寮歌のあれこれ ~寮歌集に見る寮歌の変遷~
恵迪寮生のバイブルと名高い寮歌集。(※1)
僕が住む恵迪寮は北海道大学構内に100年以上の歴史を持つ自治寮だ。(巷ではとやかく言われたりもするが、)寮には学生寮特有の文化が数多く残っている。その一つが寮歌だ。恵迪寮では明治40年から今日までほぼ毎年寮歌が作られてきた。そんな寮歌は作成当時の世相や寮の様子を色濃く反映したものが多く、現代に生きる我々に寮の歴史を歌い継いでいる貴重な資料と言えよう。100を超える寮歌がこれまでに作り出されてきた歴史を「今」という視点から振り返る事で、歌うだけじゃない新たな寮歌の一面を知るきっかけとなるのではないだろうか。
※1)寮歌集:明治40年から今日までに作成された全寮歌の歌詞、楽譜がまとめられた冊子。寮歌を歌うとき、覚えるときには寮歌集を見る事が多い。(100以上ある寮歌の全てを覚えているわけではないので。)
※注)これは私見であって寮及び諸関係団体とは一切の繋がりはありません。また、記事中の数値は私が一から数え上げたものである故、多少の誤差はご容赦ください。尚、対象とした寮歌はM40~R1までの130曲弱である。
こんにちわ、ひうらです。突然ニッチな記事ですがお付き合いください。笑寮歌って面白いんですよ!
今回着目するのは以下の5つだ。
①寮歌の番数
②曲名と第1フレーズの歌詞の関係性
③了と繰り返し
④作歌作曲者
⑤歌詞の流行り
(長くなるので③以降は次回の記事で)
①まず始めに注目したいのが「寮歌の番数」だ。平成の寮歌は全体的に番数の少ないものが多いように感じる。一方でM44「藻岩の緑」やS2「蒼空高く翔らむと」など明治や昭和の寮歌には番数が多いものが頻出する。年代ごとにまとめると以下のようになる。
全年代の平均は4.75番であった。所感だが概ね納得できるものであった。
次に年代ごとの番数の変遷を見ていく。
明治期(6曲)
平均は5.83番であり、大半が6番構成と極端な結果となった。やはり先に述べた傾向が実証された形である。(5番構成の寮歌はM45「都ぞ弥生」1曲のみである)
大正期(18曲)
こちらも平均は5.5番と全体平均よりもおよそ1番ほど長い。
昭和期(66曲)
平均は4.83番とおおよそ全体の平均と同じ値となった。しかし昭和の間だけで実に66曲もの寮歌が作られており、時代も長い事からS32で昭和前期と昭和後期に分けて同様に傾向を探った。
昭和前期(34曲)
平均は5.23番と大正期と大きな変化はない。
昭和後期(32曲)
平均は4.40番となる。同じ昭和期でありながら寮歌の長さは前後半で実に1曲分くらいの差がある。最大値が6番であった昭和前期と比べても後期の最大値は4番であり、寮歌全体の傾向に大きな変化があったことがわかる。
平成期(34曲)
平均は3.67番と全年代で最も短い。(6番以上の寮歌は10番構成のH15「ああグッと」のみである)
では、なぜ寮歌の番数は減少傾向なのだろうか。
理由の1つとして挙げられるのが、我々寮生ひいては学生を取り巻く社会環境の変化(安定化)だろう。かつて寮歌は戦争や学生運動など激動の時代を映し出していたが、昨今はこのような我々の実生活に直接的に関わる動きは大きいものではない。寮歌に歌われるような世間的に大きな動きが減少したことで寮歌の番数が減した可能性がある。裏を返せば社会が安定期に入ったことを意味しているだろう。そんな時代にどんな寮歌を後世に残していくのか。我々の果たす役割もまた過去の寮歌が果たしてきたものと同等に今後の寮歌史にとって大きな意味を持つものとなるだろう。
