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産婆ちゃん的帝王切開率の読み解き方

帝王切開率とは、全体出生数のなかで、どれくらいの割合で帝王切開で生まれたのかを数字化したものです

そもそも、ヒトの生まれ方には2通りあり、
一つは経膣分娩、もう一つは帝王切開です。

どうしてまずはじめに帝王切開についてスポットライトを当てているのかというと、帝王切開は手術が終わった後ではもう元には戻せないからです。

帝王切開は一度行うと、次の妊娠出産も自動的に帝王切開になることをご存じですか?
(※帝王切開後の経膣分娩を希望できる病院もとても少ないですがあります)

別にそれでもいいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、一度は経膣分娩を経験してみたいと思われている方にとってはすごく受け入れがたい事実だと思います。

帝王切開はあくまで「手術」であり、母子ともに合併症や愛着形成や産後うつへのリスクが高く、術後にもかかわらず同時に育児が始まるというものすごく負担が莫大なことです。

帝王切開は手術であり、出産…その2つを同時にこなす身体的・精神的圧迫をあまくみてはいけないという産婆ちゃんの見解なのです。

では、帝王切開後はどうして次の妊娠出産も自動的に帝王切開になるの?というお話をします。
理由は細かくありますが1つの大きな理由が、帝王切開後の妊娠出産には「子宮破裂」というリスクがあるとされているからです。
「帝王切開後の次の妊娠には1年ほど間隔をあけたほうがいい」というのを聞いたことがありませんか?それも、子宮破裂のリスク回避のためです。

子宮破裂とはー
簡単に説明すると、一度破れたビニール袋があったとして、その修復にセロハンテープを張って、また袋として使う。この時、セロハンテープの張ってある部分は当然もろくなっています。荷物を詰めすぎて再び袋が破れるとしたら、そのセロハンテープの修復部から敗れていくということは誰にでも想像ができることだと思います。

子宮も同じです。
一度メスが入ったところは傷として修復されますが、もとの細胞通りには戻しません。元の細胞よりも、硬くなり、ほかの細胞や臓器との癒着も起こす。つまり、破れやすいのです。なので帝王切開後の妊娠・出産ではその傷から「子宮破裂」を起こしやすいというリスクがあると言われています。

破れやすい部分には負荷をかけたくないと思うのが心理ですよね。この負荷が帝王切開を経験している子宮にとっては「陣痛」そのものだとされています。(帝王切開後1年未満の子宮では、子宮の傷が治りきっていないとされているので妊娠そのものが子宮破裂のリスクと言われています)このことから帝王切開の後では経膣分娩の際に陣痛の負荷を与えるのは危険とされているのです。
子宮は血の海と呼ばれている臓器なので子宮破裂が起これば大量出血を起こし、母子ともに命の窮地に立たされます。

※前回帝王切開後の経膣分娩の試みは「VBAC(ブイバック)」と呼ばれ、取り扱ってくれる病産院はとても少なくなってきています。(産婆ちゃんの印象としてはベテランおじいちゃんドクターしか今や取り扱えない印象)

このように、帝王切開後の経膣分娩がそれほど危険だとされているので、当然産科医師が管理する病院での出産になります。

もし、ここで「助産院で産みたい」「自宅出産したい」という出産希望をもっている女性にとってこの希望が自動的に消去されてしまうのです

だから、初めての出産でも、何回目であっても、どう生むかは女性にとって人生を左右すると思っています。

ただ単純に「帝王切開はいや!!!」だとか「帝王切開は出産じゃない!甘えだ!」なんて古めかしい思考は全くありません。むしろ、自らの腹を切って我が子を産む帝王切開というお産は、本当に立派なことだと思っています。

帝王切開はやりたくない、私は帝王切開にはならないと思っていても、命のことなので100%はないのです。
その証拠として単純計算で4人に1人が帝王切開で出産する現代…
妊娠出産を控える女性にとって決して他人事ではない数字です。ですから、ここでは帝王切開を否定するのではなく、我が子を産むことは自分の人生設計に関わってくるということを念頭に帝王切開について真摯に考えて頂きたいと思い、この記事をしたためることにしました。


