【ニューヨーク滞在記】⑦NBA観て4大スポーツ制覇。観光どっさり、会社訪問も
「ピピピ!!!!」
深夜4時ごろ。イヤホンから流れる音で目を覚ました。旅も終盤で体は疲れていた。それでも、この時間にアラームをかけたのには理由があった。
「第一巡選択希望選手――」
時差が13時間のため、日本では17時。プロ野球ドラフト会議が始まる時間だった。少しばかり時間が過ぎていたので、Twitterは開かずにYouTubeのライブにアクセス。時間を巻き戻し、初めから追いかけた。
我が巨人軍は、ドラフト1位指名で星稜高・奥川を外すと、その次の東芝・宮川も外し、結局、青森山田高の堀田賢慎の交渉権を獲得した。勉強不足のため名前を知らなかったが、将来が期待できる大型右腕らしい。暗闇の中スマホの画面に目を凝らすこと、約1時間。指名が終わり、選手の基本情報を調べた後、再びアラームをセットして寝た。
アメリカ大陸の中で、ドラフト会議を見ていた人はどれだけいるのだろう。言うまでもないが、あの部屋にいたロシアなどから来たであろう若者たちは、「グースカ」と大きないびきをかいていた。
再び目を覚ましたのは8時ごろ。自由の女神を観に行かねば。
朝ならば空いているというブログを見たため、急いでかつ、同部屋の人を起こさないよう身支度を整える。駅へ向かい、電車で南下。30分後、最終駅のSouth Ferry駅に着くと、シティパスで観覧チケットを引き換えた。
毎度のごとく、荷物検査に向かう。ここでも、空港並みのセキュリティチェックがあった。
荷物検査を行う建物を出ると、乗り込む船が待っていた。ちなみに、陸からも自由の女神は見ることができる。かなり小さいが。
船に乗り込むとまず、朝食としてホットドッグとコーヒーを買った。揺られながらも完食し、デッキに向かう。風が強く、着こんでいても寒さが身にしみる。
デッキでふらふらとニューヨークのビル群を眺めていると、どこか見当たりのある顔を見つけた。「誰だっけな…」。記憶の引き出しを次々に開けていく。
「分かった!!高校からの友人のお父さんだ!!」
すぐさま、グループLINEに写真を送ってみると、他の友人からも「似ている」との返信が来た。しかし、当の息子からの返信がない。話しかけようかと思ったが、まず日本人とも限らない。日本人だったとしても、違った場合の気まずさを考えると…。
そうこうしているうちに、目当ての像が近付いてきた。結局、話しかけることはせずに上陸。日本語ガイドを借りると、その少し先に先ほどの友人のお父さんと思わしきグループがいた。耳を傾けると、日本語が聞こえる。彼らは10人ほどのツアーのようだ。
「これは、ほんとうにそうなのか?」
しかし、まだ息子からの返信は無かったため確信は持てない。まあいいかと、博物館に入った。ちなみに、この入場料もチケットに含まれている。
入るとすぐに、自由の女神を建築する上で重要な人物の経歴などが紹介されていた。本を模した壁が、7日前に見たディズニーランド「プーさんのハニーハント」の待機場所を思い出させる。説明は基本的に英語なので、視覚で全てを理解することはできなかったが、そこは日本語の音声ガイドが補填してくれた。
他にも、内部の構造や建設までの歴史が丁寧に紹介されていた。実物大の足や模型などもあり、展示はかなり充実していた。
一つ、印象に残った展示がある。
自由の女神がフランスからアメリカへの贈り物だというのは有名な話だが、フランスで像が完成した1880年代、アメリカではある問題が生じていた。像を据える台座が資金不足のために未完成だったのである。そこで救いの手をさしのべたのが、ニューヨークの市民だったという。きっかけとなったのは、ニューヨーク・ワールド紙が読者にこう呼びかけたことにある。
「女神の製作には、フランスの大衆が募金に参加してくれた。我々も、この誠意に応えようではないか。億万長者の寄付を待つのはやめよう。女神は我々の手で迎えよう!」
これに賛同した市民の募金により、目標の10万ドルが約半年で集まり、無事に台座が完成した。
まさか、新聞が自由の女神の建設に関わっていたとは思いもよらなかったので、一人胸が熱くなった。
