見出し画像

未完成

深紅の花弁と漆黒の翼が宙に舞う。彼女が撃ち放った桃色の炎は、男のパソコンに引火しリチウムを鮮やかな赤色に染め上げる。暴れ狂う男が手元の銃から金色のヒバナを散らす。赤と黒が混じり合う世界で二人は純白のタキシードとドレスを身に纏う。



 彼女は今日もまた知れない敵を撃っている男の部屋へ向かう。
 コンコン
 優しく男の警戒心を解くようにノックをする。ヘッドホンをしている男に聞こえているはずなどないのだが、彼女にとって彼の部屋に入る前にノックをする行為は一つの儀式であった。
 彼女は、部屋に入ると、桃のゼリーと男の好きなピンク色のエナジードリンクをサイドテーブルに置き、パソコンの光しか存在していない薄暗い空間を見回す。
 『オンラインの世界から少し抜け出してまた二人でデートをして、愚痴を言いながら働いて、キャンセルしてしまった式場で永遠の愛を誓って……』
 彼女がそんな妄想をしている間に、男のパソコンの画面が戦績表を映し出していた。
 「ねぇ
 「あぁ、負けた!! お前が急に入ってきたりするからや! 邪魔なんだよ、お節介なんだよ! ほっとけよ、気色悪いんだよクズが! 」
 彼女の会話を遮り男が手当たり次第ものを投げながら彼女を罵倒する。男の目が赤嘴っており彼女の脳はいつものように危険だと電気信号を加速させる。
 「ごめんね、ごめんなさい  」
 彼女は男に届いていないであろう謝罪を口走りながらドアを閉める。
 こんな日常に答えはあるのだろうか、あるのならどこに?
 そんな彼女の脳から発される電波は彼女の心によってミュートされる。
気づいてはいけない。気づかれてはいけない。彼女の心がそう訴えていた。
 鏡の前で、男が投げていたものがたまたま当たってできた痣をコンシーラーで隠す。コンシーラーで隠しきれない頬にできた痣は桃色のチークで鮮やかに染め上げる。仕上げに男から昔もらった桃色のストーンがついたMP5のチャームネックレスをお守りのように着ける。

 彼女はデスクに座ってパソコンを打つ。彼女にとってのパソコンは商売道具だ。男のパソコンもかつてはそうだった。今の男にとってパソコンは打つものではなく撃つものになってしまった。彼女は、かつて男が考案したイベントの進行具合を確認してため息をつく。この手柄が、男のものになっていれば今でも男のパソコンは商売道具になっていたのだろう。そんなことを思っては彼女自身も人間不信になってしまいそうだった。
 「まだ、あいつと付き合っているの? どうせ幸せになれないからやめたほうがいいよ」
 昼食の時間に彼女の隣の席に当たり前のように座ってきた男の同僚が彼女に助言する。彼女は、聞こえていないフリをして席を立つ。
 「俺、この間あいつが女と歩いているの見たよ! 」
 彼女は一瞬も足を止めなかった。男が外出するはずがない。外出できる状態ではない。他人のそら似だ。彼女はそう断言できた。

 彼女は男の部屋の前で、拳を掲げたまま止まっていた。
 昼間に言われたくだらないことを思い出して躊躇しているのだ。
 拳を作っていない方の手に握られたスマートフォンには、彼女のことを心配している母親からお見合いの招待が届いていた。
 彼女だってわかっているのだ。このままズルズル男に関わっていたら幸せになれないと言うことを。それでも、昔の男を思い出してはその場を離れられずにいた。

 婚約破棄になった相手に永遠に尽くす人生になりそう。
 「冗談でしょ」
 男以外の人に興味がないの。
 「冗談でしょ? 」

 誰に話しても冗談ばかりだとあしらわれる彼女の価値観は、彼女を少しずつ蝕んできた。そして、彼女一人では壊すことのできない壁となり、彼女の鼻先まで迫ってきていた。
 ついに彼女もミュート出来なくなった。

 ノックをする余裕も無く彼女は男の部屋へ入った。そして、掲げていた拳を男に振り下ろした。

 男はもう彼女のことが嫌いですか?
 「そんなわけないや」
 男が外に出ないことを彼女はわかってくれますか?
 「わかってくれるでしょ」

 いつの間にか二人の頭の中にできていた関係性を、撃ち抜くように彼女の拳は男のキーボードに刺さった。

 呆気に取られた男をよそに彼女は拳を開く。
 その中には、彼女にとってはお守りであるMP5のネックレスがあった。
 「終わらない愛を抱いていたくないの」
 彼女は、独り言のように呟いた。
 いつまで待てばいいのかわからない、初めはすぐに元の関係に戻ることができると思って男に尽くしてきた。しかし、今となってはいつになるのかわからなくなってしまった。変わらない彼に対する愛は増えることも減ることもなく、【当たり前】に抱く感情になってしまうことを彼女は危惧していた。
 「もっと、ちゃんと不安にしてよ」
 浮気をしたらどうしよう、彼女より可愛い子に言い寄られた?そんな心配ができていた過去は男が外の世界で活動的にいたからだ。そんな不安さえ抱けなくなった現実に彼女はなんとも言えない感情があった。
 感情に任せて言葉を発する彼女を男は抱きしめた。
 男が彼女に触れるのはいつぶりだろうか。
 そして、男は彼女の耳元でこう囁く。
 「俺も、愛しているよ。けど、これはひどいよね。俺が頑張ってきたデータ飛んだらどうすんの? 」
 彼女の耳には「愛している」しか入ってこなかった。
 「聞いている? 」
 男は彼女の頬を拳で撃った。
 彼女は軽く吹っ飛び、手に持っていたお守りが男の足元に転がった。
 「お前は、俺を愛しているし、お前も俺を愛しているよな? これ以上何を求めるの? 求めるものなんてないよね? 」
 彼女は、「 NO」と言いたかったが言葉に出すことはできなかった。代わりに、男の足元に転がったネックレスを取ろうと手を伸ばした。が、彼女が手に取るより先に男が拾った。そして、そのネックレスをまじまじと見た後に自分の首につけているネックレスを彼女に投げた。
 電気をつけていない男の暗い部屋に、男の金色のネックレスが唯一のパソコンの光を受けて輝く。放物線を描いたそれは彼女の空振った手の中に音を立てずに落ちた。
 彼女のネックレスとペアのそれは、赤色のストーンがはめられていたはずだが、手入れをしていなかったせいなのかどこかに擦ったのか黒がかった赤色に変わっていた。

