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コウモリはいけないことなのか
なぜ今カミュを読むのか|松川行雄(ストラテジスト/小説家) @wvHAgf2KN0nZwai #note https://note.com/yukiomatukawa/n/n6092c2be2a10
ペスト購入に走る人の心理が理解出来ないとあって、え、そうかなと思った。私も読みたいと思った一人だったからだ。でもやめた。どうやらここには私の知りたい事は無いようなので。
これから日本で感染者爆発が起こったらどうなるのか知識としてでも知って、想像して、それに備えたいと思ったからだ。
でもどうやら違ったようだ。それに本を読まなくておおよそ想像がつくこれからは、ちょっとテレビをみればそれは提示されていた。イタリアだったりニューヨークだったり。
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善い人が助かるとか、悪い人が助かるとかそういう事はない。そういう意味では無慈悲に不公平なく誰にでも襲いかかってくる。その中でも人は本質が変わらない。医者の奥様は亡くなってしまうし、密輸入者は逮捕されるし。
個々の生殺与奪権は誰の手の中にあるのだろうと思う。
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心理学用語に”曖昧さ耐性”というものがある。なんでも白黒はっきりつかない、どっちつかずの状態に対してどのくらい耐えうるか、というものである。
この曖昧さ耐性を高くしましょう、とあった気がする。
曖昧さ耐性が低いと不安が増大し、人をパニックに走らせる。あるいは極端な方向に走らせる。
実はこれ、かなり身近にある。一番わかりやすいのが自分の寿命。はっきり何月何日何歳までです、というのが断定できない。この不条理な現実に耐えられない人がそこから目を背けて色々やったりする。はっきりしないだけに。
これ、はっきりとあなたは○月○日何時何分で死にますと宣告されたなら、随分と多くの人の行動が変化すると思う。
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私只今自宅待機中です。今日やっと平熱になりました。微熱が5日程続きました。勤め先からは検査と言われるが、電話すると検査対象者外なので受けられない、でも近くの医院では高熱になったら教えられた電話番号に電話して下さい。のいわばたらい回しです。
今まず、風邪等の症状が出た時に自分が果たして感染者なのかどうかがわからない。感染者ではなかったのならこれがインフルエンザなのか質の悪い風邪なのかもわからない。正に曖昧な状態。
自分の症状をよく観察してみても結局は自分では判断出来ない。誰か専門家の判断を仰いでこのモヤモヤを解消したいところだがおそらく叶わないだろう。
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MONSTER/浦沢直樹 の中にこんなシーンがあった。医者は助かる見込みのない患者のその生死を前にして、果たしてこの患者を生き延びさせることが患者さんにとって良いことなのか悪いことなのか常に葛藤している。その状態に耐えられない人が権力闘争に走ったりする。その方が楽だからと。
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最近ここに色々書いて気づいた事がある。いやはなから知っていた事がある。私は結論というものを出さないところがある。白黒はっきりさせない。責任転嫁。丸投げ。八方美人。挙げればきりがない様々な慣用句。
イソップ寓話にコウモリの話があった。
獣と鳥が争っていた時に鳥のところへ行っては羽があるから鳥の仲間だと言い、獣のところへ行っては体毛があるから獣の仲間だと言い。しかし争いが治まったらコウモリはどちらにも入れてもらえず、鳥、獣の活動が眠る頃に活動するようになったという。
いつの頃からか、私はコウモリだなと思うようになった。ずるいと言われればずるいのであろう。でもこのコウモリはおそらくこの曖昧さ耐性が強い。このモヤモヤを抱えながらも精神的安定性を高く持ちながら極端に走らずに生きていく事が出来ると。