2023/08/01
その場
私は一人が好きだ。けど一人で居るところを見られることは嫌いだ。
ずっと学生時代は一人でいること=恥と思いながら生きていた。なにをするときも友達と一緒にいないといけないのがキツかった。
私にとって友達とはいるだけで満足なはずなのにずっと一緒にいないと満足ではなくなっていく自分が嫌だった。
というか元から協調性というものが欠如している人間だったので土日とかは家族としか過ごさずスマホ上でも友達とのトークは全くしない。それが自分の心を安定にさせるものだから譲れなかった。
そして友達との予定は気疲れする。数日前から緊張してしまう。うまく喋れなかったらどうしようとか話題は何があるかなとか色々考えるけど、結局は空回りするのが毎回だった。
けどそんな状況から今も変わっていない。
人といることが好きではないのはいつもだし一人でいるから自分が本当に好きなことができるのが確かだ。
私は一人でもいいと言える世の中になって欲しい。少しでもきつい時は休みたけど休めない今だから無理にでも体を起こしているけど。なにもかも嫌だけど。何かしらうまくいくことを願うしか今日の改善策はないのだと思った。
自我
私の好きな方のエッセイで「世界全員が自我を持っているのが怖い」という文章があって私はひどく共感した。
AさんにもBさんにも同じような考えの時もあり違うときがある。それが無限に続いているようなものだ。
ただりんごが置いてあるだけで「食べていいの?」「アレルギーなんだけど」「煮込んだら美味しいかな」「これ傷んでない?」「みんなで食べよう」とか様々な考え方が浮かんでしまう。
そういうのっていじめとかにしたら具体性がより浮かぶ。だめだとわかってる加害者や
いじめられていることに気づかない被害者、何も思っていない傍観者、ただいるクラスメイトだっているだろう。
自我を持つことによって人間は考え方が自分中心になってしまう。
けどそんなことばかり言っていたら自分という色を示せなくなって自分は何もない。という深い考えに陥ってしまうことだってある。
この世に今あるものは必要なものしかない。しかし正しい使い方をしなければいけないのを前提にだ。
けど結論思うのは人は誰だって愛されたい、そして褒めてほしいと思っているところだ。
それに気づいたときから私はありがとうという言葉を多用して人間関係を円滑にしようとしている。
自我を持つことによって人間関係が疎かにならなければ私は自我は持つものだと思う。
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