映画「エクス・マキナ」
2015年に公開。
1時間と48分。
いったい何が描かれていたのか。
かんがえてみる。
公開当時、
この映画の日本でのキャッチコピーは
「人間か、人口知能か─」
イギリスでのキャッチコピーは
"To erase the line between man and machine is to obscure the line between men and gods"
"人間とマシンとの線引きをなくすということは、男たちと神々の間にある境界線を覆い隠すということだ"
物語はチューリングテストに沿って動きだす。
人工知能の人間性を試すテスト。
驚いた。
人口知能を搭載した女性のロボットが登場するシーン。
彼女がロボットだということは、見た目で分かる。
疑いようがない。
その理由も説明できる。
でも、だからこそ驚いた。
不気味の谷を超えていることに。
なぜ、そう感じたか。
顔。
目、口、鼻、耳。
そして、目の中の光り。
あの光りは、人間の目と同じ。
顔の表情に、感情を表す機微も表現されている。
さらに、監督が社長に言わせたこのセリフ。
「エヴァの声だけだと
君は人間だと思う。」
声。
気づいた時にはすでにこの段階で
視覚、聴覚がクリアされていた。
ここまでくると思ってしまう。
ロボットとは、何なのか。
五感のうちの残りの感覚、
触覚、味覚、嗅覚がクリアされた時、
人間とロボットの境界線は─。
1つ1つすすんでいく中で、
テストを課している側の人間の感情だけが
大きく揺れていく。
人間だけが、感情で動いてしまう
シーンで構成されている。
テストされてるのは、人口知能なのか。
それとも人間なのか。
人間は、相手が人間だと、
何で判断しているのか。
何があれば、人間なのか。
どうあれば、人間なのか。
何かを揃えれば、人間と呼べるのか。
人間の五感を乗り越えた時、それは人間と呼べるのか。
ロボットがどれだけ人間に近づいたとしても
それでもロボットはロボットなのか。
完璧と呼ばれる人口知能を持ち、
見た目が完全に人間に見えるロボットが目の前に現れた時、
それが、最後まで言えるのか。
その一線を越えたとき、どう判断するのか。
境界線は、残るのか。
社長が考えていたこと。
それは、監督が考えていたこと。
この映画の終わり方。
それは、監督が告げている終わり方。
1時間と48分。
いったい何が描かれていたのか。
この映画をひとことであらわしてみる。
「境界線は溶け始めている─」
映画『エクス・マキナ』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=D9UOrMgCfSs