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私の香港

私は昔から、と、言うか以前の香港が好きだった。
成田からキャセイパシフィック航空に乗っておよそ4時間。
イギリス統治時代の名残とアジアンチックな感じが雑じる街。
100万ドルの夜景。
毎日が花火大会。
賑やかなエネルギッシュな街だった。

香港アプローチと言う言葉をご存知だろうか?
今は新国際空港が香港島にできたが、私が最初に香港に行った時は香港アプローチだった。
香港アプローチとは狭い高層ビルの間を飛行機が着陸態勢に入り、間をすり抜けて行く。
ビルでタイプライターを打っている男性と
目が合ってしまうと言う漫画みたいな現実があった。
そういう訳でパイロットは相当な技術を持っている者しか任されなかった。
よく事故がおきなかったものだ。

私が良く泊まったホテルはイギリス経営のペニンシュラホテルかチャイナ系のシャングリ・ラホテル。
シャングリ・ラホテルのほうが多いだろうか。
ペニンシュラホテルはなんせ高すぎる。
しかし、シャングリ・ラホテルもサービスでは負けてなく、日本人スタッフもいたから割と好きだった。
後にスキューバダイビングでセブ島に行くのだが、そこでもいつもシャングリ・ラホテルに泊まる様になった。



香港に行くと困るのが言葉だ。英語は通じない。
香港は広東語である。
さっぱりわからない。
タクシーに乗って、「シャングリ・ラホテルプリーズ」
と言ったら、運転手が「あー?あー?」
もう一度「シャングリ・ラホテルプリーズ」
と私が言うと「シャンガリラ?」
シャングリ・ラでは通じなかったのだ。


私は女人街が好きで良く足を運んだ。
洋服、風水グッズ、水晶など破格の値段で売っている。
当時は円高だから、香港ドルは激安なので更に安い。
私は色々買いあさる。
今でも我が家には水晶だの、龍の置物などゴロゴロある。


女人街を曲がると必ず現地の男に声を掛けられる。
日本語だ。
「オネーサン、ニホンジンネ?パスポートウラナイ?200万ネ?」
日本円の現金の札束を見せつける。
私は「いや、いい」
と言って通り過ぎる。
当時、日本人パスポートは200万で売れた。
絶対売ってる日本人がいたと思う。
売った後、日本領事館にパスポート無くしたと言えばすぐに再発行してもらえるからだ。

香港の大きな公園でタバコをふかす。
目の前のベンチにフィリピン人らしき女性が弁当を食べている。
その横に全身シャネルの香港マダムらしき女性がタバコをふかしてる。
ああ…香港マダムとメイドさんか。
香港のメイドは給料が高いと聞いた事がある。

とにかく、香港は歩いているだけで楽しかった。
とてもエキサイティングだった。

しかし、今は香港に足を踏み入れていない。
習近平政権になり、香港は様変わりしてしまった。
あのエキサイティングで眩しい香港はどうなっているのだろう。
多分、もう香港に足を踏み入れる事はないだろう。
香港もまた、斜陽のようである



終。

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