正解も間違いもない
前回の記事ではチームの5年間について書いたので、今回は私自身について書きたい。
と書いて既に1ヶ月が経ち、ついに入行式を迎えた。
この1ヶ月、引退してから楽しい毎日を送っていたけど何か物足りなくて。
きっとそれは部活が私の生活からなくなったから。
それほど私の生活の大半を占めていたフットサル部。
思えば高校生のときに初めてマネージャーというポジションを選び、学び、8年が経った。
たくさんの人に出会って、たくさんの経験をした。
自分の人生において全国大会の舞台に立つなんて起こりえないと思ってた。
フットサル部に入ってから起こることや自分の感情、驚くものばかりだった。
とにかく目立たないように先輩の後ろについていようと思っていた1年生。
3月の選抜活動を通して、今のままじゃ私っていらないなーまだ高校の時のほうが頑張ってたなーと思いながら何もしなかった2年生。
みんなはだんだん結果を出して強くなってるのに変わらないままじゃ私ってやっぱりいらないなーだめだ、変わろうと思った3年生。
オンラインが主流になったことで、関西圏のスタッフの方と関わることができて、少しだけ成長できた休学中。
何が残せるか、このメンバーでどうやったら全国大会に行けるか、それだけを考えてた4年生。
やはりマネージャーの存在意義を考える上で転機となったのは九州学生選抜。
あまりチームの皆さんと打ち解けることはできなかったけど選抜活動を通して、マネージャーとは?を考えるきっかけを得た。
そして、普段はライバルの他大学のフットサルの向き合い方などを知り、より一層負けられないと思うようになった。
1年生のときはあまり他のチームに対しての興味がなかったが、選抜活動以降はすごく気になるようになった。
絶対に負けたくないと思うようにもなったし、それと同時に関西関東などの地域に比べるとまだ発展中の九州だからこそ、お互いが良い関係を築いて、切磋琢磨しあえる存在だと思うようになった。
個人的には長崎大学は永遠のライバル。
長大に関しては、正直羨ましいなと思う部分が多かった。
部員数だったり、組織面だったり。(朝練はできないけど笑)
そして、なにより長大のことすごいなと思ったのは2019年のインカレで現地で応援してくれたこと。
相手をリスペクトってこういうことかって実感した。
自分たちが立ちたかった舞台に立ってるライバルを観客席から応援するってなかなかできない。
これから九州を引っ張っていくのは長崎大学だと思う。
引っ張っていく存在であって、一強にならないように、九州全体で大学フットサルを盛り上げたい。
マネージャーへの気持ちの部分で転機となったのは2021年の4月。
5月の選手権前に新入生に関して部内でゴタゴタが起きた。構図でいうと、マネージャーvs選手。
新入生に関して、意見がマネと選手で食い違ってしまった。
どこのチームでもあるのかわからないけど、入る目的が違うであろう新入生に対しての考え方。
私たちのマネージャーの価値、今までの時間、チームへの考え方すべてを否定された気持ちになった。
収集がつかなくなり、OB・OGの先輩や監督までも巻き込んで話し合いを行った。
それでも解決には至らないどころか、様々な問題点が浮き彫りになってしまった。
その頃の私たちマネージャーはもうみんなでやめようか?というところまで追い込まれていた。
結果として、新入生が他の部活に入ったことでこの問題は終わった。
この問題がきっかけでマネの絆がさらに固くなった。
マネージャーに背番号がないことが私は以前は嫌だった。
それは言葉通り背番号がないということではなくて、マネージャーはマネージャーとして一括りで見られてしまうから。
どれだけチーム想いのマネージャーがいても、試合中のマネージャーの態度が悪ければ、チームのマネージャーの印象としては後者が反映されてしまう。
選手だったら○番上手いねとチームの戦術と併せて個人への評価も必ずある。
でもマネージャーは名前でも背番号でもなくマネージャー。
負けず嫌いプライド高めの私からしたらそれが嫌だった。
でも4月の問題が起きて、マネージャーのチームに対する考え方だったり気持ちだったり、全てが同じということがわかった。
それは本気でチームに向き合ってる人にしか理解できないものだと思う。
