揺らぐ花譜


初めに

このnoteは自分の中の花譜の解釈を整理する意味合いが強く論拠も理論も整然としていなくアップデートもろくに出来ない耄碌老人の戯言のようなものなので温かく見てくださったら幸いです。※再掲です

花譜は揺らぐ

僕の中の花譜はいつもゆらゆら揺れていた。それは彼女の体であったり、はたまた歌声であったりする。彼女は揺らぐ。将来の事であったり、自分のことについてぐらぐら揺らぐ。けどそれでいて、楽しそうに歌っているのが僕の中の彼女だった。

花譜は弱冠14歳でデビューをしてこの3年と余月活動をしてきた。最初期の歌声は何処か不安定で、真っ直ぐに伸びる訳ではなく脇道小道を通っていくような揺らぎを含んでいた。しかしそれは五臓六腑に染み渡るスープのような温かさを持っていて、夏の小川で明滅する蛍を見ているかの様なイメージがあった。

また、当時の花譜の存在も揺らいでいた。彼女は当時中学三年生、つまりはまだ「少女」であった。そしてそんな中で彼女は「どこにでもいるどこにもいない少女」としてバーチャルの世界で「花譜」になり、夜の渋谷にその身で彷徨い歌っていた。

バーチャルな存在でありながら現実にも干渉し、詩をポツリとインスタに上げる姿はなんとも言えないミステリアスさを持ち合わせた魔性でもあった。しかしながらインタビューでは、硝子細工の様な甲高い音で、拙いながらも自分の事を独白していてそのギャップがなんとも私たちを虜にさせた。

仮想と現実、魔性と純真、花譜と少女、彼女はそのギャップでも揺れていた。

揺らぐ彼女の魅力

彼女に限らず、どんなものも揺らいではいる。万物は流転しそこに息衝く以上は何かしら揺らいでいくものだ。例えばそれが、自分達の真に迫るものであっても。いや真に迫るものこそ揺らいでいるのだ。それは恋であったり生であったり。今もどこかで少女が淡い恋をしてどこかでは命の火が弱り揺らいで消えているのだろう。

彼女はそんな歌を歌う時が特に美しかった。彼女も特段そんなこと思っては居ないかもしれないが、明らかに生や恋の歌の時は、彼女の新価が特に発揮されているように思えたのだ。おそらくは揺らぐ存在である彼女で、その特異で唯一の歌声であったからこそ、揺れるもの同士が共振し、私の心に何か強い何かを与えてくるのだ。

私は彼女の歌を、とりわけ恋の歌を聞く度に胸の奥の虚しく切ない何かを必死に掻きむしりたくなるような気持ちに襲われ、まるで私自身がなにかに恋焦がれるような、そんな心地さえ覚える。彼女は揺らいでこそ、美しい。

彼女の揺らぎの変化

揺らぐ彼女も変わっていく。いつの間にか彼女は高校は卒業して、今は新生活を営んでいる。つまりは彼女は着実に「大人」となっていった。彼女はもうぼんやりと揺らぐ未来を見据える「子ども」などでは無くて、いつかの自分の望む未来へと向かう「大人」なのだ。

その時僕の胸には疑問が一つ浮かぶ。それならば彼女はもうあまり揺らぐことは無くなったのであろうか。彼女の魔性のミステリアスさと純真さは段々統合されていき不思議な性格の子だと言うイメージに変わっていった。そして「花譜」と「少女」の間で揺らいでいた彼女もいずれ統合され一つの存在となりつつあると本人も語っていた。

つまりは彼女は揺らぐもので無くなったのか。彼女の美しさはどこぞやへと立ち消えてしまったのか---その答えはNOと言えた。彼女は美しくなっている。彼女は揺らいでいる。それは以前の花譜の様なものでは無いけれども、別種の魅力や揺らぎでもって彼女は今日も歌っていた。

彼女が別の揺らぎや魅力を得たのは多分、「少女」と「花譜」が同じになったからであると私は思っている。彼女は某音楽アプリで歌っているところをどこぞの笛吹き男にヘッドハンティングされ「花譜」としてデビューすることになった。その時はまだ少女と花譜の間では明確な差異があり、花譜は目的が先行して実存が作られたようなものだった。しかし彼女は段々と花譜に近づいて混ざりあっていった。その結果、彼女は恐らく本物の意味で「花譜」となれたのではないだろうか。花譜となり得た彼女は、花譜であるから歌うのでなく、自分が歌いたいから歌っているのだ---そんな妄想が僕の頭の中ではずっとずっと居座っている。

それでも彼女は揺らいでいるのだろう。何故なら彼女は、花譜はそこに生きていて、生きているのならば揺らぐからだ。でも彼女はいつの間にか揺らぎの中にはっきりとした芯を持ち、何処か安心感を得れる歌声になっていた。

兎も角、僕の妄想の中で花譜はそんな存在となって今日もゆらゆらと歌っている。多分彼女が揺れているのは、晩御飯を決めあぐねているからだった。


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