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私と刀剣乱舞と10年
まずは、おめでとう!!!!!!!!
刀剣乱舞10周年おめでとう~~~~~~!!!!!!!! リリースから10年、長いようであっという間だった。
とうらぶから思い出を語って~!!!というポストを見た私
「10年を140文字で語り切れるわけがないじゃろがい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
……つい叫んでしまった。感謝の気持ちを述べるためにも、おぼろげな記憶をたどりつつ、書いてみようと思い、ここに記します。
リリース当時
刀剣乱舞のリリースは2015年1月14日。 刀剣乱舞がリリースするよとまだ青い鳥の頃のTwitterで話題になって、私は清光に一目惚れをしてしまっていた。当時、私は赤色が大好きで、通学用の車も赤を選んだし、鞄も靴も赤を選ぶことが好きだった。清光を見た時、赤と黒のコントラストにとても惹かれて、彼の持つミステリアスな雰囲気もとても好ましかった。彼を知りたいと思ってしまった。
そして、1月14日の当日。
私は、専門学校入学を控え、家でのんびりと過ごしていた。 けれどこの日、私は苦虫を噛み締めた記憶がある。 サービス開始初日に私は意気揚々と登録をしようとしていた。けど、、、
ぜっんぜんサーバーに繋がらない!!!!!!!!!!
焦ってなんでなんで!?となっているうちにサーバー定員終了。 審神者になることすらできなかった。悔しかった…。
それでも私はあきらめなかった。審神者になりたかった。
数日後、うららかな春の陽気が窓から降り注ぐ、両親の部屋で私は一人気合いを入れていた。 当時、両親の部屋にはルーターが設置されていたから、少しでもサーバー戦争に勝てるように、とノートPCを抱えて留守の両親の部屋に忍び込んだ。 新しいサーバーが解放されて、すぐに登録チャレンジをして何度も固まりながら、なんとか審神者になることができた。本当に嬉しくて、「よっし!!!!よっし!!!!」と何度もガッポーズをした。
窓から降り注ぐ午後の日差しがきらきらと輝いて、部屋が黄金に光っていたと思う。 まるで神様との出会いを祝福するかのように。
これが、刀剣乱舞との10年の始まりだった。
リリース当時、私は太刀がすごく好きだった。
火力が出やすく、育成がしやすい。爆速でリリース済みのステージを駆け抜けて、燭台切や獅子王たちと何度もお山をぐるぐるした。(夜戦がリリースされてからは当然痛い目を見る羽目となったけど…)
それから、今では鼻ほじってでも倒せる検非違使が、この時は大嫌いだった。なるべくボスマスを踏まないようにしていたけど、うっかりは何回もあった。
学生時代
その後、専門学校に入学して始めは楽しく学校に通っていた。
帰宅するのが、本当に楽しみだった。帰宅して学生寮で課題をこなしながら、別のモニターで刀剣乱舞をのんびりするのが大好きだった。
大阪城で周回しながら高速槍に悩んでいた時が今ではとても懐かしい。当時の自分に、「その高速槍、無力化させる剣が出るよ」と教えたいくらいだ。
専門学校2年生になって、酷い鬱になった。
この頃の私は、刀剣乱舞Pocketに救われていた感がある。 人間関係がうまくいかなくて、学校に行くのが億劫で辛かった。 それでも学校は行かなくてはならないから、私は「通学中の電車では刀剣乱舞を回そう」と決めてなんとか学校に行けた。 朝7時代の中央線に揺られながら、(多分)鍛刀をして三日月に初めて出会えた時のことを今でも私は覚えている。静かな中央線の中で、私は声を押し殺してガッポーズをした。
1人でいると嫌なことばかりを考えてしまうから、そういう時は必ず本丸を開いた。
社会人になって
専門学校をなんとか卒業して、新卒で入社した会社は毎日22時間労働の激務の会社だった。ほぼおうちに帰れない毎日の中で、なんとか帰れた日は必ず本丸を開いた。寝不足で心身ぼろぼろの状態で、久しく会えていなかった近侍が拗ねながら迎えてくれるのが嬉しくて、安心して泣いた。帰ってこれてよかったぁ…と何度も清光に向かって呟いた。
それから、刀ミュの「つはものどもがゆめのあと」のチケットに奇跡的に当選して、先輩と上司に頼み込んでなんとか有給を取って観劇に行った。仕事のせいで寝不足でボロボロの状態だったけれど、本当に行ってよかったと思えた。男士たちの掛け合い、殺陣、物語、全てが私に「また観れるように頑張ろう」と思わせてくれた。キャストや金銭的な事情から、ミュだけはがんばってなるべく応援したいという気持ちになった。
