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両親へ本心を打ち明けた時の話


 みんなは親に自分の本心を打ち明けたことがあるだろうか?
大人になればなるほど、本心を他人に明かす機会も減るし、打ち明けづらくなるように感じる。

 子供は平気でプロ野球選手なるだとか、消防車になりたいだとか言って周りの大人たちを笑顔にさせていた。
そんな子たちも中学、高校と進むにつれ現実と向き合うようになっていく。

崖っぷちでの交渉


 2019年10月 
2回目の警察官採用試験を迎えた。

 僕は時の流れに身を任せるように
まるで他人の人生を眺めるかのように
気持ちの入らないまま試験を受けていた。

 1次試験の筆記試験を合格し2次試験へと向かう。
緊張はなく、落ち着いて面接を受けることができた。
春1回目の試験のような
失敗はなかったと思うが、
結果はやはり不合格だった。

どうにもこうにも本気になれない自分がいた。

 両親やバイト先の人たちからも心配され
父からは「どうするの?」と怒り口調で詰められる。
嫌だった。あの頃は毎日が苦しかった。

黒歴史なんて言葉を耳にするがそれだったに違いない。

「あ~どうしようかな~」ネガティブな感情がぐるぐると頭の中でループしていた。
そんな中でも、僕には興味の持てることがあった。
意を決して、バイト中にスマホでポチったのは
海外留学の資料請求だった。

 両親には何故か後ろめたいと思う気持ちを隠しながら
留学についてコソコソと1人で調べていた。

 ぼくは1人っ子の温室育ちで、ず~っと実家で甘やかされて育てられてきたから
両親に黙って留学へ行くなんてできなかった。
お金もなかったし。

 好きな女の子に告白するときよりも緊張して、吐きそうになりながら
いざ、両親へ留学へ行きたいことを打ち明けると、父から大反対を食らった。

将来のビジョンが全くない。
ダメだと言われた。

確かに将来のビジョンはなかった。

 留学へ行けばなにか本気になれるものが見つかるんじゃないか、今後の人生を生きていくうえで何か見つけたい。
そんな思いと
自暴自棄のどうにでもなってしまえという乱暴な思いが入り混じっていた。

 海外へ1度も行ったことのない”ぬるま湯”で育った僕にとっては
あの当時の状況だと、それくらい心が荒れていなければ
3ヶ月のフィジー留学へ行くという決断はできなかった。

 本当は学生の間に行きたかった。
しかしながら、過去noteに綴ったように部活と筋トレに夢中だった僕は完全に切り出すタイミングを失い、ズルズルと行きつくところまで来てしまった。

 留学交渉期間中の家族の雰囲気は
今まで生きてきた中で最悪だった。
愛犬のハリー(ダルメシアン)だけは、
そんな家族の空気なんて知らん顔で
マイペースに生きていた。

 俺もお前(ハリー)のように生きたいわと思いつつ、そうも言ってられないので
両親との交渉を続けた。

もう、その留学にしか希望を見いだせていなかった私はこの思いを曲げることはできなかった。

常に見方だった母のやさしさ


 幸いにも母は賛成だった。
というのも実は、母はそもそも私が警察官になることに対して反対だった。

いつも聞き手の母は、私の進路に対してあれこれ口出しすることはなかったのだが…

 ただ、警察官の妻として夫を支えるのは大変な苦労があったのだろう。
息子である私には警察の仕事に耐えられないと思っていたのである。

 母は私と一緒に留学の説明会にも付いてきてくれて、納得の上での賛同してくれた。
議論を重ね、時間をかけて、最後には父も許してくれた。
70万円というお金も用意してくれた。

 出発は2020年4月
留学費用の振り込みも渡航準備も終え
あとは飛行機の出発を待つのみとなった。
ワクワクと不安を胸に

 しかし、飛行機が飛び立つちょうど1週間前
留学会社から1本の電話が入った。

「渡邉様、新型コロナウィルス感染拡大の影響で飛行機が飛ばなくなりました。」

すべてが終わった。

”人生終了のお知らせです。”
を告げる電話に聞こえた。

次回 はじめての就職活動

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