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恋についての考察ー思い出と共にー

恋、ですか。
愛と一緒で口に出すのも気恥ずかしいテーマです。

・・・・知っています、私、俗にいうツンデレです。

ま〜だ愛の方が書きやすいよなぁ(テーマ選びさすが、といえばい〜のでしょうか)

・・・・とりあえず今のところ5項目ほど塊として上がっておりますが、どれもこれも・・・気恥ずかしさとやや暗めと・・・・

え?全部出せ?

それはちょっとなぁ・・・

って,誰に向かって言ってるねん

こういうくだらないことをウダウダ書くのは困っているに他ならないわけです・・・・。



初恋かもしれない

幼稚園までは将来の夢はと言われ、ごく普通に「お嫁さん」でした。
ところが小学校低学年でイジメにあい、特に男子からが顕著だったので早々に「お嫁さん」の夢を捨てることになります。
「汚い」「ばい菌」扱いされていた私が誰か好きになっても相手が嫌がるだけだから。
これが結構な尾を引く結果をもたらします。


時は流れ、色々な経緯を辿って声優になるという夢を持ちます。フリーターになります。経済カツカツです。
ある懸賞を目にして、懸賞金目当てで、応募してみようと試みます。
お題はなんだったかな。

そして中学の時のある思い出を引っ張り出すことになります。

文章にしていくうちに「この思い出をこんな安い懸賞金の為に売りたくない」と、この思い出は又記憶の底に沈めることにしました。

今又ここに日の目をみることになるとはね。


・・・もう遠い思い出だから。


もしかしたらある一定数人がそうであるかもしれないように、私の中学時代は暗黒でした。毎日がつまらなくて、何もかも知っているような顔をして常に仏頂面で、斜に構えていました。

中学校入学早々ある男子に言われた言葉「お前小学校でいじめられていたんだって?」
この一言で私の中学校生活が決まってしまいました。
同学年の男子生徒全員が私がいじめられっこだったのを知っていて、私と関わるのを嫌がっていると本気で思ってしまったのです。

何かの授業の一貫でも修学旅行でもグループは男女混合でこれが地獄の沙汰のようなお達し。

そんな毎日の中のイベント、林間学校。
何故か体育会系ノリノリ、今の言葉でいうところのキラキラしている女子リア充グループ内に組み込まれていた私は、土砂降りの天気となったキャンプファイヤーで半分くらいの人数がカッパを着て定番のフォークダンスを踊る中、キラキラグループのノリに呑まれて私もカッパを着ていなくて全身ずぶ濡れ状態でした。

周囲は真っ暗で、キャンプファイヤーの炎の照らす前後数人くらいしか顔がはっきり見えない中でのフォークダンス。
先生の言うなりに踊らされていた、という経験の中、数人はこんな思い出を持つ者もいるでしょう。

密かに憧れていたあの人と公然と手を繋げる機会。
フォークダンスの練習中、次にあこがれのあの人と手を繋げると思う直前に曲が終わってしまいがっかりする。

本当はこの人とずっとこうしていたいけれど曲が終わって、表面上はやれやれという感じで繋いでいた手を離す。

何の感傷も持っていない中学時代の中で、この瞬間だけは私の中でキラキラした思い出として残っていることを掘り起こしてしまいました。

そう想っていた相手が私にも確かにいたのです。

あの真っ暗な土砂降りの中、焚火の火だけで数メートルのごく狭い周囲だけを照らすフォークダンスを踊っていて、早く終われと思いつつダラダラ踊る時間帯に、小学校高学年から同じクラスだったから、そして小学校高学年は私の義務教育過程の最中、一番楽しいときを過ごし、彼ともよく話をしていたから・・・Mが廻ってきました。

私と手を繋いだ時にMはこう言いました。
M「手冷たいよ」
私「そう?」

・・・たったこれだけの会話です。

常に独りでいることを選択していて、特に男子とは極力話すということを避けてきた当時の私。

誰とでも気軽に話ができる中学時代をおくった人もいたでしょう。でも私はそうではなかった。
だからこそ、この終始無言で踊るフォークダンスの最中たったひとりだけ私に話しかけた人は実は密かに想いを抱いていたであろうMだったので今もこうしてこの瞬間だけがキラキラした思い出として残っているのでしょう。他はほとんど思い出せない、記憶から消し去ってしまっている、そんな中学校生活だったから。

