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沖縄瀬底の旅~飛行機と海が苦手な人間が行く_4日目1/2(水納島)

こんにちは
夫からのDVで自殺寸前まで圧縮され、メンタルをメタメタに壊しつつなんとか這い上がっている私です。飛行機が苦手、かつ泳げない私が大好きな沖縄にやってこれました。ありがとう、沖縄の神様!

[3日目]
行った場所:
水納島、那覇国際通り沿いゲストハウス
食べたもの:
体感1万円の500円ネギトロ
体験:
水納島でセルフシュノーケリング、隠れた目的を果たす、国際屋台村でのむ


4日目、昨日のゆかいな仲間と朝6時集合で朝日を見る約束しておきながら、6時半に起きる。
むり。アラフォーに2時に寝て6時に活動する体力はない。
中途半端に義理を果たそうと、6時半に一人で浜へ。昨日より海の水がきれいで膝まで波につかったまま浜辺でぼんやりする。一昨日ひとりで来た時は、足先までしか入れなかったからちょっと進歩。
ゆかいな仲間にLINEすると「なんで早く行ってくれないんだよう~」と速攻で浜まで来てくれた。朝から元気な男子たち。アラフォーとサーの違い、リタイア組と現役就業組の違いを感じる。
三人で月桃の茂る道を散歩しながらアンチ浜を経由して島を散歩。

宿に戻り、
私は今日は水納島に行きたいなぁとのんびり思っていて(昨日のweb面接の代償に諦めていたので)、島への船の出航に間に合いたいなら、あと5分で出るよ!とテキパキ管理人さんに急き立てられ(沖縄の人はのんびりは嘘。私よりしっかりしてる)5分でトーストをほおばる。
重たいリュックを背負い、ゆかいな仲間と別れを告げ、フェリー乗り場まで車で送ってもらう。

港まで来てフェリーに乗り込む
前回の沖縄旅で、久高島への船がぐわんぐわんに揺れた思い出が蘇る。
今回はそんなに揺れず。やっぱり沖縄の神様が選別しているとしか思えぬ。無事、浜に上陸!うわーーーいい!

この旅の隠れた目的、実は「水納島の民宿にお届けものをする」こと
数か月前、沖縄に行きたい気持ちをずっと抱えていながら、鬱の真っ最中だったのでどうして動けず飛行機に乗れず成田にさえ行けず、前日に宿をキャンセルをしてしまったことがありました。私はそれをとても悔いていて、でも昔ながらの民宿のためか、キャンセルポリシー等が特になくキャンセル料もなにも払えませんでした。ドタキャンしてしまった行為も、自分の中で、負目のように感じていて、それを解消したかったのです。行きの成田空港で、そっと人生初の東京バナナを買ったのはそれが理由でした。
浜を通り過ぎて小さな島の集落で民宿にたどり着きます。オーナーさんは不在でおばあちゃんが出てくれて待っているとオーナーさんが車で帰ってきました。あの時のお詫びと一緒にバナナを渡して、私は少しだけ荷が軽くなったような気がしました。生真面目すぎるかもしれないし、私の心象問題かもしれないけど、これで、また堂々と沖縄に来れるようになった気がする。この民宿さんにも今度は必ず泊まりたいです。
小さな小さな自分への労わりとして、かき氷を食べていると、お店のオーナー?のおっちゃんがやってきて、マリングッズをレンタルするなら3つあるお店のうち一番右を選んでくれ、それが島のオーナーのだから。と言うので、そのお店でグッズをウェットスーツと念願のフィン、ライフジャケットをレンタル。
初ウェットスーツ。着慣れてない感じと、にわか仕立て感がでていて自分でも笑えてくる。沖縄の離島でなにをしてるんだ。
レンタルして大正解。ウェットスーツを着ていると寒くない!
ぼんやりする私を横目に、海外の短パン無防備組が勢いよく海に飛び込んでいきます。なんだ、あの海というか世界に対する警戒心のなさ。
私も続いて、思い切って海に身を進めると、そこは魚がいっぱい!
始めてシュノーケリングをやったときに驚いたことで、魚には魚の世界があって、まるで私人間が感覚としてとらえている世界がちっぽけなことを感じます。
海の世界は怖くもあり、広くもある。
まだちょっと怖いので、監視員さんの目の前でジタバタ潜っていました。ウェットスーツにフィンの完全防備のくせに、バタバタ溺れるように泳ぐ。
シュノーケルだけは100均のもののため砂が入ってきます。こんなにお値段以上に酷使されてるマスクはないのではないだろうか。
泳ぐとお腹が空きます。ひと泳ぎしただけで、浜辺でサンドイッチをもぐもぐ。もうひと泳ぎして、お腹がすいたので、売店で300円のカップラーメンを買ってもぐもぐ。昔の高級リゾートホテルのラウンジも楽しかったけれど、これもとても楽しい。

あぁ、楽しいなぁ。あんまり泳いでないくせに疲れて、浜辺に敷いたピクニックシートでぼんやりする。雨が降ってきて待合所に避難。帰りの船が来たのでそれに乗り込み、水納島にありがとうを告げて、本部に戻ります。

すごいな、大きくはないけど離島は離島だから、こんなところに来れるなんて。去年の今頃、立つことも食べることも外に出れなくなっていた私、私がんばって生きてるよ~
追記で、これが5月のこと。そして10月の執筆時の今、私はPTSDの障がい者雇用で企業でなかなかバリバリ働いていて、あの小さな冒険や出会った人々との時間、沖縄の緑や青の海、小さくてもかけがえのない時間が私の回復に繋がったと思っています。これまで無駄にした時間の長さを思うことはまだよくあるけれど、それはどこかのヨウツベで聞いたように、傷として私は持ち続けていいのだと思う。いつか書けたらいいけど、突発的な事故を被ったり、元配偶者からのDVで、私は自分で道を切り開くことが根本から知らなかった。でも、歩いていればなにかに出合うし、声を発すればなにかが話してくれる。主導力を取り戻すのが、私の場合の「旅」の位置づけと思われます。
続く(長いので2回に分けます。これからバスで那覇へ)~

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