帝王切開の歴史

帝王切開の歴史は古く、古代エジプト時代から行われていたとされています。エジプトの『カーラ神殿』という建物に彫られた壁画の一つに、人々が死産や難産の際に腹部を切開する場面が描かれており、この壁画が帝王切開の最古の記録となっていると言われています。
さらに、古代ローマでも帝王切開が行われたという記録が残っています。例えば、ローマ皇帝ユリアヌス・クラウディウスは、自分の妻によって帝王切開を受けたとされています。
※産婆ちゃん調べ

また日本での帝王切開での歴史は所説ありますが、日本で最初の帝王切開術は、ペリーが浦賀に来る1年前の1852年 (嘉永5年) 、秩父郡大宮郷(現埼玉県飯能市)の難産で苦しむ妊婦を救うために伊古田純道と岡部均平によって行われたとされており、この時代の帝王切開は胎児がすでに亡くなっているケースが多かったようです。
※産婆ちゃん調べ


現代の帝王切開の推移

現代の分娩件数(出生数)と帝王切開数をもとに、右の図4では帝王切開率がグラフ化されています

厚生労働省より

一般病院というのは病床数20床以上を病院、
一般診療所というのは病床数19床以下を診療所と呼びます。

帝王切開率は一番古いデータの1990年では病院11.2%、診療所8.3%
2017年では病院25.8%、診療所14.0%です

病院と診療所でこんなにも帝王切開率に差がでるわけは、病院の方が医療設備が整っており、よりハイリスク・重篤な妊産婦を受け入れていることが理由だと考えられます。

例えば、早産。
早産はNICUが無いい施設では基本的に受け入れられません。しかもNICUがあったとしても治療可能な在胎週数が病院ごとで決まっており、すみ分けられています。
他には輸血が必要とされるような前置胎盤の帝王切開や、母体の厳重な管理が必要な合併症を伴う例などは医師や設備がそろっている病院で管理するのが大病院とされる産院の役割です。(一般的には大学病院をイメージされればわかりやすいと思います)
なので、必然的に病院規模・技術が上がれば上がるほどハイリスク妊産婦の受け入れ施設となり、帝王切開率もそれに比例して上がります。


ここで私が危惧しているのは、大病院での帝王切開率の高さではなく、年々増加する帝王切開率と、病院施設ごとの帝王切開率の差の大きさです。


年々増加する帝王切開率の背景

色んな資料を読み込んだ産婆ちゃん的帝王切開率の主な原因を3つ挙げました

1.ハイリスク妊産婦の増加と帝王切開の簡便さUP
2.産科医療者不足による医療の圧迫
3.医療者も産む側も「管理できるお産」を好む傾向

この3つは非常に入り組んだ構造ですができるだけわかりやすく一つ一つ説明していければと思います。


1.ハイリスク妊産婦の増加と帝王切開の簡便さUP
 
はじめにわかりやすいところから説明すると、「骨盤位」の帝王切開適応です。骨盤位というのはいわゆる逆子。逆子は昔は産科医師によって経膣分娩されていましたが、熟練した技術をもつ産科医の高齢化と減少によってその技術は受け継がれることなく、今では骨盤位の経膣分娩できる医師はほとんどいません。よって選択的(予定)帝王切開の適応となっています。
これと同じ現象で「双胎」の選択的帝王切開も挙げられます。現代は双胎=帝王切開は当たり前ですが、昔は、双子であっても経膣分娩が主流でした。(今でも骨盤位の経膣分娩、双胎の経膣分娩を行っている病院もあるので病院に問い合わせてみてくださいね)

 次にハイリスク妊産婦と聞いて思い浮かぶのが、初産婦の年齢が年々高年化だと思います。産科医療では35歳以上で出産する女性のことを「高年妊婦」といいます。高年であればあるほど妊娠出産に伴う合併症を引き起こしやすいとされています。
合併症は基本的に妊娠を継続すればするほどに母体にも胎児にも負担がかかるとされているので、医療者としては、早めに妊娠を終了(出生)してほしいです。そこで、予定日超過の場合には誘発をかけてそれでも生まれない場合には経膣分娩を無理せずに帝王切開で分娩という選択がでてきます。

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