展示を見終わったところでスマートフォンを確認すると、さっきの友人から「俺の父親ニューヨークいるよ」と返事が来ていた。
「本当に、そうだった…。ったく、どんな奇跡だよ」。
一人で笑ったが、もう姿は見当たらない。
残念だと思いつつ、博物館を出て像の正面に来た。写真を撮る観光客が30人はいる。皆、カメラに向けてしっかりと自由の女神ポーズ。私は写真を撮られることがあまり好きではないし、そもそも一人だったので、像単体で撮影した。
台座からたいまつを含めると、93メートル。思っていた以上に大きかった。地味に、海外で世界遺産に行ったのは「エバーグレーズ」に次いで2か所目だ。
目に焼き付けたところで、お土産屋へ入る。しかし、これといってほしいものは無かったので、そそくさと切り上げた。エリス島に行くため乗り場に向かうと、列ができていた。
10分足らずでエリス島に着いた。ここは以前、アメリカ合衆国移民局が置かれていた小さな島で、今では当時の建物で移民に関する博物館として機能している。時間もあまりないので、流しつつ鑑賞。移民をルーツに持つ人だと、色々と思いをはせる場所なのだろう。
ある程度見終わったところで時計を見ると、ちょうど12時だったので、フェリーに乗った。
数分で着陸。軽くお腹もすいてきたが時間も無いので、次なる目的地、9・11のミュージアムに向かう。電車ではなく、街を感じたいので徒歩を選択した。
マンハッタンの南部には金融街が広がっている。古っぽい威厳のある建物が多く、タイムズスクエア周辺とは雰囲気も違う。
ニューヨーク証券取引所では、写真を撮る人も多く、もはや観光名所のようだった。
ここが、かつてワールドトレードセンターがあった場所。2つの正方形の中央に向かって水が流れ、外枠には亡くなった方の名前が彫られている。周囲には木が植えられており、金融街とはまた趣が違う気がする。
博物館に入るため、列に並ぶ。しばらく待つとシティパスを見せて入場できた。エスカレーターで下りると、そこは地下のエントランスだった。思った以上に人がいる。照明は最低限に落とされ、どこか厳かな雰囲気。
これは、私のスマホのスクリーンショットである。調べたところ、ミュージアムのアプリがあり、日本語のアナウンスが聞けるのだという。イヤホンを取り出し、耳に装着する。
展示の始まりは、9・11の概要から。
少し進むと、現場で残された鉄柱などの「がれき」が一面に置かれていた。
ビルの屋上部分についていた鉄骨や、焦げた救急車…。まるで映画のセットのようだが、これが現実だとは。言葉も出ない。
下の階段は、生存者が命からがら駆け下りたものである。
ただ、全体を通して最も印象的なのは、次の部屋だった。亡くなった方の顔写真が壁に並べられたゾーン。撮影が禁止だったので写真は無いが、そこには名前や年齢も添えられていた。日本人と思わしき顔写真も。そして、彼らの物語などが書かれた機械もあった。
一人一人が、18年前までは普通に生きていた。そんなことを思いながら、ふと、隣の欧米系の女性を見ると、目に光るものが見えた。国籍は違えど、来場者が感じた思いは、同じだったように思う。
約2時間、ゆっくりと見て回った。なぜ事件が起きたのか、というところまで掘り下げられているなど、展示が丁寧だと思った。また、外にあるモニュメントも含め、出来事を絶対に風化させてはいけないという合衆国の執念も感じた。
これまでは、歴史上の出来事という意識だったが、それはいつ起きてもおかしくないことなのだと思った。スポーツを見る会場で空港並みのセキュリティが施されているのは、これが発端なのだろうし、2020年東京五輪を控える日本のセキュリティは果たして今のままでいいのか、なども考えさせられた。
まだまだゆっくりと思いを馳せていたかったが、実は急遽、大切な用事が入っていた。春からお世話になる会社のニューヨーク支社に訪問することを計画しており、それが実現したのである。
地下鉄で北上しタイムズスクエア近辺の、ある場所へ向かう。ビルに到着すると、体の大きな受付のお兄さんに要件を告げ、中に入れてもらった。
