かつて我が家には御用聞きがいた

夫とマスクが足りない、から話が始まって、1人10枚会社(某スーパーパート勤務)から支給された、どっから出てきたんだろう、勿論常日頃からマスク等の衛生用品頼んでいるお抱えのメーカーがあるはずだからそこから優先的に回してくれたんじゃね?って話になって、私、平成米騒動の時、タイ米食べずに済んだって話になった

平成米騒動とは1993(平成5年)記録的な冷夏による極端な米不足に陥り、政府は外米の緊急輸入に踏み切った。安い海外米が入ったが、口に合わないということで売れ残った。

我が家には私が産まれる前からの長い付き合いの、今はもうほとんど聞かれなくなった御用聞きがいたのである。

参考資料:マスク·パニックと運の話|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/nc37f0eefad72

記憶にあるのではお米屋さんと酒屋さんと薬屋さん。
米は勿論米。酒屋さんは酒を始めとして醤油やみりん等の調味料。薬屋さんは富山の薬局で、(今もあるっぽい)当時はわからなかったけれど年二回訪れて減っている薬を補充していた。
薬屋は滅多に来ることはなく、又来るときは必ずゴム風船を大量に持って来てくれていたので、子供心には忘れた頃にやって来る『風船おじさん』で、訪問をものすごく喜んでいた。

そんな話をしていたら”金持ちじゃん”と、かつてマジもんのボンボンの坊っちゃん育ちの夫が言った。でも我が家は貧乏な方だった。お金ないからと高校受験は公立1本、滑り止めなし、落ちたら就職。
大学や専門学校へ行く進路ははなからなかった。

参考資料:お金がない、ということ|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/nc6d919e30923

そしてはたと思った。ひょっとしてこういう事だったのでは!?と。

✣ ✣   ✣   ✣   ✣   ✣   ✣   ✣   ✣  ✣ ✣ ✣

私の母はおそらく知能障害者です。気がついたのは随分大人になってからですが。読み書きできません。おそらく計算もできません。そんな我が家がどうして曲がりなりにも家族として維持できたのか(それが恐ろしく歪んでいたものだったとしても)
·········御用聞きがいたから!?
米と調味料と薬局。おそらく話しているうちに、母親が少しおかしい事はわかったはず。だから定期的に我が家に訪れて米や調味料、薬などがどのくらい減っているかおおよそ聞いて、次にどのくらい置いておくかを母に変わって気にかけてくれたのではないかと。
薬等は字も読めないから、必要最低限の薬だけで、この症状の時はこれを何粒飲ませてくださいだとか言い残しおいたのではないか。

幼い記憶だからわかりませんが、酷い近眼の母親が薬の外箱をなめるように見て、何粒飲むとかやっていたからかろうじて数字はわかっていたのかもしれない。父親が出張とかで家に帰って来ないというような事は一度もなかったので(そういう仕事に就いていない)、おおよそ緊急事態の時は父親不在ということはなかったと思うので、最悪の事態は免れていたのかもしれない。

参考資料:機能不全家族|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/n7565cda01779
参考資料:あるものを数える 非識字|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/n6e5a79a76f9b

✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  ✢  

我が家は金持ちじゃなくてこういう母親だったからかもしれないよ、という話を夫にしようと思ったけど、おおよそ私の家族に興味薄い(というか、一度目の結婚時ににゴタゴタに巻き込まれかなり酷い目に合っているのでなるべく関わりたくないんだと思う)のでやめた。

参考資料:主人の波乱万丈人生|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/na84c07abc270

いいなと思ったら応援しよう!