そして聚楽第が実装され、うっかり長義くんがどうしても気になる男士となってしまったのがこのあたりだったと思う。
2019年くらい
会社を退職して転職すると、ようやくゆっくりとした生活が始まった。 清光のアジアツアーに参加することができた。幕張メッセのホールはフラットで全然清光が見えなかった。けれど、彼は全力で会場を走り回って、少しでも傍に来ようとしてくれていて嬉しかった。清光が汗だくで、息が上がっているのがマイク越しでもよくわかった。ありがとう、清光…。(余談だけど、この時のチケットの金額は7800円。同じ会場、同じレベルの座席で祝玖寿は12800円。最近、チケットケースを整理していたらチケット代が一万円以下だったということに気付いた。チケットの金額で時の流れを感じたし、経済の変貌も感じた。)
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引っ越しの片付けが落ち着いた頃に小学校からの同級生が刀剣乱舞にハマっていることを知った。つわものですっかり源氏に落ちていた私は彼女に久し振りの連絡をとって、「髭切膝丸 双騎出陣2019〜SOGA〜」の観劇へ誘った。
……が、地獄だった。
この時期、私と同じく源氏が見たい!!!と思っていたファンは物凄くいて、全くチケットが当たらないのだ。しかも品川ステラボールという狭い劇場だったから、余計に苦戦した。
友人と先行から一般まで応募し続けた。落ちに落ち続けて、私と友人はついに悪魔?と契約することまで選んだ。LEncoreである……。有料クレカを作ってでも、見たかった。それでも、チケットは当たる事はなかった。苦虫を噛み締め乍ら、私と友人は地元の映画館で配信を見た。久し振りに友人に会えてうれしかった。双騎が素晴らしかったため、「次こそは劇場で見よう」と余計に固く誓い合った。
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そして迎えた、「葵咲本紀」。
私たちは固く誓い合った以上に、奇跡をブチ当ててしまった。 なんと「1階B例(※2列目)」のチケットに当選させていただけたのである。 当選した時、私と友人は本当に喜んだ。……が、私は寸前まで観劇を悩む羽目になる。 完治した今だから、笑い話として言えるがこの時、私は痔を患っており(苦笑)観劇数週間前に爆発させてしまい、手術を受ける羽目になっていたのだ。傷がある中で長時間の観劇にとても不安があった。なんとも情けない理由である。幸いにも、友人の気遣いや、主治医の手術の腕のおかげで、傷は落ち着き、私はなんとか観劇に行くことができた。ステージが目の前という状況にとても感動した。村正ちゃんを始め、みんなの汗がきらきら光って、舞台に落ちる光景にとても感激した。ただ、劇場が寒すぎる&近すぎて、冷えと緊張でお腹が痛くなったのも覚えている(笑)そして、当時の半券もまだ手元に思い出として残っている。
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葵咲本紀を観劇後、私はしばらく刀剣乱舞を留守がちになった。 この時期の刀剣乱舞のファンは過激派が多く頻繁にTwitterで学級会が開かれたり、マナーがなっていない人も多く、作品を応援することに疲れ始めてしまっていた。今思うに、この頃はまだファンの年齢層が「幼かった」んだと思う。
それから、私は刀剣乱舞という作品が好きすぎるあまり、自分に完璧を求めすぎていた節があると思う。恰好よく男士たちの漫画やイラストを描きたいのに画力が足りな過ぎて、理想の物を描けなくて、とても悔しかった。画力を鍛えて、冷静になる期間が必要だったのだ。満足ができる物が描けるある程度の画力と穏やかに応援できる日が来るまで、私は刀剣乱舞を少しだけ封印した。
それでも刀剣乱舞は横目に情報を追って、どんなことが起きているのかの情報を追っていたし、新しいイベントが実装されれば参加していた。
そして、2023年の終わり。
私は、再び刀剣乱舞へ本格的に戻ってきた。 私は冬に鬱や体調が悪化することが多く、その間はベッドでかたつむりになっていることが多い。そうするとどうしても暇なのだ。そんな時に、「冬の連隊戦」が始まった。相変わらず、男士たちが敵をなぎ倒していく姿がとても心地が良く、私の心は真っ暗な部屋ではなく、ずーっと男士たちと戦場にいた。第一部隊隊長の三日月と何度も「濁」を倒すにはどうしようか、と相談した。装備を変えても、濁が倒しきれなくて、悔しくて悔しくて仕方なかった。