結局、オフィスには1時間ほど滞在した。そこでの出来事を書くことはしないが、確実に人生におけるターニングポイントとなった。いつになるかは分からないが、成長して、またここに戻ってこようと素直に思った。
一人旅に戻ったところで時間は18時。この日最後のイベントは、4大スポーツ制覇でもあるNBA観戦だ。会場はマディソンスクエアガーデンで、ニューヨーク・ニックス対アトランタ・ホークスのオープン戦である。
毎度のごとくグーグルマップでルートを検索し、指示通りに足を進めていく。が、その後、2つの災難が私を襲う。
まず1つ目。大雨のため、地下鉄が異常なほどに混んでいたのだ。改札を通り抜け、ホームに来ると、そこはまるで朝8時台の有楽町線状態。日本人よりも1人当たりが大きいため、余計窮屈に感じる。満員電車という言葉は日本独自のモノだと思っていたが、そうではなかったらしい。
距離が近かったため、数分耐えて降りた。ふう…。
地上へ上がると、大雨に襲われながらも地図に示された場所へ向かう。数分で「目的地」に着いたが、そこは暗い公園だった。周りを見渡しても、アリーナは見つからない。
「おかしいな…」
その時、ようやく気付いたのだ。私が必死に向かっていたのは、「マディソンスクエアパーク」。これが2つ目のミスだ。ガーデンとパークを見間違えてしまったのである。
再び「マディソンスクエアガーデン」に向けて経路を検索すると、徒歩13分と出てきた。
すぐに歩き始めるが、大粒の雨と、自分の不注意さにため息がこぼれる。昼ごはんも食べていないので、お腹が減って仕方がない。
そんな時でも、実は希望を見出していた。事前に調べ、行きたいと思っていたロブスターロールの店が近くにあったことを思い出したのだ。マップを開き、店名を入れると、本当に近くだった。
試合時間も近付いていたが、少しルートを外れ、食欲を満たすことを選択した。
「ルークスロブスター」というニューヨーク発のロブスターロール専門店。入ると、客はいなかった。若い店員の兄ちゃんに迎えられ、説明を受ける。パンにロブスター、クラブ、シュリンプなどの具を自由に組み合わせて食べるらしい。1種類やハーフアンドハーフもできる。
数分悩んだが、そもそもの値段(約15ドル)も高いため、シンプルなロブスターロールを頼んだ。
飲み物はブルーベリーとハニーのジュース。空腹の極みだったため、クラムチャウダーもつけた。全部で20ドルほど。「ゆっくりしていきな」と兄ちゃんに言われ、「イエス」と答える。本当は「これからNBAを見るので時間が無くて、すぐ食べるよ」などと会話をしたいところだったが、その語彙力がない…。
10分ほど待つと、兄ちゃんが笑顔でセットを持ってきてくれた。
幸せな景色である。そして、ロブスターのプリプリ具合が想像以上。
さあ、一口!!
プリプリのプリップリ。これは美味い!!
マヨネーズとスパイスが混ざったようなシンプルな味付けだが、ロブスターのうまみと触感で言うことなし。5分足らずで私の胃袋に収まった。
人間は単純な生き物だ。三大欲求のうち、1つでも満たされればある程度満足できる。いくつかの災難がありながらも、ロブスターが全てをちゃらにした。
調べると、日本にも出店していることが分かったため、是非ともまた味わいたい。兄ちゃんに礼を告げて店を出てしばらく歩くと、試合会場が見えた(奥にあるスクリーンのある建物)。
マディソンスクエアガーデンは、地下鉄の駅の上にある。一見すると普通のビルだが、コンサートの聖地としても有名らしい。入るとすでに行列ができていた。
QRのチケットを出し、列に並ぶ。しばらくすると、後ろから日本語が聞こえた。大学生くらいの2人組が、「これが本場か」などと興奮したような口調で話している。これまでの3つのスポーツでは、日本人を見ることはほとんどなかったので、驚いた。
またも空港並みのセキュリティを通り抜けて、会場入り。内装はスポーツの会場と言うよりは、コンサート会場のような落ち着いた感じがする。
座席のある場所に来ると、ノリノリのポップが流れ、大きなスクリーンの下で大男たちが練習していた。
2階の自分の席にたどり着くと、これも驚いた。左横に、日本人の女性2人が座っていた。八村、渡邉の登場でNBA人気が高まっているのか…?
