機械と人間・ニュートン時間の盲信・哲学的対自思考のループ
こんにちは。
不動産投資って結果ですよね、所詮。
其の結果とやらも曖昧、通俗的な相対的基準でしか無く、存在自体を語るのも大変ご造作な事でも在ります。
本質的に、単に結果の数値、値だけを抽出して考察させて頂いても、結果AIでもその測定値の可否、優劣は相対的な事柄として表せもします。
AIが進化したとは云うものの、未来永劫、人間にはなれませんし、人間の叡智を超える事等は無いとも思慮しても居ます。
単に、AI自体の工作は人間が行いましょうが、其の人間自体が自己を、人間の全ての理解解釈を出来ていないとも謂え、今後も人間の全ての叡智を解釈も出来るはずも無いと思慮も致します。
法規総則理論が存在する事物、チェス等にはAIは人間に勝りますが、当然です。
単なる計算機で、ビックデータ処理機ですから。
驚きは無いでしょう、昔々に電卓が此の世に存在している様に、人間が作った至便な工作物で機会でしか在りません。
其れを使いこなし、人間が更なる至便を為す試みとの事で、其の積層され具現化が為されるのが機械との事でしょう。
然も、今後AI自ら人類に反乱的に攻撃をする様の映画も在りますが、計算機は計算機でしか無く、心は測れません。
人間で在りながら、絶対的に心を計測出来る人物は存在し得ません。
相対的には朧気に考察出来ましょうが、所詮は傾向でしか無く参考です。
其の傾向すらも人間に生を受けながら視えない者多数、一纏めで云うなればニュートン時間を盲信し生活する者との意です。
此の危険な傾向、欺瞞的な人物等の感を肌で感じない方々。
単純に鈍感と云う言葉で片づけては失礼ですが、大家や不動産投資家で多く見られます。
即自と対自との区別が在りますが、即自的な実存論を割愛し対自的自己愛を以って物事を語るのが人間でも在りますが、其の事自体を知る、存在確認出来得る事が重要な事で、自己愛で相対的論調に終始した不動産投資家で上位承認欲求な御仁が講釈を垂れている無様が滑稽との揶揄が本趣意で御座います。
此のお話は一義的、多義的、広義で使い方と用法が異なります。
相対的な事柄を其のまた相対的論調で割る事と、一義的な実存論を用いる事とでは結果が当然違いますが、観察や承認を自己から導く事自体が壮大な自己言及でしか無く、其の事を他者に伝えても単に自己愛性の押し売り的な完全な客観等は存在出来ません。
此の事が人間の本質かと思慮しますが、解った振りして自己含み理解等して居ようはずは在りません。
だから、世の中に哲学等と云う学問が存在出来、皆が迷走し、また、安寧に縋るのでしょう。
数学や科学も哲学の内在的な存在と片付けられも致します。
だから、哲学を用いた此の様な書き物は或る意味、高尚な感覚になるのでしょうが、正直、何にも役には立ちませんが、根本的には人間の其れ全てとも云えましょう。
一般的な深意や真意も、結果、相対的な事柄に終始し、其の事自体は自立はして居ません。
ですが、此の様な事を通俗的通念社会で真面目に云いのけたら変人でしか無く、落伍者の烙印を戴きます。
難しいですが、理解の基に行動し世俗的の常用常識を用いて生活をし得るかが要諦です。
此の世は、深慮なくとも立派に生きては行けますが、思惟して生き、俗世間様に迎合して居る者と、そうで無い者では決定的な違いが在ります。
飯を喰らい、糞を垂れ、鼾をかき不動産投資や大家も同じく出来ます。
違いは欲の在り処でしょう。
没我との言葉が御座いますが、此の言葉自体を知り得ている者は、到達できない迄も、忘我を成し俗世に対しては秀逸な存在と映る事でしょう。
テレビ、マスコミ映る事を目的と成す者も悪では在りません。
注目されなければ、社会性の在る大義を成し得ないとの用法なら素晴らしい事。
ただ、有名になりたい欲ならば単細胞との意で、有名になり金儲けの手練を弄すならば詐害行為と同義です。
此の事自体の考察も即自的自己が存在しない空っぽな対自的自己愛性病質者とも云えます。
そろそろ、纏めますが、自己の信じるテクノロジーの存在も危ういですし、人間自体が既にコンピューターのエネルギーの一員にもなっています。
其の事で、人間は進化して居ますが、其の別で21世紀的真価の格差が視認出来ているとの事です。
実の処、格差か差異かは脇に置き、結局、石器時代から現代迄、人類は変化が無いとの自論でした。
既に、PCを使い熟し、此の書き物を記し、サイトにUPして居る自分が居ます。
此れを自己言及と自己で理解して、合せ鏡を視認、知覚を持てると自認している自己がいて…………∞ループ。
自己は思惟を重ねる事のが或る意味の趣味で此の様な事を綴りました。
此れにてお仕舞い。