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【英文法】#9 進行形 (1) (A Boogie Wit da Hoodie - "Drowning")
【今回のポイント】
I'm drowning (A Boogie Wit da Hoodie - "Drowning")
◆Vが現在形のbe動詞 + 現在分詞(-ing)の場合、「…している」の意味になる
◆この例文でいえば完全に溺れた状態でなく、溺れゆく状態を指すことに注意
今回の動画でお伝えした内容はここまでです。この先、動画の内容に関連する内容をお読みいただけます。英語の話かもしれませんし、音楽の話かもしれません。何が出るかはお楽しみ!
【今日の一言】
今回、「…している」だけど"-ing"の形にならない例として、「住んでいる」の意味を持つ動詞"live"を取り上げました。実は日本の英語教育における最大の過ちは"和訳至上主義"だと私は思っています。実際には英語と日本語が1対1で対応することなんてまずありません。その認識を強く植えつけなければ、「…している」だから"-ing"みたいな考え方になっちゃうんではないかなと。
そして、これは逆説的でもありますが、その英語と日本語が1対1で対応するという考えから脱却するためには、英語を学ぶ前に日本語である程度、抽象的な思考ができるようになる必要があるのではないかなとも思います。あるいは、そんなことも気にする必要がないくらい幼い頃から英語のシャワーを浴びるか。自分は言語教育の専門家ではないので、ここに書いていることも憶測の域を出ませんが、単なる逐語訳でなくイメージを捉えて、そのイメージに合う英単語や文法事項を用いて言いたいことを表現するのって、後天的に獲得するには英語学習一辺倒ではダメな気がするんですよね。日本語の難しい文章を読むのでも、数学をやるのでもいい。とにかく抽象的な思考ができるような訓練をしないと、と思います。
いわゆる「英語コンプレックス」を持つ世の中の親御さんたちって、そういうことまでちゃんと考えているのかな? というか、そんなことを考えさせないような"和訳至上主義"を貫いてきた日本の英語教育が元凶なんですよね。これから自動翻訳のレベルが上がれば英語を勉強しなくてもよくなる、という意見もよく耳にし、その意見にはある程度までは賛成なのですが、そういうことを言う人って商談みたいなきわめて限られた語彙や表現で済む場面しか想定していないか、日本語と英語が1対1で対応すると思っているかのどちらかなんですよね。前者は人それぞれだからどうでもいいと思うけれど、後者は教育の敗北だなと強く思うわけです。
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