しばらく、コートで繰り広げられる練習に目を向ける。実は私、バスケに関しては、知識が無く勉強中なのである。球技は比較的全般好きだし、ある程度はプレーできるのだが、バスケだけが小さいころからどうも上手くできなかった。そのため、これまではあまり興味が無かった。しかし、Bリーグの定着やNBAに日本人選手が出始めたこともあり、軽くチェックを始めた。2019年夏には、日本代表対アルゼンチン代表のテストマッチをさいたまスーパーアリーナに観に行った。ルールも、ポジションもほとんどわからないが。
渡米前、NBA通の友人に対戦カードを言うと、「どっちも再建中のチーム」と返ってきた。オープン戦だし、楽に見ることとしよう。
試合の前は、他のスポーツと同じように、会場が暗くなりチームのモチベーション映像がスクリーンに映し出される。そして、国歌斉唱。
ボクシングのようなアナウンスで選手が登場し、試合が始まる。
開始1分でニックスは3点シュートで先制すると、その後もリードを保ちながら試合を進める。ただ、3分経過する頃には同点とされ、その後は終始追いかける展開に。1Pも残り約30秒のところでスキンヘッドの選手が3点シュートを決め、追いついたが直後に2点を奪われ25-27で1Pを終えた。
ここでの感想はただ一つ、凄い。正直、距離が遠く、みなシルエットが似ていたので誰が誰だか判別できない状態だったが、全員が超人だった。
試合の合間は、他のスポーツ同様にムードを高める演出がなされた。チアガールが踊ったり、観客にカメラをズームしてリアクションを促したり。キャップシャッフルはバスケ仕様になっていて、難しかった。
そんなこんなで2Pが始まるが、その後もニックスは追いつくことができない。2Pで5点、3Pではさらに2点離されてしまい、時折見せる3点シュートにも、会場の盛り上がりはいまいち。
しかし、4Pに息を吹き返す。バスケにおいて9点差はあってないようなものらしく、ぽんぽんとシュートが決まり、残り5分を切ったところでついに同点に追いつく。さらに、残り3分の時点では1点の勝ち越しに成功。それまで静かにしていたニックスファンも、「レッツゴーニックス」と声を大にして応援する。
それでも、残り1分半のところで3点シュートを決められると、さらに点差を離されて96-100で敗戦した。
渡米前に、友人からトレイヤングやらバレットやらの名前を聞いていたが、結局誰が誰かを見分けることはできなかった。その中でも唯一、印象に残ったのがスキンヘッドのタージギブソン。誰よりも精度の高いシュートを打っているように見えたからだ。(ただ、これを帰国後に友人に報告したところ、「そんなめちゃめちゃいい選手ってほどではない」と笑われてしまった。バスケを見る目を養うことは、これからの課題だ)。
試合が終わった後は、左隣の日本人女性にお願いし、写真を撮ってもらった。一応、お返しと言うことで、彼女たちの写真も撮ってあげた。日本人とのやり取りにどこか安心感を覚えつつ、会場を後に。出口の手前にグッズショップがあったので、何品かアイテムを手に入れ、駅に向かった。
アリーナは駅の上にあるので、雨にぬれずに電車に乗ることができた。靴の中の湿りは、多少減ったものの、まだ乾いてはいないのでありがたい限りだ。ホステル最寄りの駅まで15分ほど揺られ、部屋に入った時には11時を回っていた。
シャワーを浴び、暗くなった部屋に戻るとすぐにベッドにもぐりこんだ。乳酸のたまったふくらはぎを揉みつつ、自由の女神、9・11のミュージアム、会社訪問、NBAなど盛りだくさんだった1日を振り返る。そして、残すところ1日と少しの時間をどのように過ごそうか…などと考えているうちに、眠ってしまったようだ。