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あのとき僕は・・・
-intro-
僕がこの物語に出会ったのは小学6年生、それは「新しい国語」の教科書に載っていたからだった。給食を食べて眠くなりかけた頃、ボーっとしながら黙読を始めると「ハイ、次は君読んで」と先生の声にビクッとした。
どうやら眠っていたらしい、これはまずい!怒られるかなあ〜そろそろと席を立つとリンゴンガンゴ〜ン〜間一髪でチャイムに救われた。
「あ〜良かったあ」みんなスパイダーキッズみたいに教室から散って行った。休み時間にはいつも2つのグループに分かれる。校庭に行くグループと教室に残るグループ、僕は身体が丈夫な方ではなかったので決まって後者の方だった。
でも不思議だなあ〜寝てたのにさっきの国語本の物語どう言う訳か浮かんで来る。
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「めもあある美術館」
「ぼく」は、姉の髪の毛を引っ張って泣かせて母に叱られて針箱のへりを踏んでひっくり返すとそのまま下駄をつっかけて家を飛び出した。
くさくさしてあてもなく歩いているとどういう訳か古道具屋にたどり着いた。中に入ると驚いたことにそこには額縁が無い板に描かれた祖母の油絵がある!「ぼく」がまだ幼い頃、祖母がかざ車を持っている絵だった。そこへ背の高い男が入って来たかと思ったらその絵を買って、ヒューっと出て行ってしまった。
「ぼく」は急いでついて行くと男は言った「この絵は君が描いた絵だよ、これからめもあある美術館に持って行くところさ」
男と一緒に卵色の建物に入ると、たくさんの扉の中のひとつに木で出来た「ぼく」の名札がある。扉の中の部屋には、飼い犬の絵、隣のスエちゃんの絵、機関車のオモチャの絵、その隣りには祖母の絵が掛けられている。
そして最後の絵は、針箱を蹴飛ばしている「ぼく」の絵だった。その先はどう言う訳か絵のない額縁ばかりが沢山並んでいる。
大切な思い出も見たくない思い出も、これまで「ぼく」が経験した色んなことが、絵になって順番にそこに掛かっていた。
「君はね、これからも絵を描き続けていくんだよ。このたくさんの額のなかに。ここの美術館には、誰でも、いつでも、見にくることができるんだ。前に自分の描いた絵を見るのも楽しいもんさ」
男はそう言うと玄関の石段まで見送ってくれた。
ふと我に還ったとき、ぼくは自分の家の前に来ていた。
赤々と燃えるような地面から湯気が立ち昇って・・もう、春が近いのでした。
----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- - ----- 要約するとザックリこんな感じになる
-sudden-
正直に言うとあれからすっかり忘れていてフリーズドライな時間だけが強かに山積していた。この前TVでアーティストに作品のヒントを尋ねて「フゥーっと降りて来たんです」と答える場面を見たがそれに近いことが自分にも起きたらしい。
少し肌寒いある晴れた日に訪れた美術館、壁に飾られた何枚もの絵を順に観ていくうちにフワフワ降りて来たイメージにフォーカスが合うとそれは紛れも無くあの昼下がりの居眠り小学生と国語本の物語だった。
「あの物語に会いたい」古のクラスメイトを懐かしむ気持ちに似ていた。
早速ネットで調べると「あった、これだ!」作者は大井 三重子さんで本のタイトルは「水曜日のクルト」その中に書かれている一つが探し求めていたあの物語「めもあある美術館」だった。
実は大井 三重子は旧姓名、江戸川乱歩賞や日本作家協会賞など受賞歴を持つ戦後の元祖女流推理作家である仁木悦子さんの童話作家というもう一つの顔でもあった。幼い頃に大病を患い不自由な身体を抱えながらも苦難を乗り越え書き続けた推理小説と童話、残念ながら今は本当のことを知る術もないが相反する2つのジャンルも彼女の心の中に特別な仕切りは無く、どちらもその時の心情をありのままに精一杯生きる等身大の姿を投影した文字通り彼女自身だったのではないだろうか?それ故長い時間を越えても色褪せることなく心にくっきりとした輪郭を保持ながら今も素敵に咲いている。
「めもあある美術館」がどのような物語だとかどの部分が良いとかは書きたくない。それは極めて主観的な感想に過ぎず、感じ方は人の数の分だけ岐山の道の如くだからだ。仮にオススメしたとしよう、でも10000人中「イイね〜」が1人だったらかなり落ち込み更に「ダメね〜」が100人もいた日には最低3日間はベッドから出たくなくなるシーンが見える化しそうで怖い。なのでこの本をどうするかは皆さんの自由意志にお任せするとして、この辺でCatch you laterとしたい。
-ending-
今だから思うことがある。小6の国語のあのとき僕は眠ってはいなかった。周りは気付くはずもない瞬きする程の僅かな時間だったけど確かに物語の中にいたんだ、きっと「めもあある美術館」に・・・