから、そこで降りてくれ」みたいなアナウンスがあった。確かその時、私はドコモの安全掲示板的なところに家族へ「栗橋にいる」と打ち込んだ。

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栗橋について、まずキオスクでケータイの予備バッテリー、電池、軽食を買った。これが後に功を成す。なぜならまだみんな、電車は動くと思っていたからだ。1・2時間後には客が殺到し、物が全て無くなり閉店していた。ちょっと風の強い晴れた日だった。花粉症で目が痒かったのを覚えている。ちょくちょく余震もあった。

私も待っていれば電車動くでしょ!と思っていた。でも全くアナウンスがない。どんどん暗くなり6時くらいには絶望的な雰囲気が漂っていた。ただ、ドコモの掲示板に母から「車で迎え行くから待ってて」とあったので寒空の下ずっと待ってた。あと、メールは出来なかったがツイッターはできた。そこである程度の情報は得ることが出来た。

ちょっと行き違いがあったが、この春高校を卒業し、車の免許を取りたての弟の運転で母がやってきた。(この弟は先週、結婚式を挙げた。月日の流れを実感する)実家は停電していたので、奇跡的にライフラインが全て無事だった叔父の家へ向かった。そこのテレビで津波の事を知った・・・

父が「生きてるだけでめっけもんだな」と言っていたのが印象に残っている。まさにそんな光景だった。

日付が変わる頃には実家へ帰った。着いた時は停電していたが、翌朝には復旧したと思う。

とまぁ、こんな1日だったと思う。こんな書留しなくても、あの日の事は一生忘れないと思う。あの日を経験した人はみんなそうだと思うし、東北の方々はもっと壮絶な体験をしただろう。今はコロナ禍で世界中自粛モードだが、日本は確実にあの日から自粛気味の世の中になった気がする。だからこそオリンピックに期待をしていたのだが・・・

以上、簡単ではあるが10年前を振り返ってみた。

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