死にたくなっていたあの日から
カチリと横のボタンを押すと青白い光が私の顔を照らした。
私は死にたかった。
別に両親が離婚したとか、学校でいじめにあってるとか、そういう事ではない。
ただ、同じ毎日を繰り返すのに飽きたのだ。毎朝同じ道を通って通学していると、その道に私の足跡がつくんじゃないかと思う程、毎日が同じことの繰り返しなのだ。大人になって、例え通っていく道は違っていくにしても、その先何十年も同じ毎日を繰り返すのなんて私には耐えられない。
だから、死にたいのだ。
真っ暗な部屋の中でスマホを弄ると目が悪くなるわよ。と母にあれ程口を酸っぱくして言われたけど、電気を付けるのも億劫でベットから極力動きたくない。ベットに根が張ったように動けない。
「はぁ、楽に死ねる方法載ってないかな」
とネットサーフィンをしながら呟く。昨日はリストカットの記事を読んで、切れるところがない位まで腕を切った。一昨日は首吊りの記事を読んで、身近な紐で首吊りをして未遂で終わった。今日はどの記事を読もうかとスマホの画面を指でスクロールしていく。嫌でも指先が目に入るこの瞬間が嫌いだった。昔はネイルするのが好きで、休みの度に季節に合わせたネイルをしていたのに、ストレスで爪を噛むようになり、いまでは深爪である。爪を見る度に過去の自分に責められてる気がしてくる。電気を付けない理由も本当はこれかもしれない。
「はぁ、死にたいな」
と最早口癖にもなった言葉を吐き出すと、
「死にたいんですね?」
と声が聞こえた。
スマホの懐中電灯でゆっくり部屋を見てみると、部屋の中心に“なにか”がいた。
「……え?」
その“なにか”は背中に大きな鎌を背負っていて、ボロボロで汚らしい服を着ていた、フードのせいで目は見えず口元しか見えない。
「……だ、だれ」
緊張で声が擦れた。その“なにか”はゆっくり笑って
「申し遅れました。私、死神と申します。貴方様が死にたいようでしたのでお迎えに上がりました。」
なるほど。妙に納得してしまった。背中に大きな鎌を背負い、ボロボロの布を身にまとっている死神は私が昔に絵本で読んだ、the死神といった感じがした。
「死にたいんですよね?」
彼はゆっくりと私のベットの傍まで近づきそう言った。
声を発せられないくらいの緊張と驚きと非日常に脳の処理が追いつかない私はこくこくと首を縦に振ることしかできなかった。
「それでは死に場所を探しましょう」
と言いながら手を差し伸べた。私と同じくらいほっそりと痩せている手だった。
この手を取れば私は死ねる。そう確信した私は恐る恐る手を取った。冷たい手だった。彼は死んでいるんだ。と漠然と思った。
死神に手を引かれて自室のドアを開けるとそこは樹海だった。
なんで自室から樹海に飛んだのか、どんな魔法なのか問い詰める前に私は空があんなに高いところにある事に驚き、懐かしい気持ちになった。何故か幼少期に家族でディズニーランドに行って、迷子になってキャストのお姉さんと手を繋いで家族を探している時。周りを歩く大人がいつもよりも一回り大きく見えて怖くなって、お母さんと離れた悲しさと大人が怖い恐怖で頭が割れるほど泣いたのを思い出した。
「ここで首を吊れば誰にも見つからずに死ねますよ?どうしますか?」
死神の言葉が耳に入らないほど私は懐かしい気持ちに浸っていた。
それからというもの死神は毎日私の部屋に現れた。どうやら死神は自由自在に姿を変えられるらしく、イタリアに死に場所を探しに行く時にはじめて目を見た。目自体に違和感はなかったが、すべてを見透かすオレンジ色の目をしていて昔見た『不思議の国のアリス』のチェシャ猫の目を彷彿とさせた。因みにその時の死神は私と同い年くらい。髪は栗毛で、グレーの目をした男の子に変身していた。
死神が姿を変える度に私も服に気を配るようになった。海での死に場所を探す時に箪笥の奥から引っ張りだしたワンピースを着てみると
「お似合いですね」
と目を細めて笑ってくれたのが嬉しく胸が高揚した。死神に手首の汚い傷を見られるのが嫌で少しずつリストカットをやめた。
死神とは色々なところに死に場所を探しに行った。
