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ばらがき 10

「ひゅうっ……!」
 のど笛に突きを喰らった男の口から、木枯らしの季節のすきま風のような音がもれた。
 総司の目から、ぬら……、とあわい光がゆれ、大の男たちが、そろいもそろって後じさる。
 その速度の何倍もの速さで、総司の剣は突き進む。相手に断末魔の叫び声さえあげさせず、一気に三人を屠った。深々とささった剣がぬけると、びゃっ、と赤い飛沫が周辺に飛ぶ。まるで、豪雨のように。
「ひぃぃ!」
 使い古しの雑巾でも破ったような悲鳴があがった。
 が、叫びきらぬうちに、つ、とすり足で進みでた山南の剣に、肚を横薙ぎにされていた。臓物が、どっ、とぶちまけられる。
「おぅふ!」
 ぐらり、と均衡をくずした仲間にもたれかかられた男の肩に、土方の剣が鉈のように深々とささる。いなや、土方は蹴りを喰らわせながら剣を引き抜いた。先に山南に斬られた男がぶちまけた臓物に足を滑らせて、もつれるようにして床に倒れ込む。
 この間にも、総司の剣は、粛々とべつの男たちをえじき・・・としていく。店内は恐慌状態に陥った。
 ――異様な光景だ。
 剣をかまえながら横にいる総司をちらりと盗み見たはじめは、やはり、と思った。
 ――やはり、沖田の剣は、月暈つきがさのようだ。
 月に|《暈》かさがかかると、海が荒れ、雲を呼びよせ雨を降らせるのだと、昔、寝物語に母から聞いた覚えがある。
 ――沖田にかかる暈は、やり合いの場が荒れ、悲鳴を呼びこみ血の雨を降らせる。
 ふと、はじめは気付いた。沖田の口元に、笑みが浮かんでいるのである。まるで、どうだ、俺は生きているのだぞ、と叫びだしたいのを堪えている、泣き笑いのような笑みであった。
 顔半分に仲間の血を浴びた男が、半狂乱になりながら、はじめに斬りつけてきた。むき出しになった白目は充血しており、悲鳴とともによだれがあごを伝っている。
 来た。
 思う間もなく、ひらり、と全身が舞っていた。剣が、まったく自然に、腕の延長のように思えた。
 軽い。
 全てが、何もかもが、軽い。
 いざ血闘の場にいどめば、足がすくむか肝が縮むかと思っていたのだが、存外に平静でいる自分がいる。
 つまり、俺は敵の命を、虫けらにも及ばぬ程、軽々しく扱っているのだ、とはじめは理解した。
 だから、動く。
 直径2寸もある木刀の芯に鉄が仕込まれているなどとは、はじめはつゆ・・ほども知らぬ事実であったのだが、その重みに慣れきっている腕には、真剣の重さなど懐紙ていどにしか感じない。
 ――殺《や》れる。
 明ける寸前の宵闇の中、はじめの剣は身体ごと大きく脈動する。
 斬った。
 刹那、男の肚が波打った。どぷり、と血の塊が周囲にばらまかれ、男は絶命した。
 次、次だ。
 はじめは、もっと、もっと、と敵を求めた。
 俺は斬らねばならぬ、という、もはや使命感のようなものが沸き立ってきていた。
 新八と左之助、平助が三人一組で取り囲み斬り結んでいるのだが、死角から、平助の背後をねらった男がするすると近づいているのを認めた。
 ――させん!
 瞬間、ふたたび、はじめの剣が虚空に弧を描いた。
 前翅と後翅のあいだから、鱗粉をこぼしているかのように、切っ先が瞬く。
 俺が、斬る。
 蛙が荷車に轢かれたときのような悲鳴が、男ののどからほとばしった。

