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『教養としての映画』伊藤弘了(PHP研究所)
僕は「論ずる」ことが苦手だ。
文学論、映画論、絵画論……恋愛論、人生論とか。
いつも僕が書いているのは「論」ではなく、感想である。良かった悪かった、好きか嫌いか。記憶力に自信がないものだから、読んだ小説や観た映画も忘れてしまうこともあるので書いているだけと考えれば、感想ですらなく備忘録と言った方が適当かもしれない。
さて、前置きが長くなったが本作は「仕事と人生に効く」『教養としての映画』を論じている。つまり、映画とは? から始まり、映画史、映画の見方、評価の高い日本人、海外監督、あるいは作品について論じられている。僕でも分かるレベルなので、かなりハードルを下げた「入門書」的な映画論である。
詩、小説、映画、絵画は僕にとって「娯楽」(鑑賞を楽しむ)なので、あれこれと知らなくても、自分が好きか嫌いか、だけで良いと思っている。評価が高かろうが低かろうが、情報としては有効かもしれないが、僕が好きなら全てOKなのである。嫌いならアウト。
が、最近になって、やはりその作品が書かれた、描かれた、撮影された時代背景や歴史、あるいは作者や監督の意図を知らないと見落としてしまう「見どころ」「読みどころ」があるような気がしてきている。僕にとって「論」とは「蘊蓄」であり、「蘊蓄」を語る輩が嫌い(要は僕の頭が対応できないだけの話なのだが)なので、避けてきたが、知らないと「損」することってあるような気がしている。
本作を読まなければ分からなかったことがいくつもある。なので、読んで良かったと思うし、知って良かったと思う。黒澤明、溝口健二、小津安二郎の作品について書かれた章は、なるほどなぁ、とそこまで監督は考えているのかと感心してしまった。そして、アルフレッド・ヒックコックが『裏窓』で試みたテーマを知り、改めてヒッチコックの凄さを実感させられた。
ここまでは「映画論」であるが、本作は映画を知ること、調べることにより教養を深めるとともに、自分がどこに注目し、何に心が動いたかを発信することを読者に促す内容になっている。「今年最も泣けた」なんていう大袈裟な嘘くさい発信ではなく、どんなに些細なところでも良いから、自分のこだわりを持ち、書くあるいは話すことができれば、ビジネスの交渉でも活きるということだ。この飛躍は多少無理があるし、こじ付けという感もあるが、なかなか上手く取引先とコミュニケーションが取れなかったり、ポイントを的確に伝えられない人はおそらく映画を観ても著者が言うところの発信力はないのだと思われる。もちろん、良かった悪かった、好き嫌いしか書けない僕もその部類に入るので、なかなか手痛い指摘だと思う。
どんなに映画史で評価が高くとも、好きになれない映画がある。それはそれで良いのだが、それで終わりにしてしまうのではなく、何が嫌いなのかを考える、あるいはどうして評価が高いかを調べる、という動きをすることで、娯楽が教養になるのだと思った。基本的に娯楽であることに変わりはないのだが、せっかく出合ったのだから、一歩踏み出してみないか? というメッセージであると理解している。「蘊蓄」を語るためではなく、自分がより楽しむために。
だからと言って、今後の感想が今までと変わるかどうかは自信がない。なにせ、記憶力が悪いもので、名言や助言も直ぐに忘れてしまうのだ。何はともあれ、記憶力を高める本を読んだ方が良いのかな……。