自室のドアを開ければそこは、誰もいない無人島、白夜が起きるスェーデンの湖、本来なら水圧でペシャンコになってしまうであろう深海、RPGに出てきそうな廃墟。今は誰も使ってないお城。
死神と色々な所を回ったからといってなにか話す訳でも写真を撮るわけでもない。ただそこに行って死に場所に相応しいか聞かれるだけだった。それ以外死神は話さなかった。
お誕生日には私が昔から行きたかったイギリスに連れて行ってもらった。
その時の私はとびきりお洒落をした。爪も少しずつ伸びてきて久しぶりのネイルに手を震わせた。藍色のワンピースをきて自室のドアを飛び出した。
お誕生日だから。と、死神と一緒にはじめて夕食を食べた。久しぶりにお肉を食べるのに苦心をしていると向かい側のアルセーヌ・ルパンを彷彿とさせる英国紳士に扮した死神がくすくすと笑っていた。
「なにも食べないの?」
「お腹、好かないんですよ私。」
とグラスを指でなぞりながら死神は答えた。はじめて死に場所をここにするかどうか以外で、声が聞けたので私は胸がドキドキしてしまった。
「それだけじゃないですよ。死ぬと全ての欲求が消えてしまうんです。」
「へぇ…」
「それでも死にたいんですか?お嬢さん」
死にたい。
そんな感情を久しぶりに思い出した。死神とは死に場所を探しに来たのであってこうして話せたりするのもそもそも可笑しいのだ。
「えっと…」
「まぁここはレストランで死に場所ではありませんからね。早く死に場所候補を見に行きましょう。」
そう言って目で私を急かして来たので急いでステーキを切り分けて外に出た。
「どうですか?ここから飛び降りればすぐに死ねると思いますが」
ここはビッグ・ベンの時計の長針の上。確かにここから飛び降りれば、ものすごい速さで落ちていき地面に叩きつけられ肢体がバラバラになっていく意識もないまま死ねそうだった。前の私なら躊躇うことなくここにしただろう。かつてピーターパンがここに訪れみなに、「信じれば空さえ飛べる」と謳った希望の象徴でもある彼の顔に泥を塗るのはとても痛快だと思ったからだ。
だがいまはここから飛び降りるのが怖かった。実をいうと随分と前から魅力的な死に場所は見つかっていた。だが決定することができなかったのは死ぬのが怖かったからだ。死ぬのを先延ばしにしてしまったのだ。
「どうしますか?」
と隣に立つ死神が問う。
「やめておきます」
私はいつもの答えを返す。
「そうですか」
と死神もいつもの返答をする。
死神に連れられて自室に戻り、死神は
「また明日、伺います」
と言う。私は無言で首を縦に振る。
明日はどこに行けるんだろう。
そう思うことが増えた気がする。毎日が少しだけ楽しい。明日は砂丘に行きたいな。明日のことをあれこれ考えながら眠りに就く。これからもずっとこんなやり取りが続くと思って。
「今日は砂丘に行きたいな」
部屋の中で一人で呟く。なぜ砂丘なのか。誰に言ったのか。分からなかった。勝手に口から飛び出てきた文章に私は戸惑いを隠せなかった。
綺麗に整頓された部屋。壁にかけられた今季トレンドのワンピース。色とりどりのネイル。いつもとなにも変わらない。でも何故だろう。なにか忘れてる気がする。頭の中に靄がかかってスッキリしない。大切なリングが机の下に落ちて探してるうちに昔なくした消しゴムを見つけて、本来なにを探していたのか忘れてしまったような。そんな感覚だった。
なんだろう。鼻がツーンとして涙が出てきた。誰かと別れてしまった後のような泣き方だった。誰とも別れていないのに。
もっとなにか思い出そうとワンピースを手に取るとスマホの通知音が鳴ってLINEを開く。
『明日スタバの新作だって〜!放課後飲みに行こうね!!』
あ、そうか。明日はスタバの新作が出るんだった。ワンピースを丁寧に元あった位置に掛けた。
「そっか、さよならなのね」
勝手に口から滑り落ちた文章と止まらない涙に戸惑いながら、LINEの返信をした。
あとがき
この作品は私がmonogataryにて掲載している作品です。既に読んだことある方はすみません。この扉絵は私の友達が描いてくれました。少しずつひとつの作品になっていくこの作品が愛おしくて仕方ありません。よければ感想を頂けると嬉しいです。