きみのもとから飛んでゆくための
素敵企画に参加しています!ペアを組んでいただいた小皿さま(@kozara_chg)へ。まずは自分の考えたお題から。「買い物デートをするネウヤコ」です!
*
それは、普段通りのあいつの、小腹を満たす食事の準備なのだと思っていた。
わたしを連れて歩くことに、それ以外の理由などないのだと。
「ヤコ、出掛けるぞ」
「ちょ、っと、まってよいまプリン食べようとしてたの見てたよね!?何でせめて開ける前に言ってくれないの!?」
「知らん」
嘘だ。どう考えてもいちばんわたしが嫌がる瞬間をベストタイミングで狙ってきた。出掛けるにしてもせめて一口くらいは食べてから行きたいと甘い香りに誘惑されて思うけれども、この魔人がわたしの願いなど聞き入れてくれる筈もなかった。帰ってきてから、じっくり味わうことにしよう。噂に聞いて食べたくて並んで、やっと制限個数ぎりぎり買い求めたプリンなのだ。
ドSで人を虐げることにしか興味がなくて、自分のしたいことは絶対に貫くネウロ。早く追いかけなければ。「行って来るね、アカネちゃん」アカネちゃんがぴょこぴょこと嬉しそうな跳ね方をしているのに、わたしは気付く余裕などないまま、ばたばたと部屋を出る。もちろんネウロが座っていた椅子に伏せられた、女性向けのファッション誌になんて、更に気付く由もなかった。
今日は最近では珍しく、取り掛かっている依頼も、来客の予定もない休日だった。だからてっきり空腹に耐えかねて謎の気配を探しに事務所を飛び出したのだろうと踏んでいたのだが、なんだか様子が違う。あの、飢えた様子がないのだ。落ち着いているというか。そういえば昨日は事務所に吾代さんが来ていた。ネウロも機嫌が良さそうだった。ん?ということは、昨日ネウロを満足させるような謎を吾代さんが持ち込んで、お腹は空いていないのでは?でも、だったらどうしてわたしを連れて外出?
物思いに耽りながらネウロについて行き、
近場の商店街を通り過ぎ、
電車に乗り、
気付いたら高級百貨店ばかりが立ち並ぶ駅を降りていた。
「えっ、ネウロ、銀座!?」
「そうだが。最早自分の住む国の地理も危ういほどに退化したか?」
「頭の中調べようか?みたいに道具出さないで!大丈夫だから!!……そうじゃなくて、いつもこう、都会なら都会でもっと雑多なところが多いでしょ。意外だなって思っただけだから」
「ふむ。普段も行き先を決めて回っている訳ではないが、確かにこの街の空気は謎が今まさに生まれているときのそれとはすこし違うな。秘めたものはあるが、まだどの謎も熟れるのを待っている気配だ」
どこか穏やかな口ぶりに、首を傾げる。機嫌が良いとは言えこの落ち着きっぷり、やはり空腹時の様子ではない。
「入るぞ」
「待って待って!今行くから、……って、ここ、」
ネウロの後を慌てて追って店内に入ったときにはもう遅かった。普段ならば決してわたしに縁のない、おしゃれで高級感漂う空気に、あっと言う間に打ち砕かれるような場違い感を味わうことになった。明るいが上品な照明、磨かれ抜いた床、ディスプレイされたぴかぴかの小物や、靴たち。流行に疎いわたしでも知っている、しかしどんなに臨時収入を手にしてもわたしの履く候補には決して上がらない、有名な靴の高級ブランド店。
華やかで隙のない振る舞いの女性店員さんが、外見だけは完璧なネウロをマトモな客と認識し、こちらに近づいてくる。ああ。やばい。身ぐるみ剥がされる。ここの一足分のお金なんて持っているわけがない。
「いらっしゃいませ。彼女さんの靴をお探しですか?」
「ええ。余り華やかなものだと気後れしてしまうようなので、シンプルで歩きやすいものなどないかと思いまして」
ああ、更にやばい。ネウロが猫かぶりモードだ。しかもわざとらしく皮肉を言うことすらなく、完全に感じの良い一般人に擬態している。何を企んでいるのか、全く分からなかった。ここで殺人事件がこれから起こるとか……?
「こちらなどいかがでしょうか。ヒールは高いですが、ストラップもついていますし、プラットフォームなので歩きやすいんですよ」
「ヤコ、履いてみろ」
ぷらっとふぉーむってなんなんだろう、しかも踵めっちゃ高いし……ネウロは何を考えているんだろう。上手く履けない様子を見て喜ぶ……?いやそれだとこいつの嫌がらせには弱い気が……
様々な戸惑いが頭をぐるぐる巡って、更には高級品だと思うとうかつに扱えないことも相俟って、おそるおそる靴を手に取る。甲の交差しているリボンのような部分や、足首をぐるりと取り囲むストラップも大人っぽいデザインで素敵だ。もたついているわたしに業を煮やしたのか、ネウロがわたしの手から靴を取り上げると、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていたことが起こった。ネウロが、あのネウロが、わたしの前に、跪いている!?
「……悪くないな。馬子にも衣装、ミジンコにも良い靴か」
誰がミジンコよ、ミジンコは靴なんて履かないでしょうよ、と突っ込むこともできずにわたしは呆気に取られていた。ネウロが座っているわたしの前に跪き、靴を履かせ、満足気に眺めた後は会計まで済ませていた。「このまま履いて行くので」と店員に伝え、わたしのところへ戻って来る。
「立て」
「えっ、な、なに、これ」
「プレゼントだ」
「ぷ、れ………?」
「遅い」
全く状況を理解できないわたしの腕を、ネウロが強くぐいと引っ張る。無理矢理立たされたわたしは、慣れないヒールの高さにふらつき、倒れるか、と思ったところで踏み止まった。あれ。高いわりに、安定してる。
「行くぞ」
ネウロに半ば引きずられるようにして、けれどしっかりと転ばずに歩けたその靴は、魔法のようにきらめいて本当にきれいだった。歩きながら、何度も何度も足元を見てしまった。コンクリートをヒールが打つ、小気味良い音。ネウロと、普段より近づいた目線の高さ。
「靴を贈るのは、自分の元から離れて行けという意味になると書いてあったのでな」
やっと歩くのに慣れて来た頃、ネウロが上機嫌な声で切り出す。叶絵から借りたファッション誌が思い当たった。プリンのお店が載っていて借りたのだ。確かその数ページ後、「恋人に贈ってはいけない!NGプレゼント」の特集があったはずだ。
「で?わたしに離れて行って欲しいって?」
「当たり前だ。ずっと側にいて動かないおもちゃなど何が面白い?逃がしてやって、我が輩がすぐ捕まえるのも知らず進んで行くのを眺めるのが滑稽で楽しいのだ」
言っている台詞はいつものネウロのドS風味だけれど、最大限良い方向に解釈することにした。
こいつはわたしが、自分の手から離れて進んで行くのを見たがっている。だったら精々、驚かせてやることにしよう。わたしはネウロが思いもしないような進化を遂げて、自分の足で、先に進んで、振り向いて笑ってやるのだ。空を飛ぶことはできないけれど、一歩、二歩、自分の足で進んで行くのだ。
今のわたしにはまだ大人びているようにも見えるこの靴が、似合うようになる日がいつか来るだろうか。
もう落ちかけている夕日が、靴のグリッターに反射して、きらり、眩しかった。
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