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祖父の好きなものすら知らない私

祖父が亡くなった。
30年近く近所に住んでいて、会いに行こうと思えばいつでも会える距離にいた祖父との思い出はほとんどない。

私の中の祖父はいつも、何もしない人だった。



祖父は昭和二年に生まれた。
8人兄弟の5番目で次男だった。

兄が戦死してしまい、祖父は継ぐはずのない実家の商店を継ぐことになってしまった。
おそらく本意ではなかったと思う。

儲けた時期もあったが、商才はあまりなかったそうだ。
赤字を支えたのは公務員をしていた祖母だった。

祖母は当時はまだ数少ない女性教師で、最終的に校長まで務めた。
日中は今で言うベビーシッターに子どもを預け、給食の時間に家に戻って授乳して、それからまた学校に戻って働いた。
そこそこ嫁いびりにもあったそうだ。

3人の子どもたちは全員東京の私大に行った。
学費も生活費も祖母が出した。
先代からいつの間にか膨らんだ店の借金も祖母が全て返した。
家も祖母が買った。
姑(曽祖母)と約束したから、と言って晩年は立派な墓を買った。
バブル期の公務員の退職金と年金はえげつなかった。

店をやっていた頃もやめた後も、祖父は家事や育児を全くしなかった。
そして、商売を知らない公務員の妻を世間知らずだと他人に卑下した。

あまりにも何もしないので、祖母が帰ってくる時間に合わせて米を洗うくらいしたらどうか?と親族に言われたとき
「一度するとアテにされる」
と言って家の中の仕事は一切しなかった。

長男が結婚し、男の子が生まれた。
祖父は沢山のものを初孫に買い与えた。
出所は祖母のお金だったけれど、祖父は孫の為に自分が良いと思ったものは何でも買った。
長男夫婦の意見は聞かなかった。

2人目の孫は女の子だった。
祖父は初孫ほどの興味は示さなかった。
大事な、可愛くて心配でたまらない初孫には歳を重ねるごとに小言を沢山言った。
新聞やワイドショーの情報を鵜呑みにしただけの高説や昭和の価値観の押し付けは、横で聞いているだけでも非常に耳触りだった。

退職した祖母が大好きな裁縫に勤しんでいると、少しは運動しなさいと叱った。
その祖父は、一日中ソファに座ってテレビを見ているだけの老後だった。
自分の探し物がないと、物の管理が出来ていないと祖母を叱った。


祖母はいつも祖父を大事にしていて、甲斐甲斐しく何から何まで世話をした。
退職後は2人で各地を旅行していた。
旅行の手配もパッキングも全て祖母がした。
旅行中は次の日祖父が着る服と下着を枕元に用意していた。
日本はもちろん世界中の旅行の写真を納めたアルバムを見つけ、バブル期の公務員てマジで(ry

祖父は酒はそこそこ、博打もしないし浮気もしなかった。
はたから見たら真面目で誠実な男だ。
真面目で誠実で、何もしない男の機嫌を祖母は最優先し、家族はいつも振り回されていた。

それでも明るく「今が一番幸せ」と笑う祖母のおかげで家庭は保たれていた。


3年前祖母が亡くなったとき、祖父は涙ながらに棺の中の祖母の名前を呼んでいた。
「ありがとう、ありがとうな」と泣いていた。

その光景を私は、それ生きてるときに言ってやれよと思いながら見ていた。

祖母のお陰で金銭的に困ることなく、祖母が整えた家で子どもたちはみんな祖母に立派に育てられた。
祖母のお金で老後を謳歌し、祖母が死んだ後も残してくれた財産で良い施設に入れた。

その祖母に、文字通り至れり尽くせりしてくれた祖母に、死んだ後まで面倒をみてくれる祖母に、なぜ生前に感謝の言葉の一つも言ってあげなかったんだろう。

不器用だとか昭和の男はそんなもんだとかそういう次元の話じゃない。
祖父と祖母の関係は今でも私には理解できない。

祖父なりの愛情表現はあったのかもしれない。
少なくとも子どもたちや孫を可愛がっていたとは思う。

でも私は、
 祖父は私にあんまり興味がないな
と小学生のときにはすでに感じていた。
邪険に扱われたことは一度もない。
理不尽な孫差別をされたこともない。

ただ祖父は、私に何もしなかったし何も言わなかった。

葬儀の後、親族で食事をしていたときそんなことをこぼすと、
 いやいや、そんなことないよ
 和香ちゃんのことも可愛かったと思うよ
と口々に言われた。

しかし祖父の愛を一番受けたであろう兄には
 分かるよ
 俺も同じこと思ってたもん
と言われた。
俺たちには明らかな差があったよ、と。


静かに眠る痩せた祖父の顔を見ると涙が出た。
でも長年知っている人が亡くなった悲しさで、思い出が溢れてくるわけではない。
私には思い出せるだけの祖父との記憶がない。

祖父は祖母の所へ行けただろうか。
2人で何を話しているのだろうか。

祖父は幸せだったと思う。

祖父にとって何が幸せだったのかを私は知らないけれど。

そんな自分が少しだけ悲しいと思った。



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