2025冒頭・多分日本は大丈夫〜和時計〜
さて本格的な風の時代に突入?いたしました。
そういうことなのかどうかはわかりませんが、どうやら地球環境の変動は起こっているようです。
夏場は線状降水帯の発生のように冬場は局地的地域にいっぺんにドカ雪が降るという予報が当たっています。
そしてこれがスタンダードになります。
二酸化炭素排出量の増加によるもの、と世界はしてますが、私はまだまだ懐疑的です(太陽活動の変化、あるいは地球内部活動の変化など)。
人類活動によるものではない
あるいは
経済活動が鈍る
としてトランプ大統領は全く意に介さないし、イーロン・マスク氏は自前で原発持とうとしているし。
ま、地球規模の気候変動はこれからでしょう。
で、世界はこれから結構なシッチャカメッチャカを食らうと思いますが、コト日本においては立ち上がりが早いと思います。
理由は
日本は自然と共存共栄が根本の思想だから。
どうにも西洋は自然をも克服する、というのが根本姿勢のように感じるのですが、日本はそうではない。
自然の脅威と大いなる恵みを熟知していて、克服しようなんて微塵も思ってないから。
自然の脅威にさらされた時は
「仕方ない」として、また改に動き始める。
地面は動き、時に隆起陥没することを肌で感じているのと、ネットが発達してそうであるものと認識はしているものの、実感としてわかないのでは天と地ほど違う。
日本は幸いにして干ばつは起きない地形。
局所的にはあるだろうが、見渡す大地干上がっている、ということは起きない。
海水の気温が上がっても、水揚げされる魚介類の種類が変わるだけで、魚介類の水揚げが皆無、という事態は避けられるだろう。
猛毒を持つ魚を食べられるようにしたフグ、デビルフィッシュとして近年まで食べる人があまりいなかったタコなど、これからも食べられるかもという創意工夫はされるだろう。
和時計、というものがあります。
名前だけは知っていて、具体的にどういうものかは知らず、又、今使用している人が皆無であることを鑑みて非常に使い勝手が悪かったのであろうことは推測できて知ろうとも思わなかったのですが。
ある番組でこの和時計の根本的考え方がわかりました。
某局「鑑定団」で、これに実際に機能している和時計が出てきてわかりやすく説明していただけました。
びっくりというか、まあ廃れた理由は納得ながらもこの日本人らしい考え方にこの時代でも自然に合わせようという日本人の考え方が浸透していたんだなと日本人なのにね私も(少なくとも過去三世代直系血族に外国人はいない)。
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不定時法の説明
江戸時代の時刻制度
「一刻」の長さが昼夜で違い季節によって変動
一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」と呼び、現在は24等分した方法が世界中で使われています。
これに対して、一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。
江戸時代の日本でも不定時法が使われていました。昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、しかも昼夜の長さは季節によって変わるため常に変化していました。
時の呼び方は、真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数え始めます。
数で呼ぶと一日に同じ名称が昼夜二度出てくるので、夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別が必要でした。
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和時計調節の仕組み
16世紀に日本に到来した時計は定時法に合わせた機構であったため、和時計には不定時法に合わせるための様々な工夫がされています。
方法は主に二つ。1.機械の運転速度を変える方法と、2.文字板上の時刻の間隔を変える方法です。
1.機械の運転速度を変える方法
一挺天符と二挺天符
一挺天符と二挺天符
和時計の速度調整のためには往復運動をする機構、「棒てんぷ」が使われていました。棒てんぷが一つ使われている「一挺てんぷ」では左右に掛けた分銅の位置を近づけたり離したりすることで速度を調整しました。上記の通り昼と夜で一刻の長さが違うので、毎日二回の移動が必要でした。
17世紀末に昼用と夜用を自動で切り替える「二挺てんぷ」が開発されると、分銅の移動は一年に24回、節気に合わせて行うだけでよくなりました。
2.文字板の時刻の間隔を変える方法
(左)夏至の割駒と(右)冬至の割駒
(左)夏至の割駒と(右)冬至の割駒
江戸後期になると棒てんぷに代わってより精度の高い振り子やひげゼンマイが調速に使われるようになりました。この方法では運転速度自体は容易に変えられないため、文字板上の時刻目盛の間隔を変える「割駒式文字盤」が作られました。12刻の文字を記した小さな駒板を季節によってレール上を動かせる仕組みになっています。また、複雑な機械仕掛けで駒板が自動的に移動するタイプも作られました。
正直読んでもよくわかりませんが、西洋では一日の時間を均等に24で割ってそれを数字に落とし込めたわけですが。
同じ24時間でも一年で昼と夜の時間の長さが違うわけで、和時計はそれを組み込んだ、日照時間に合わせた、とでもいえばいいでしょうか。
夏だろうが秋だろうが日没を「暮れ六つ」
正確、という意味ではズレるかもしれません。
が、電車などもなかったこの時代、大事な農業や漁業に必要なのは正確さ、ではなくて季節の移り変わりです。
人の感覚を自然の営みに合わせた、この考え方。
・・・世界が広がれば日照時間や日没時間が国によっても違うことは明確で、廃れた理由も納得するのですが、
この時間の長さが変化するという日本人の時間の考え方に合わせてある和時計はより複雑な機能になっていることは理解できると思います。
気候変動。真っ先に懸念されるのは食糧危機です。
少し調べてみたのですが、日本人は縄文時代からクジラを食していて、骨を加工して器に使用したり、クジラへの感謝をささげるための神社があったりと、食文化として根付いてきました。
最近私が指摘するようになった海外思考「優秀なものが劣等なものを導くように神様は造られた」(聞こえはいいが、裏を返せば劣ると判断されたものはしのごの言わず服従しろ)のIWCは多分研究していくうちに「クジラは頭がいい」と気が付いて、そしてその優秀なものを食うということに違和感が沸きあがってきたのではないでしょうか。
日本の思考神道は基本、優劣はないのです。八百万の神なのです。
勤労も尊い。だから感謝が芽生える。
COP28国際会議で4年連続日本は「化石賞」と不名誉な照合を与えられてしまいましたが、
あれ、よくよく調べてみると各国のいわゆる3Rと呼ばれる基準がバラバラで、照らし合わせてみるとそんなことはない、むしろ日本は優秀な方なのだそうです。
「mottainai」が世界共通語になる、そういう言葉がある、資源が貧しかった日本において発達していないわけがないんですよね。
そういうことをデータを集めて分析して発信してこそでしょう。
だから某議員は無能と・・・・
失礼。
EV車も結局あまり排出規制に貢献していないよう、むしろ逆なのではともいわれているし・・・。
何がいいたいかというとこれからの気候変動にも対処できる知恵が日本には十分備わっていると私は思うわけです。
工夫を妨げる思考を日本人は持っていないということなんです。
自然に対する畏敬と柔軟性、創意工夫、資源を無駄にしない活用からリサイクル精神まで。
日本人ははなから知っていて、取り組んでいないわけではないし又、これからも取り組み続ける思考を持ちつづけるでしょう。