転んでもタダでは起きなかった話
日本語教師として生計を立てて、早20年以上が経ちました。今まで、日本と台湾とドイツで、語学学校や会社や大学で日本語を教えてきました。
お恥ずかしいですが、今日はその中で最大の失敗の経験をシェアしようと思います。日本語教師駆け出しの頃で、もう20年ぐらい前の話なので、時効なのではないかと(笑)。そして転んだ後もタダでは起きなかった話も続けさせていただきます。ハッピーエンドですので、お気軽にお読みください。
不注意でクラスの中国人学生たちを怒らせ、授業をボイコットされてしまった事件
今から18年前、私は都内の複数の日本語学校をかけ持ちして、非常勤講師として日本語を教えていました。その前には2年間台湾の日本語学校で常勤講師として働いていたのですが、期限が切れたので、日本に帰ってきたばかりでした。
事件は江戸川区の学校でおきました。初めて勤務する学校で、初めて担当したクラスの、初日の授業でです。クラスは半分が韓国人で、半分が中国人でした(台湾人ではなく、中国人です)。学生は20代前半、私は20代後半で、そんなに年の差はありませんでした。その日が「初めまして」だったので、まだお互いに信頼関係とかは全くありませんでした。
今思い出しても冷や汗が出るのですが、その日の授業中に私が不注意に配布した文法の練習プリントのせいで、中国人学生を怒らせてしまったのです。私にとってはごく普通の可能形の練習プリントだったのにも関わらずです。
まず、リーダー格の中国人男性が私に「先生、これは何?」というので、質問だと思い、練習の仕方を丁寧に解説しました。そうしたら、その学生は私の目の前でビリビリとプリントを破り、授業中なのに外に出て行ってしまったのです。それに続き、他の中国人全員も席を立って、後に続きました。中国人の女子学生は泣き出す始末です。
何が起こったかわからず呆然とする私と韓国人だけがクラスに残されました。私は皆が怒っている理由が全くわからず、韓国人学生に「どうして?」「どうして?」と聞きました。そうしたら、彼らは私が配布したプリントの中身に侮辱された気持ちを持ったということがわかったのです。
それは元同僚が作った可愛いイラスト付きの可能形の代入練習プリントでした。ファンタジー系で、「この宇宙人は料理ができます」とか「このペンギンは空が飛べます」とか、イラストを見ながら可能形を使って描写する練習でした。その中の一つに「この犬は中国語が話せます」というのがあったのです。これが地雷でした!
私も知らなかったのですが、「犬」は中国では人を侮辱する時に使う言葉で、悪いイメージがあるそうなんです。日本やドイツでは犬はかわいいペットで、いいイメージなんですが・・・その悪いイメージの犬と中国を結びつけられた、侮辱だ、と学生は感じたんですね。
今の中国はお金持ちなので信じられないかもしれませんが、当時は中国人学生は苦学生が多かったんです。昼は日本語学校で日本語を学び、夜はレストランで皿洗いとかを多くの学生はしていました。仕事に疲れて、昼間はぐったりしている学生が多かったです。だから日頃から差別されているという意識があって、敏感になっていたのかもしれません。
理由がわかり、私は頭を下げて涙ながらに謝りました。校長先生まで出てきて、一緒に頭を下げる始末です。初日からやってしまいました。そして悪気がなかったこと、不注意だったことを認めたら、快く許してくれました。もうクラスの人と信頼関係を築いていた担任の先生が、私は2年半台湾に住んでいたことや中国語ができることも言ってくださったので、誤解だとわかり許してくれたんだと思います。
学んだこと
失敗をして、かなり反省しました。私は中国語を大学4年間、第2外国語(かなり力を入れていた)で学んでいたし、台湾に半年留学の経験もありました。更に2年間台湾に仕事で住んでもいました。大学時代には総務省の青年海外派遣事業で中国にも行って交流していたのです!それなのに、こんなミスを犯すとは。中国で「犬」が地雷とは全く知らなかったのです(ちなみに台湾では同じ教材を何度も使いましたが、全く問題がありませんでした)。完全に異文化理解ができていませんでした。
それからは、配布するプリントに最新の注意を払うようになりました。そしてプリントのみならず、どんな学生相手にも「リスペクト」の態度で接するように心がけるようになりました。侮辱、差別のないように言動に気を遣うようになりました。あの時失敗したおかげです。もうトラウマになっているので、いつもすごく気をつけてしまいます(笑)。人生に無駄なことはない、とはよく言ったものです。
スピーチコンテストに出て準優勝
では、お待ちかねの転んでもタダではおきなかった話です。その後問題のあったクラスとも徐々に信頼関係を築き上げ、いい関係を作ることができました。
当時、池袋の日本語学校でもかけ持ちで教えていたのですが、ある日その学校の学生たちが某私立大学の日本語スピーチコンテストに応募することになりました。その指導をしていたら、ムラムラと自分もスピーチコンテストに参加したくなってきました。中国語のスピーチコンテストも同時開催されていたのです。何について話そうかなと思った時に、あの失敗の話をしようと思い立ちました。
それで「我的失敗」(私の失敗)というタイトルで、この経験を書いた作文を書いて、エントリーしたのです。そうしたら見事予選を通って、スピーチコンテストに招待されました。当日は同じく予選を通った中国人学生と韓国人学生と一緒に参加して、私は2位を獲得することができたのです!学生も入賞したので、一緒にお祝いをしました。転んでもタダでは起きませんでした!
ちょっと話はずれますが、4年前にもう一度日本で中国人学生に教える機会がありました。また20代前半の学生でしたが、随分と当時の学生とは様子が違っていました。昔はハングリー精神で、ギラギラした目をしていたんですが、今は違いました。やはり経済発展して、変わったんですね。皆さん、いい意味でおっとりしていて、ギスギスしていないというか、ゆとりのある柔らかい雰囲気でした。若い世代は違うんだなと思いました。
後日談ですが、スピーチコンテスト2位の賞金2万円分の図書券で、私はドイツ語の一番分厚い辞書を買いました。それはちょうど2万円ぐらいでした。それでドイツ語を勉強して、その後ドイツに来たというわけです。全部繋がっていますねー。
最後までお読みいただいて、どうもありがとうございました!