この時、私は本格的に審神者に戻ることを決めた。
必ず濁を叩きつぶす、と心に誓った。それから装備について、刀種の有利不利、極のパラメータなど徹底的に勉強し直し、ひたすら某質問袋で戦略アドバイスをした。人に教えた方が身に付くのが早いし、いろんな刀種やステージでの戦略を考え、検証する必要があったから勉強にもなった。気が付けばベストアンサーをたくさんいただき、刀剣乱舞のカテゴリーマスターまでなれるようになった。どんなマップだろうと負ける気など、もうしない。
2024年
3月には陸奥一蓮を観劇に行った。 久し振りに双眼鏡越しに見た三日月は、本物の神様のように美しかったのを覚えている。こんなに美しい人が目の前にいることを信じられなくて、双眼鏡と肉眼を何度も往復した。会場のスポットライトと、ホコリがきらきら、きらきら、と三日月を取り巻いていて、美しさのあまり言葉を失って、感動のあまり涙が止まらなかった。
4月には長義の模造刀をお迎えした。
2024年の夏には、百鬼夜行の最前線で極短刀と三日月たちを鍛えに鍛え上げた。大侵寇の時もそうだったけど、一緒に他の審神者たちと戦っているという感覚が、すごくわくわくした。大侵寇の時には、あまり戦力にはならなかったけど、先陣切って最前線に男士たちと立てていることが嬉しくて、どんどん敵をなぎ倒した。
8月には、長義に続いてまんばの模造刀をお迎えした。
兄は小さい頃に木刀や刀を欲しがったけれど、私は全く興味がなかった。それなのに、大人になってから私はこんな大きくて重い日本刀を2振りもお迎えした。こんな未来、小さい頃の私には全然予想もできなかったと思う。
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—それから2024年、冬。
ついに2024年、冬の連隊戦が始まった。私はこの時をずっと待っていた。 私はこの時のために、
1年間かけて育て上げた極短刀カンスト6を濁の前に超攻撃表示で召喚!!!!
「絶対にお前殺ってやるからな!!!!!!」の気持ちである。案の定、濁はワンパンで散っていった。三日月率いる第一部隊も濁を倒した。ささやかな復讐は成功した。「よっっっっっしゃあ、ざまあみろーっ」と私は一人、部屋で喜びの声を上げた。
刀ミュの祝玖寿 乱舞音曲祭では神奈川公演4日間を現地で観劇した。座席はアリーナもあった。とても近く、長義くんだけではなく五月雨に村雲、松井など全ての男士の美しさや身のこなしに釘付けになって、夢のような4日間はあっという間だった。
刀剣乱舞の漫画同人誌も一冊分、描き上げることもできた。DIYも始めた私は、男士が穏やかに過ごせるようにとライトボックスまで作った。男士たちのことを考え乍ら試行錯誤するもの作りはとても楽しかった。
ここまでくると部屋は刀剣乱舞まみれになっていた。
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刀剣乱舞を通して、友人も増えた。
最近では少し体調もいいから、2月には友人と足利に行く約束をしている。まんばと長義を見ることも楽しみだけれど、刀剣乱舞のおかげで活き活きとした町や人々に出会えることを今から、とても楽しみにしています。
最後に
2015年1月14日のリリースからこれまで、私の人生には刀剣乱舞がいつでも傍にいてくれた。
本丸にしばらく行けない期間もあった、それでも近侍はちゃんとお迎えをしてくれた。正直、私は病弱すぎる。この10年間で鬱以外にもかなり病気を抱えてしまって、つらくて、身体が痛くて、何度も何度も泣いた。そのせいで、この10年は痛いと辛いの記憶の方が多い。 けれど、本丸を開くとそんなことどうでもよくなってくる。敵を、道をどんどん斬り開いていく彼らを見ていると、気持ちがスカッとしてくる。私も道を切り開いていきたいという気持ちになれる。
薬の副作用などもあってどうしても気持ちが沈んで「痛い、辛い、消えたい」と考えてしまうこともあるけれど、もう私はこの選択肢はいつでも斬り捨てられる。
「つらい、痛い、消えたい」という気持ちよりそれよりも、「刀剣乱舞のこれからの未来を絶対見たい」という気持ちが強い。
刀剣乱舞(スタッフの皆様)、私の本丸の男士たち、10年間私を支えてくれてありがとう。
どうか、これからも末永く繁栄していけるコンテンツでありますように。
私の本丸の男士たちは死ぬまで私の傍に居てくれ。
なんなら、死んでも君たちを連れて行きたい。
もう君たちなしでは私は生きられそうにないから。
#わたしの本丸これからも刀剣男士と一緒 #刀剣乱舞ONLINEもうすぐ十周年