目的の違うマネージャーと、本気で向き合ってるマネージャー、これが同じ北九大のマネージャーと認識されるのが悔しいという感情をみんなが持っていた。
そのときに初めてこのマネージャーメンバーって最強じゃんという自信がついた。
この問題が起こらなければ、選手と対立することも話し合うことも、選手権前の大事な練習中に練習以外のことを考えることもなかった。
けれど、この問題が起きたからこそ気づけたものもあった。
選手権前にこの気づきを得れてよかった。
この5年間、マネージャーにたくさんの厳しい言葉を伝えた。
1画面では収まらないくらいのLINEを送ったこともあったし、今そのLINEを見たら心苦しくなるから見れないというぐらいバトったこともあった。
でもそれも全て勝つため、チームのため。
それをわかってくれて、受け入れて、彼女たちの意見も伝えてくれるようになった。
誰よりもチームのことを考えてたみんなとだから、全国大会に行きたかったし、九州1、全国1のマネージャーになりたかったと思う。
この夢は後輩に託します。
以前、キャプテンと立ち話していたときに3年マネージャーはチームに対してどう思ってるんですかね?と言われたことがあった。
私は良くも悪くも全て言ってしまうタイプだけど、後輩はそうではなくて、でもそばで頑張っているのを見ていたからこそ彼女たちの気持ちも伝わってほしいなと感じた。
そしてそのときに改めて気持ちって伝えないと伝わらないんだなと感じた。
そんなことがあって、開設したマネージャーブログ。
チームのみんなに読んでもらいたいねと話していたけど、想像以上に色々な方に読んでもらえて嬉しい限り。
あのブログを通して、マネージャー間でも気持ちが伝わるようになった。
もう少し早く始めておけばよかったなと少し後悔もある。
これからは遠くで頑張る息子娘を応援する母の気持ちで読みたい。
同級生4人は私の誇り。
入学したときからスーパーだったかと言われるとそうではない。
前回の記事でも書いたように負け続けていたときも、努力し続け、ブレなかったみんな。
すごく真剣にフットサルに向き合ってたからこそ、多くのものを掴むことができたのだとおもう。
あと、みんな地頭がいい。なぜかわからないけど。
友は1年お互い休学してたのもあって、この1年更に仲良くなりました✌︎
彼が言ってた
「名は体を表す、じゃなくて、体は名を表す、だと思う」という言葉が、いつまでも心に残ってるのは、友がそういう人間だからかな。
バサジィでがんばれ🧡いつまでも応援してます
この5年間、私がやってきたことは文章にするとおそらく何行かで終わると思う。
この間、セブンルールを見ていたとき心に残った言葉があった。
マネージャーも同じことが言えるなと思った。
マネージャーの仕事は正直誰にでもできる仕事だと今でも思う。
でもその誰にでもできるのは作業の話。(スクイズ入れ、タイマー等)
多くのマネージャーが求められているのは仕事の方だと思う。
自分から率先して動いたり、臨機応変に動いたり。(怪我をしたとき、コロナで不測の事態になったとき等)
自分が仕事ができていたのかわからない。
引退にあたって、他大学の先輩からお褒めの言葉をいただいて、嬉しい気持ちもあるけど、自分のチームの選手はどう思ってるんだろうって不安になった。
でも卒業メッセージで、1年生の選手がくれた
「選手にとって、こんなにも心強いマネージャーは初めてです!」
という言葉でこの5年間間違ってなかったなと思うことができた。
(一方では、「人よりも頭の回転も早い(←ここ重要💡ありがとうございます😇)けど、言葉が先に出てしまうことが良くない方向にいくこともあるから発言前に一呼吸置こう」というメッセージも私の5年間を表している気もする)
私のことがうざいなと思う人もいると思うし、他大学からは自チームを守りたすぎてあまり良く思われてないのかもしれない。
でもこの5年間私はとにかく幸せだった。
そしてとにかく幸せな環境にいた。
私に関わってくださった方々、本当にありがとうございました😭
正解も間違いもない
そんな5年間だった。
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