花譜は渋谷にいなかった。

 渋谷へ行った。夜に。彼女がいるかもしれないという期待を何処かに抱えながら。
 夜の渋谷は、とんだ無法地帯だった。そこら中に吸い殻は落ちているし、未成年が道幅を占拠しながら駄弁ってあるき回り、ガラの悪い人間がキャッチをからかって音楽と光はビガビガなっていて傲岸不遜な場所だった。僕の想像とは、大違いだった。
 
 花譜のいる渋谷はもう少し静かで人も少なくて、青くて優しい夜をしていたような気がしていたのだけれども。それはあの写真の中だけで、幼い恋のような断片的の言葉と相まって感情はそれを美化したのであろうと、そう結論づけるを得なかった。
 
 花譜のいた渋谷は、実際にはなんてことない薄汚れた繁華街で、きっとそれなら彼女がそこに一人で存在していたのは僕が思っていた何倍も孤独であった。人の欲が散らかったその街で、クラゲのような桃髪を引っ提げた少女が一人そこに揺蕩う姿を追うのはすごくインモラルなことでないか。そう思った。
 
 でもきっと、だからこそ僕は彼女のインスタグラムにあそこまで惹かれたのじゃないかとそう強く感じているのだ。あの初期のインスタグラムから感じる、彼女のあどけなさと歳不相応な妖しさは同い年の拗れた男を誑かして人生を狂わせるのに十分足り得た。
 
 本当にずるい女の子だと思う。僕たちを魅せる月には手が届かないように、彼女は僕の心に強烈な閃光を叩きつけたというのに、触れ合うことはきっとない。本当にずるい。僕は今も残光に囚われて触れたくて手を伸ばしているというのに。彼女の存在に触れる度、その残光はなお強く光り輝いてやまないのだ。だから彼女は絶対に、自覚的な魔性の女の子だ。そうに違いない。
 
 決して夜の渋谷に探しに行っても存在していないであろう彼女はきっと今もそこに存在していて、時を止めたまま、あるいはゆっくりと成長しながらさまよっているのだろう。多分僕はまた花譜を探すだろう。きっと今度はもっと彼女が存在していない確信と、今度は出会えるかもしれない根拠のない予感を持って。


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