【ニューヨーク滞在記】①はじめに

 10月12日から18日の日程でニューヨークへ行ってきた。初の海外一人旅である。

 昼過ぎに成田空港に到着。帰宅後、飛行機でも寝たにもかかわらず、気付いたらベッドに倒れこんでいた。ふと目が覚め、床に放り投げたヤンキースの帽子を見ると、過ぎ去った時間の重要さに寂しさでいっぱいになる。

 帰りの飛行機で写真をスクロールして思ったのは、とても、とても貴重な時間だったということだ。死ぬ間際の走馬灯が本当にあるならば、ニューヨークでの1週間は確実に一つのシーンとなって表れている。

 スポーツ。人との出会い。食。アート。街並み。全てが、自分の未来に良い影響を及ぼすだろう。

 簡単に経験したことを羅列してみる。アメリカ4大スポーツ観戦(野球、アイスホッケー、アメフト、バスケ)、アメリカ自然史博物館・メトロポリタン美術館・9.11のメモリアルミュージアム・自由の女神鑑賞、時事通信社ニューヨーク支局訪問、現地のライター・田中真太郎さんとの会食、トップオブザロック展望台からの眺望…。

 滞在にあたっては、初めの3日間を現地に住む友人の家で過ごし、残りを「HI New York City Hostel」というホステルに泊まった。

 現地に住む友人とは、エリック・スキャンランという、かつて立大アイスホッケー部に半年間留学生として在籍していた40歳ぐらいの米国人と、エリックの彼女で日本人のタナカナオコさんのこと。当時、彼を取材した時に、ニューヨークに家があると言っていたことを思い出し、出発の5日前にメッセージを送った。初めは、ランチぐらいできればいいなという程度だったが、彼らは私の来訪を大歓迎してくれて、宿泊だけでなく各地への送迎、食事のご馳走までしてくれた。一人のニューヨーク旅という中、感謝の言葉だけでは到底足りないぐらいのおもてなしをしていただいたので、今後、恩返しができればと考えている。


 ここまで読んだあなたは今、なんで旅のことをつらつらと書いているのだろうと思ったかもしれない。その理由は2つある。1つは、母親に出発前、「どうせいくなら、なんか書いてよ」と言われたこと。両親には多大なる金銭的な支援をしてもらったので、無視することはできない。もうひとつは、ナオコさんにも「この旅も記事にするの?」と言われたこと。彼女は初めてアメリカへ一人で行った時、絵日記を書いたことが今でも思い出なのだという。これから書く世界に入るに当たり、経験したこと、考えを字にするのは大切だと思っているため、日にちごとに分けて書き、今後アップすることにした。

 はじめにということで、なぜこの旅に至ったのか、経緯を説明したい。一言で言えば、とにかく野球とアイスホッケーを本場で感じたいということだった。


 野球は、3年半前に家族でフロリダに行った際、マーリンズ対カージナルスのオープン戦を観たり、アストロズの本拠地・ミニッツメイドパークの球場見学をしたりしたことで、「いつか本物のスタジアムでメジャーリーグを観たい」と思うようになった。就活終了直後に一時期書いていた「やりたいことリスト」をみると、「MLB」の3文字がある。


 ホッケーについては、部活の先輩・Tさんが昨年アメリカで見たときの話を聞いたことが大きい。その時映像も見せてもらい、画面越しでも鳥肌が立つぐらいの熱狂ぶりに、これは観なくてはいけないと思わされた。

 数あるスポーツの中でも特に好きなその2つを、働き始める前に本場で体験することは、今後のキャリアにおいて大きな影響を与えるとも直感的に思っていた。

 旅を本格的に計画し始めた時、野球はシーズンの佳境だったため、この際、盛り上がりの大きいポストシーズンに合わせてしまおうと考えた。さらに、伝統球団のヤンキースを見れれば最高だと。だが、この願望のおかげで航空券を取るのが出発の4日前と、弾丸のような形になってしまった。なぜならばポストシーズンは勝ち上がり方式のため、ヤンキースが負ければニューヨークで試合はなく、ほかの都市を経由せざるを得なかったからだ。
 計画を進める段階で、アイスホッケーは東海岸だと日程的に合い、さらに言えばニューヨークにもいつか行きたいと思っていたことから、

①ヤンキースが勝てばニューヨークだけ 

②ヤンキースが負ければ、どこかで野球を見てからニューヨークに行く

という2つのプランを考えていた。


 そんなこんなでヤンキースがうまく勝ち上がり、①のプランに決まる。完売間近のニューヨーク直行往復便を購入し、観戦チケットも、泊まるところも確保した。


 さあ、旅が始まる。


 と言いたいところだが、焦りは禁物だ。次は、苦悩と奇跡に満ちた、出発数日前から飛び立つまでの話を書こうと思う。


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