恋しているだとかあの人が好きという感情を自分はある特定の人に抱いている、ということにはっきり自分が気がつくのは、例えばその人の姿を自然と探してしまっている、声をかけられただけで心が躍るだとか嬉しいだとか、そう感じている自分に気づくこと。

確かにMに対してそういう感情があった、ということをこの懸賞金目当てに書いていた中で意識してしまったのです。

では何故当時の私はわからなかったのか。
始めに書きました。

私が誰か好きになっても相手が嫌がるだけだから。

Mが視界に入って湧き上がる感情を私は額をなでるというまじないでもって消していました。
いえ、多分心の奥底に沈めた。自分の感情に制限をかけた。気がつかないふりをした。

だから何があったわけではありません。そのまま卒業してそれっきりです。
今ですら「・・・だったかもしれない」という表現に留まってしまっています。



本当は惚れっぽい

紆余曲折、悲喜交交ありまして、今は真反対のことを思っています。つまり私は惚れっぽい。

つい数年前も心ときめいた人がいたのですから。


二年くらい前に店に異動してきた主任です。
仕事できるし腰低いし、かといって堅苦しくない、そしてちょっと子供っぽいところ。まあかなり年下ですからどうこうする気は全くなかったし、もういないし。あと顔がめっちゃ好みでした。

帰宅際に線路反対方向に主任の姿見つけて向こうも私に気が付いたから軽く会釈したら片手あげて応えていただけました。キュンキュンしました。

残念ながら一昨年末に異動しました。一年もいなかったなあ。

本質は惚れっぽくて恋愛を楽しめるタイプ。
要は遊び人なので、それを抑え込むためにいじめられっこになる運命にされたのでは!?って思ってしまう今日この頃。

あ、運命論とか占いとか好物です、私。

ただ自分には縁がないと思っていたから恋愛運だけは見てこなかった経緯があるだけで,本当は私の恋愛傾向はズバリ「恋多き女」。蝶のように次から次へと気になる人が現れます。
楽しめるんですね、恋愛を。
そして若干の女王様気質。あるいは猫。小悪魔ともいう。
自分がいいなと思った好みの相手を振り向かせるのが醍醐味。



一目惚れ

一口に恋といってもよくわからない。愛とはどう違うの?
よく恋は堕ちるもの、愛は育てるものともいわれますし、一般的に恋は異性に抱く感情によく使われ、愛は異性じゃなくても、人類愛というふうにかなり広義に使われたりします。

さて、一目ぼれ、というのがあります。目が合った瞬間雷に打たれたように恋に堕ちるという、正直よくわからないもの。

下世話な話をします。ぶっちゃけこの、一目ぼれ、ほぼほぼ直感的なもので、もっというと本能。性欲。つまりこいつとの遺伝子を遺したいという種の保存の本能。


より強い遺伝子を遺すというほぼほぼ本能がなせるモノコトだとしたら、おおよそ性格は正反対だったり、俗にいう面食いだったりと、自分にないものを補うための選択だとすれば、それ真反対の人が相手になっても不思議ではないよな、という気はします。



利己的な遺伝子という著書では同じ人と一緒に生計を共にできるのはせいぜい4年。4年もすればそいつとこさえた遺伝情報を引き継いだものは生き残ったとされ、次の別の遺伝子を持った子孫を遺そうとするものだ、なんていう話だった気がしますね。

恋は堕ちようと思って堕ちるものではない。いつの間にか、気がついたら堕ちていた、がほとんど。
相手を本能的に選んでいる。この人と恋に堕ちよう、と思って堕ちるものではない。


実際差別するな、人に優劣をつけるな、えこひいきするななどなど土台無理な話で、ヒトの感情に制限はかけられず、ゆえにヒトなのですから。

でも行動に移したことはありません。
だからこそ十年沿って破局した、男は私と結婚する気がないんだと気づいた時に怒りや憎しみやそのあとの虚無感などが炸裂したのです。

結婚する気のないこの男のために貞操を守る意味を見失ったから。



最後に一言

絶対男性の方がロマンチストだと私は思います。


















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