血闘は長く感じたが、実際のところ半刻を少しこえたくらいで決着がついていた。
 ひりひり・・・・と喉の奥がいたむ。
 ――思うよりも激しく、声を張り上げていたのか。
 全身に浴びた血痕の臭いがのぼるヶ所から異様な興奮を感じているのに、頭も、目も、心も、魂も、冴え冴え・・・・としていながら、全てがからっぽ・・・・ように感じるのはどうしたことだ、とはじめは自問する。
「えらく、一途・・だったじゃねえか」
 背後から土方に、ぽん、と肩を叩かれた。
 ――一途。
 なるほど、そういう言い方もあるのか、とはじめは唸った。斬る、という一念にのみ心が囚われていたのであれば、一途、と見えてもおかしくはない。
 ――だが、土方らしい表現だ。
 とどのつまり、土方という男こそが、斬る事に一途であるからこそ、はじめを、そう、認めたのだから。
 新八たちが息があるものを縛りあげはじめた。
 その間に、あわ、あわ、と腰をぬかした店主を土方と山南が左右からかこむ。ひっ……ひっ……、と泣きしゃっくりをくり返す店主の手に、山南が、そ……と懐紙にくるんだ金をにぎらせる。
「ひ、ひぃぃっ、い、いのちばかりは、お、おたすけぇっ……!」
「これは迷惑賃です。遠慮なく、とっておきなさい」
「ひっ……うひっ!?」
「ただし、他言無用」
 手に金の重みを感じたとたん商人のかおにもどった店主の調子のよさに呆れながらも、土方が、ぐっ、と睨みをきかせる。
 目が、赤くらんらん・・・・とした輝き出した。
 ――あの目だ。
 土方に、酸漿かがちの目で、ずぃ、と迫られた店主は、口から泡をふき、あうあうと人語にならぬうめき声を発してふるえるばかりだ。
「いいか、てめえ。これ以上、文句があるってぇんなら、てめえの親分すじ・・たれろ・・・――わかったな?」
「ぶひぎゃっ!?」
 叫ぶ店主の股間から、ゆげ・・がのぼりだした。恐怖のあまり、粗相・・をしたのだ。
 鼻の奥をつんとさせる臭気から肩をすくめつつ逃げ出した土方は、そこでやっと気がついた。
「総司は?」
「あちらですよ」
 焦った様子で、周囲を見回している。山南が笑みを浮かべつつ、剣についた血のりを丁寧にぬぐいながら、視線を天井にむける。
「姉上、ご無事でしたか」
 むせぶ総司の声が、階上うえからふってきた。
 朝日がのぼる前に、一同は試衛館に引き上げた。
 みつ・・の顔からはさすがに血の気が失せて、身体はふらふらとしてはいたが、なんと、彼女は自分の足で歩いていく。さすがは、武家の娘である。
 ――姉上であれば、どうだろうか。
 自力で歩けるであろうか?
 答えは、すんなりとは出てこない。
 以前の自分であれば、否、と即答したであろう。
 しかし、隠し事をしつつも己の変身をおくびにも出さぬ姉を知ってしまった今は、分からない。
 ――つまり、人というのは見かけでは、どうとも知れぬという事だ。
 外面がどうであれ、中身が変わらぬという事もまた、あり得る。
 それの区別を咄嗟につけられるほど、自分は人間も剣の腕も、まだまだ出来上がっていない、餓鬼なのだ。
 ――それだけのことだ。

 試衛館にたどり着くと、近藤が今か今かとそわそわしながら待ち構えていた。
「おう、とし・・! 皆も、帰ったか! 総司も! 無事だったか、そうか、無事か!」
 先頭にたつ土方を認めたとたん、破顔し、山肌を転がる岩石のように駆け寄ってきた。
 勢いのまま、がばり、と土方と総司を両の腕に抱きしめ、おうおうと興奮してさわぎたてる。羽交い締めにされた総司が白目をむき・・、土方もさすがに苦笑いする。
「よせや、勝太さん、餓鬼じゃあるめえし」
「馬鹿野郎!」
 顔面につばをとばされながらどなられた土方が、目を丸くする。
とし・・! てめえはどこまでいっても、バラガキ・・・・とし・・と呼ばれたまんまの、おれの友達ダチだろうが! 心配してなにが悪い!」
 こういう言葉を臆面もなくいいはなてるのが、近藤のいいところであり、こっ恥ずかしいところだ、と今さら気がつかされたようだった。端正なかおにかかった唾を手のひらでぬぐいとりながら、苦笑する。
「……ちげえねえ」
 朝日をあびた笑い声が、試衛館の門前に響きわたった。
 早速、源三郎に手を引かれ、総司は風呂場に連れて行かれた。若年組の三人も同行する。早々に、御前試合の準備を整えねばならない。
「もうしわけございませぬが、姉弟でお世話になります」
 深々と、みつ・・が頭をさげると、近藤は面皰面をしわくちゃにしながら、おおいに照れた。
「いやいや、何ほどのことはない。いや、その、うむ、なんだ、何でも頼るといい。遠慮はいらん。なにしろ総司は、試衛館うちの内弟子だからなぁ」
 甘ったるい猫なで声で身をよじっている近藤に、みつ・・は軽くうつむいてみせた。瞬いたまつげの奥で、黒水晶のような瞳が濡れたように光って誘っているのに、声は凛としている。その不均衡さが、また男心を刺激する。
「いいえ、これ以上の甘えは失礼にあたります。総司の御前試合が終わり、落ち着きましたら、すぐにでも家にもどります」
「ああ、そうしたいなら、そうしな」
 近藤は、昨日いっていたことと違うだろう、とし・・、と鼻の穴をふくらませたが、土方はつっけんどんに突き放す。だがにべもない口調とはうらはらに、彼の目はひどく優しく、そしてあたたかいものだった。
 ――土方さん、この人は。
 はじめは、驚いた。
 こんな目ができる人だったのか、と。
 土方とみつ・・
 二人は、まるで潰れた闇の只中で、ただ二人きりでいるかのようだった。
 あの時のあのぐずぐず・・・・ぐちぐち・・・・はいったいなんだったのか、と言いたくなる。が、他者を圧倒する特異な空気を発しながら見つめあっている土方とおみつに、なにもいえない。
 はじめは、まじまじと二人に見入る。
 男女関係の機微にはまだまだ疎い自分だが、それでもわかる。
 ――この二人は、つまり、そういう・・・・間がら・・・だったのか。
 契ったかどうかは、この際関係がない。
 二人は、魂の世界で交わっている。
 いわば、同種・・、というやつなのだろう。
 不意に、背後から頭を軽く小突かれた。肩越しに振り返ると、山南が苦笑している。
「斉藤くん、きみ、無粋ですよ」
「……」
 確かにそうだった。
 渋柿のような面構えになった近藤が、山南に引きずられるようにして道場を離れる。
 はじめも、土方とおみつを二人きりにすべく、山南と近藤に続いた。
 この場に、新八、左之助、平助らがいなくて助かった、と思いながら。



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