 彼女は、今朝もまた男の部屋の前にきていた。
 トントン
 ノックはするものの部屋には入らない。ドアの前で昨日男に殴られたためできた痣を撫でながら、これで御相子だね。と話しかける。
 男は、それに対して返事をすることはせずにベッドの上で膝を抱えていた。
 そして、彼女が立ち去る気配を感じるとパソコンでかつての企画書を開けた。
 閉店する大型ショッピングセンターからの依頼で、男と彼女がよくデートで行った施設だった。この依頼を受けた時、男はかなり嬉しかった。
 元々完全主義な男は彼女を連れて何度もショッピングモールに足を運び、企画書の分量は社内で一番だった。
 『親子・カップル・友達・誰とでも 楽しめる リアルサバイバルゲーム』
 と題された水鉄砲を使った合戦はかなり社内でも好評で依頼主の反応も良かった。
 男はそんなことを思いながら、企画書のファイルをゴミ箱へ運んだ。
 一度暗くなった画面に、落ちぶれた男の顔が映る。
 かつての彼の面影はどこにも見つからなかった。
 「俺だって、もう一度                」
 男は、独り言にもできない本音を隠すようにゲームを開いた。
 目にいきなり飛び込んできた光に目眩がした。

 彼女は鏡の前でいつものようにコンシーラーで痣を隠そうとする。しかし、意図的につけられた痣は桃色のチークでは隠すことができず仕方がなく上から赤色のチークを重ねる。
 それでも、赤黒くなってしまったが同じく赤黒いストーンのついたネックレスをつければ気にならなくなった。
 彼女は新たな御守りとなったネックレスを何度も鏡にうつしたり、一度外してまじまじ見たりした。
 赤色だったストーンを何気なく眺めていると「1番」という文字が見えた気がした。
 彼女は、スマホのカメラ機能で拡大し、ストーンが黒く霞んでいるのは上に文字が書かれているからだと気がついた。

 『俺を勝ち組にしてよ。きっと初めてのことだからお互い泣いてしまうかもしれないけど、俺の心は今の関係から夫婦って関係へ向かっている。君は諦めてMP5を投げ捨てて指輪を受け取ってくれないか? 』

 いつ書かれた言葉かも分からないその言葉に弾かれたように彼女は彼の部屋へ向かった。

 ネックレスと指輪どっちを選びますか?
 「どっちも選んで」
 男の人生と彼女の人生どっちを壊しますか?
 「どっちも壊して」

 彼女も心の底では気がついていたのだ。何にもできない男を愛している自分を愛しているということ。自分が抱えている愛が誰に向けてのものなのか分かっていなかった。理解しようとも思ってこなかった。
 今の男からの情けのない愛を彼女は愛せないと思っていた。それでいて、男のそばを離れなかったのは自分のことを突き放しきれない傷つけきれない男に惹かれていたからだ。
 笑えないような関係だったけれど、彼女はそれが一つの劇を見ているようで楽しかった。そして、彼女に依存し切らない男にイライラもしていた。ちゃんときちんと溶かしてほしいと思っていた。

 男の部屋の前に立つ彼女はスレンダーラインのウェディングドレスを身に纏っていた。せめてもの償いにと買い取ったウェディングドレスとタキシードはお互いのクローゼットに眠らせていた。

 コンコン
 彼女は優しくノックをする。
 「はい」
 中から彼が返事をした。
 彼女が、部屋に入るとずっと閉められていたカーテンが開かれており太陽が彼にライトを照らしている。太陽の光が反射して、彼の純白のタキシードを余計に輝かせてみせた。彼女は、口角を上げ桃色のゼリーと飲み物を投げ捨て彼の胸へ飛び込んだ。
 部屋が揺れて、企画のために用意していた赤色の薔薇と黒色の羽根が宙に舞う。
 彼が彼女の前に跪き、手元のケースからヒバナをモチーフにした指輪を差し出す。
 ルビーとガーネットが嵌められたブラックゴールドの指輪は彼女の左薬指で怪しげに煌めいた。
 彼女は何度も存在を確認しては、彼にもう一度抱きついた。
 彼の背中越しに、ゲームをアンインストールしているパソコンを見た。
 本当に実行しますか? 5秒以内なら取り消せます。
 と赤い警告文が出ていたが5秒後には桃色の画面へ染まり、そして黒くなった。


 永遠の愛を誓うには不釣り合いな場所で二人は未完成な結婚式を挙行することにした。
 二人は見つめ合い、微笑んだ。

 NOを空振った愛の中で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?