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ばらがき 9
玖
やくざ者たちの居場所は、わりあいとすぐに割れた。
「わかったぞ」
――そこいらの密偵なんかより、余程、早い。
父親と祖父の仕事と比較して、はじめ少年は改めて、土方という男を見直した。
薬売りの姿をとく土方は、至って冷静だ。
土方の長兄は盲目なのだが、なぜか裏社会に広くゆうずうがきくという、なかなかに面白き男であるのだが、そのつてを使い倒したようである。
加えて、上から数えて三番目の兄が医者をしていた。むかしから破落戸と医者は切っても切れない関係であるから、ちょっと口利きを頼めば、ぼろぼろと垢が零れ落ちるようにネタが出てくるわ出てくるわ、なのだった。
――それにしても顔が広い。
はじめ少年が感心している横で、土方は開けた胸元を汗をぬぐっている。仄暗い道場に異様な艶をうむ仕草に、はじめ少年はわけもなくどきりとした。
「山南さんが言っていたなかでも、ここから一番近い店にいやぁがった――なめられたもんだぜ」
場所の特定とともに、若年組三人は、やいのやいのと騒ぎながら、用意された鎖帷子を着込いはじめた。
「いいか、鎖帷子って代物は暴れりゃ暑くなる上に重くなりやがる。鬱陶しいこと、この上ねぇ。だが、勝負がつくまでは絶対に脱ぐな。邪魔くせえ、手甲くれえならいいだろう、とか、ふざけた考えを持つんじゃねえぞ?」
土方に、やけにどすの利いた声ですごまれ、若年組は青白い顔色で、ぐび、と息を飲み込む。
いよいよ、の刻限が迫るにつれ緊張の極地に到達したのもあるが、弓箭のときが近いとなって、ますます冷静沈着になっていく土方におののいたのだ。
と、そこへ、近藤と源三郎に両脇を締めつけられるようにして、総司が現れた。すっかり、討ち入りの準備はととのっている。
「おい、総司、大丈夫か」
開けっぴろげで口の悪さで知られる左之助少年でさえ、総司の顔色のわるさを心配して顔をしかめた。
もともと、女のように色白のたちであったが、血の気が失せて掛け軸に描かれた幽霊女のように顔が真っ白になっている。
「総司、いいか」
土方が声をかけると、こく、と総司はうなずいてみせた。
|びょうびょう(・・・・・・)とひろがる暗闇は、荒くれ者たちの隠れ家である店も等しく包んでいた。
「おい、何刻だ?」
「さあな」
「……なんだ、もうすぐ夜明けじゃねえか」
「じゃあ、夜八つ半を大分すぎてるな」
目を閉じて背筋をのばしている女を、男たちはなんどもなんども盗み見ている。部屋のすみに正座をしている女は、恐れも抱いているようすを見せていない。ここに拐かされてきたときでさえ、泣き叫ぶことはしなかった。
それにしても、ただ、女の白くほそいうなじが朧月夜のようにうかぶ。それだけが、なぜ、こんなにも男の劣情を煽るのか。
「へっへへ、まったくもって、いい女だぜ」
「ほぅれ、見てみろよ、あのうなじの白さをよぉ」
「かわいがってやりゃあ、さぞや痕が、映えるだろうぜ」
「誰にかわいがられるってんだ? あぁ? 言ってみろよ」
「へっ! 言わせるのかよ、おめぇ」
ある者はにやにやしながら、またある者は、べろべろとよだれを垂らさんばかりに舌なめずりしつつ、見張り役の男たちは聞えよがしに話し続ける。少しでも、女の顔が恐れや惑いにゆれるさまを見たいがためだ。
だが女うつむいたまま、後れ毛も動かさない。
「しかし、ひまだな」
「あいつら、来ねえのか?」
のぞき窓から、ぬっ、と顔を出して裏道を確かめる。もう、隠れるそぶりを見せるのも馬鹿馬鹿しくなっていた。
