もしコロナウイルスが目に見えていたら
去年から世界で猛威を振るいまくっているコロナ。
もしもコロナが目に見えていたら、そう考えることが度々あったので今夜はそのことについて記していきます。
まずコロナ差別、ニュースでも多く取り上げられることありますよね。
国内でもコロナ患者の方や、最前線で戦っていただいている医療従事者の方々への誹謗中傷に加えて最近特に話題になっているアジア人差別、
それらがよくないことは子供でも分かること。なのにしているのはどうやら大人。
きっと差別をしてしまうのは不安だから、怖いからじゃないかと思うんです。
そして大人が差別してしまうのは日々ニュースで流れる情報を子供よりわかりすぎているから。
気づけば豪華客船のニュースが連日報じられ始め、得体の知れないウイルスの発生源はどこなのか、症状は出るのか、どんな症状があるのか、どうすれば感染は防げるのか、どんな人がかかりやすいのか、
濁流のように流れ込んでくる情報とそれぞれ様々なことをいう解説者。
どれを信じればいいのか。どうするのが正解なのか。
私たちは言葉を聞き、情報を見極め、周りと相談しながら、時には相談する間もなく常に手探りで行動してきた。
そうしてきたのは、そうせざるを得なかったのは
コロナウイルスが目に見えなかったからなのではないかと思うんです。
もし私の目に、あなたの目に今コロナが見えていたら、どうしますか。
あなたが今見ている液晶画面についていたら
私が今せかせか打っているキーボードについていたら
口にしようとしていた食べ物についていたら
温かいお湯の張った湯船に浮かんでいたら
袖を通そうとしているお気に入りの服についていたら
かかとがすり減った靴についていたら
もしあなたの、私の目の前に浮かんでいたら
ぞっとしますね。
何が言いたいかというと、別にコロナが見えなくてよかったっていうわけじゃない。見えなくて幸せだなんてことは決してない。
そう考えるにはコロナは罪が重すぎる。
今こうしている間にも、コロナに苦しめられている人は多くいる。
コロナがいる世界で私たちが幸せになるのは難しすぎる。
でも人のやさしさだって目に見えない。目に見える形のやさしさもあるけど大抵は見えないのがやさしさだと思う。
負けたくない。
目に見えないもの同士で負けたくない。
負けてたまるか。
私たちとコロナの闘いはどこか終点かなんてわからない。
でもあきらめない。あきらめたくない。
人の力を、私たちの力を信じたい。
追伸
もし見えていたらのところ、あなたを怖がらせてしまったらごめんなさい。
私も思っていたより怖かったし、投稿しようかすごく迷いました。
でもコロナに対しては怖がるのが正しいと思うんです。
それでも怖がらせてしまったならごめんなさい。