まほうのことば
わたしは言葉がだいすきだ。
時に言葉が刃になって自分の知らない所で人を傷つけてしまっている。自分も心ない言葉に沢山傷ついてきた。
けれど、そんな事、頭の隅に寄せて置くことが出来るくらい、今まで数えきれないほど沢山の言葉に助けられてきた。
記憶力はいい方ではないけど、嘘みたいにその時のその言葉を言われた時の事を覚えている。
「ずっとここにいたらいいのに。」
小学2年生の4月、姉妹で幼なじみの友達の家で遊んでいて、その慣れ親しんだお母さんがいつもと明らかに違う雰囲気を纏って言った。
雨音に声がかき消されるくらいの豪雨の日の夜の事だった。
それから少しして母が迎えに来た。
パパの姉の旦那さんの運転する車に乗って。
今までそんなことは一度もなかった。
年始やお盆など家族の行事で年に数回会うだけの親戚のおじさんだ。不思議そうな私と姉。
「パパが死んじゃったの。ママはもう沢山泣いたから、これから皆で頑張っていこう」と母が涙を堪えた声で言った。信じられなかった。
パパはその日は午後から仕事で、お昼ご飯を家でを食べてから行くはずだったが急遽早めに出勤してしまった。お昼はハンバーガーのはずだった。
「お昼、一緒に食べられなくてごめんな。」
それが母の聞いた最後の言葉だと後に聞いた。
わたしはパパとの記憶が数えられるほどしかない。これとこれとこれとこれを覚えている。と明確に言えるくらいだ。
周りの大人には「覚えてなくてよかった」と口々にいわれた。
悔しかった。自分が覚えていない事が。
みんなと思い出話をする事も出来ない。旅先にいって昔の思い出を振り返る事も、仏壇に添える好物すらも私には分からないのだ。
子どもの頃、悪さをして「パパが生きてたらどう思っただろうね」と何回も諭されたが、そんなのわからない。どういう人だったか覚えてないのだ。記憶にない人がどう考えるかなんて知らない。本当にひねくれた子どもだ。そんな事言えず黙るしかできなかったわたしがいた。
葬儀の日、姉はもう目を覚まさないパパに近寄る事が出来ず、近くでお別れをするのを泣き叫んで嫌がっていた。
わたしはすぐ近くにいってお別れをした。子どもは残酷な生き物だと思う。何も理解してなかったのかもな、そんな簡単にお別れを言えるなんて。
葬儀の夜、小学校のみんなが書いてくれたお手紙をもらった。30枚以上の励ましの言葉。
「泣きたくなったら僕がギャグを言って笑わせてあげるよ〜」
という幼なじみの言葉が目にとまった。
小学2年生の考えるそんな単純な言葉がなぜかとても嬉しくずっと覚えている。
わたしが「言葉」というのを意識したまさにその瞬間なのかなと今となっては思う。
その時の感情が言葉に表せなくてなんとなくずっとひっかかっていた。
そんな日常を送っている中、ふと、ひとつの言葉がわたしの中にとびこんできた。
「生きる力を借りたから 生きてる内にかえさなきゃ」
この言葉との出会いがわたしの人生を大きくカラフルに変えた。
自分がずっと言葉に出来なくて、ひっかかっていた感情がストンと消化できた。あの幼なじみの「言葉」を貰った時、生きる力を借りたんだと思えた。
わたしはパパの事を話すのが苦手だ。
隠してきたと言っても過言ではない。
ただ事実を話しても同情を誘っているようだし、こんな話されても反応に困るだろうし、謝られたいわけでも悲しい顔をさせたい訳でもない。
あの時たくさん悲しい事があってその感情を箱につめてガムテープでぐるぐる巻きにして閉じ込めたのだ。だからちょっとでも隙間があくとその時の悲しさが一挙に流れ込んできて正気ではいられない。その分、普段は全くと言っていいほど涙を流さない。自分の結婚式でも終始ニコニコ、ニヤニヤ。
でもいつかその箱をあけたいと思っている。
向き合いたい、あの頃の自分自身と。
わたしを助けてくれた言葉を忘れないように書き留めておこう!と思った。
もう隠す事も、偽る事もなく、ただ自分が思うままに話せる場所がずっと欲しかっただけなのかもなと思う。
パパが死んでしまった事はわたしにとって大きすぎる出来事で、ルーツだけど、わたしの人生はそれだけではない。
楽しいことばかりの最高の人生真っ最中だ。