「どうだ?」
「いいやぁ、来やがらねえ。来る気配もねえ」
一応たずねてくる仲間も答える方も、声はとがっている。ふひひ、と下卑た笑いがひびく。
「もう日の出だってぇのに、このざまだ」
「来ねえな、こりゃあ」
「しれねぇな。いや、来ねえよ、来ねえ」
珍妙な、白けた空気が流れていく。ついに、ひとりが大声をあげた。
「ああ、やめだやめだ、見張りなんぞやめだ!」
「まったくだぜ! 馬鹿らしい!」
「ここまで来たら、もう来ねえに決まってるのに、やってられるか! なあ!?」
叫び声があがると、待ってましたとばかりに、賛同者の声があがる。そのうちの、男がひとり、ずりばいをしながら女に近づいていった。
「なあ、おめえさんよ。なかなか、いい家族をもったもんじゃねえか、ん?」
口のはしによだれのあぶくをつけながら、男はとろん、とした目を女にむける。発情した犬のように、へぁへぁと息が荒い。
「おい! てめえら、順番にやすんどけ!」
戸口を固めていた方も、もう討ち入りはない、と判断したんだろう。ぬぅ、と部屋に入るなり刀をふりまわして怒鳴る男に、へぇ~い、と間の抜けた返事がぼつぼつとあがる。
「御前試合がおわるまでは、この女をあずかっとけ、って話だからなぁ」
下からやってきた男は、どかどかと女に近づくと、握りこぶしをあごの下につき入れた。そして、ぐい、とむりやり女の顔を上向かせる。
無体な行いをされても、女は眉も動かさない。
「どう預かっとけ、とは言われてねえからなあ、さぁて、どうするか、なあ?」
「やすんどけっていう話しだぜぇ?」
こうまで言われてもまだ、女は、黒い柘榴石を思わせる瞳を、しなやかに光らせている。
「なあ、おめえ」
ごく、と男はのど仏を上下させた。
「おめえの旦那も弟も、出世のほうが、おめえの身体なんぞより大切なんだとよ」
拳を女の首すじにそって、ずっ……、とさげていく。
素知らぬ顔をしていながらも、しっとりと汗をかいていた女のはだは、想像以上になめらかだった。
ここでやっと、女のくちびるが、かすかに開いた。
『雪』と呼ばれる白碁石のような白い歯が僅かにのぞく。この場に居合わせた男たちは、背筋を欲望がぞくっ……と駆け上っていくのを感じた。
下半身が絞られるような疼きを発して、発狂しないのが不思議なくらいであった。
同時に、言いしれぬ、いや底知れぬ、と言うべきであろうか――ともかく、得体のしれぬ恐怖も、同時に男たちはすくい取っていた。
馬鹿な、と男は頭を激しく振り、虚勢をはるため、女を畳の上に叩きつけた。どっ、と女は前のめりに倒れ伏す。だが朱色の帯締めがしめられた腰から臀部にかけての、思いのほかむっちりとした丸みは、また男を容赦なく煽ってくる。
「こういう、気丈なしろうと女のほうが、かえって塩梅がいいって言うが、さあてどうかな」
ひひひっ、と夜中に蔵の中をはいずるねずみのように男はわらい、女の臀に手を伸ばした。
そしてうりの熟れ具合の品定めをするかのように、なで回す。「楽しませてもらうぜ」
「なぁに、大人しくしてりゃあ、旦那なんざもういらなくなるくれぇ、いい思いさせてやるよ」
「気持ちいい気持ちの間違いだろう」
「へっ! ちげえねえ!」
げらげらと、下品な笑い声が明ける寸前の夜の静寂をやぶる。
「犬みてえに、べうべうなかせてやっからよ――まっ、楽しみに覚悟しとくんだなぁ」
男の手が、ぬぅ、と赤い帯締めにのびた――そのとき。
階下から、悲鳴があがった。
被さるようにして、だん! だん! と、板を踏み抜かんばかりの足音が響き渡る。
「殴り込みだ!」