他の要因としては、寮歌の数が増えたことにより寮歌を覚えて歌い継ぐことが困難である(という潜在的な集団意識の芽生え)や新々寮移行に伴う寮生の自治離れ、文化の変化に伴う寮歌離れが顕在化してきたことなどが挙げられるだろう。特に寮歌への熱意がかつてと比べて下火になってきているのならば、重厚で長大な寮歌よりもキャッチーで歌いやすい大衆的な寮歌が好まれる可能性は否定できないだろう。
寮歌の長さはテンポなども絡んでくるので一概に番数だけで決定されるものではないが、寮歌の番数は明治以降徐々に少なくなっており、直近10年では平均3.60番と更に少なくなっている。上記いずれの理由であってもその要因を大きく変化させるようなことがない限りは今後も暫くこの傾向が続くのではないだろうか。
②
次に見ていきたいのが「曲名と第1フレーズの歌詞の関係性」だ。
校歌「永遠の幸」やM45「都ぞ弥生」にも代表されるように寮歌の曲名は、その寮歌の第1フレーズから歌詞をそのまま引用してあてがわれることが多い。(故に歌いだしでいきなり迷うことが減るので幾分助けられているのだが)曲名と第1フレーズの関係性に大きな変化はあるのだろうか。
これを調べていくと、M40「一帯ゆるき」に始まりなんと明治・大正を飛ばして昭和に入ってS19「雪解の楡陵の」までの全ての寮歌で曲名と第1フレーズの歌詞が一致する。そして、S20「生命の旅路~輝やしき首途のときに~」の歌詞が「流転常世の~」で始まる事でもって初めてこの関係性に揺らぎが生じる。その後は5年に1度くらいのペースで曲名と第1フレーズの歌詞が不一致な寮歌が作られるが、S50までに作られた寮歌のうち両者が一致しないものは僅か6曲と非常に少ない。
しかし、S50「憧憬の故郷」から4曲連続で不一致の寮歌が作成されたことを契機にこれ以後不一致の寮歌が急速に台頭してくる。平成以降は、一致する寮歌が11曲であるのに対して不一致のものが23曲と完全に逆転している。現在寮歌の曲名の主流はもはや歌詞の第1フレーズに捉われない自由なものであるのだろう。
では、なぜこのような現象が起こったのだろうか。
これには大衆音楽の発展が大きく影響していると考える。当初は曲名へのこだわりは非常に薄かったのではないかと推測される。しかし、寮歌に限らず音楽作品が世間一般に広く普及するようになり、次第に曲名の重要性を意識するようになっていった。丁度S50はフォークソングなどが流行りであったようだ。このように大衆音楽の発展が寮歌の曲名への意識を変化させたのではないだろうか。歌詞の第1フレーズを流用するのではなく、オリジナリティ溢れる素敵なものを考案したいという作歌者の心意気が伺えるようである。
他の理由として「歌詞の重点の変化」が考えられる(「サビという概念の出現」に関する項目を参照)。当初は歌詞の第1フレーズにその寮歌の最重要メッセージを込める場合(重心が最初にある)や、特定の場所には重心を置かずに歌詞全体(または1つの番)で1つのメッセージ性を持っている場合が多かったのではないだろうか。しかし、音楽の普及や作曲技術の発展に伴っていわゆるサビの部分に特に重要な意味が込められるようになった(重心が途中や後ろにある)。するとサビ部分からその寮歌にマッチした1節を曲名として取る場合(または全く歌詞には含まれないものを曲名とすること)が増え、必然的に曲名と第1フレーズの一致は起こりにくくなっていったとも考えられる。
この記事は寮内向け新聞「A Girl.」(200414発行)に掲載しきれなかった内容を公開用にまとめ直したものである。続編もあるので読んでもらえたらと思う。また、寮関係者以外には理解しがたい部分があったかと思う。力不足であった。
体裁を再調整しました。(200416)
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